「もうやめようぜ、恭弥……」
「なに言ってるの、これからだよ。」
そう言って得物を構え直す可愛くない教え子に、俺は深い溜息を吐いた。
それが不満だったのか、恭弥は俺が息を吐ききる前に地面を蹴り、俺が息を吸う前に殴りかかってきた。
呼吸のタイミングを外され、俺はその場にしゃがみ込んで金属製のトンファーの切っ先を避けるのがやっとだ。しかし、その一瞬できちんと息を吸い、同時に恭弥に足払いを掛ける。当てるのが目的ではないそれはやや精彩を欠いているけれど、もくろみ通り、恭弥はそれを避けて後ろに飛んだ。
立ち上がって鞭を構え直す。
雲のリングの争奪戦は明日だ。
恭弥の修行はもう、完璧に仕上がっている。
これ以上続けることは、徒に彼の体力を消耗させるだけで、それは明日の敗北に繋がる。だから、もう止めさせなくてはならない。
「おしまいだ。恭弥。」
そう口に出してしまって、ハッとする。
おしまいなのだ。今夜が終われば。
俺がリボーンから受けている依頼は、ヴァリアーとの戦いに備えて雲雀恭弥を鍛えること。
つまり、明日の試合が終われば、この師弟関係もおしまいなのだ。
そのことが堪らなく辛くて、俺は唇を噛む。
しかし俺がそんな感傷に取り憑かれた隙に、当の恭弥はまた地面を蹴り、俺に向かって得物を振るう。
俺は仕方なく鞭を振るい、トンファーを絡め取った。そのまま力任せに引き寄せると、不利を悟ったか恭弥は武器から手を離した。からん、と冷たい音を立てて片方のトンファーが地面に落ちる。
「……もう、おわりだ。」
自分の得物を軽く振る。武器を持たない恭弥の腕は、為す術もなく鞭に絡め取られた。
そのままグルグル巻きにしてやろうかと腕に力を込めた瞬間、恭弥はもう片手のトンファーも手放した。
ようやく止める気になってくれたかと、俺が鞭を緩めた瞬間。
性懲りもなく、じゃじゃ馬は大地を蹴って素手で俺に殴りかかってきた。
俺の武器はだらしなく弛緩したまま。振り直す余裕は無い。
仕方なく俺は武器を手放し、恭弥の重たい一撃を真っ向から手で受け止めた。その反応は意外だったのか、一瞬恭弥の体から力が抜ける。
その隙に腕を引き寄せて、恭弥の体を抱きしめた。
「はい、おしまい。」
「っ……まだだ!」
「お前の相手は俺じゃない。ヴァリアーの連中だろ?」
「そいつらも咬み殺すよ、勿論。でも今はあなただ。」
そう言って、恭弥はまっすぐに俺を睨み付けてくる。
珊瑚のような、ほの赤い光を帯びた黒い瞳。
不覚にも見入ってしまって、俺は慌てて自分を叱咤する。
こいつは、中坊のガキで、俺の教え子で--男だ。
だからまさか、この手を離したくないだとか。
もっと、触れたいたい、だとか。
キス、したいだとか。
そんなのはただの気の迷いで、あってはならないことで。
だけど、だけど。
手放したくないんだ。
「……じゃあ、ヴァリアーとの戦いが終わったら、相手してやる。」
だから、俺は狡い約束を、した。
「……本当だね?」
「ああ、本当。今俺と全力でやりあったら、明日疲れて思いっきり戦えないかもしれないだろ?」
「…………わかった、そうするよ。」
暫く考える様子を見せた恭弥は、しかし二つの戦いに万全の体調で望むことを選んだ様だ。
体から力が抜け、渦を巻いていた殺気がふと大人しくなる。
俺は安心して腕を離した。
もう恭弥が暴れないと解ったからじゃない。
これで--この戦いが終わっても、俺達を結ぶ糸は途切れない、と、思ったから。