長編小説
四
ぎゃーぎゃーと喚く侍従二人をどうにか宥めて和解させ、部屋から追い出すことには成功した。
金髪の給仕は湯気がそろそろ限界に到達しそうな紅茶の乗ったトレーを、意外にもこの部屋の中では質素な部類に入る木製のテーブルに置いてそっとレッドに近付く。布に包まった様子はどこか引き篭りを連想させて、しかしキツく叱るのもおかしいと考えた給仕はそっとその塊を揺らす。
「ほら、起きて下さいレッドさん。紅茶を煎れてきましたから」
「……うぅ、まだ気持ち悪い」
「?」
自分がここに来るまでに何が起きていたのかなど知るよしもない給仕は、その小さな呻きに対して頭上にクエスチョンを浮かべてしまう。
誰ひとりとして騒ぎ立てる人物が居ないせいか、部屋の中はまるで墓場のように静かだ。豪勢で美しいシャンデリアが寂しそうに火を揺らしながらこの場所を照らしているのに、妙な安心感が漂ってはいたが。
それが今の状況に対して自分が感じている嬉しさのせいなど、給仕は微塵も感じ取れてはいない。
「とにかく、まずは一杯飲んでみて下さい。ディンブラーは少し苦味が強いので、必要ならミルクも持って来ますから」
「ん、……分かった」
もぞもぞとその身を揺らし、無謀なヘタレ王子が覚醒せんと姿を現した。タオルケットのせいでぐしゃぐしゃになってしまった髪を見て、給仕は呆れながらも前掛けのポケットの中から櫛を取り出して髪をすいてやる。レッドは大人しくされるがままのお人形になった後、ぴんと元の張りを取り戻した自分の前髪を軽く指でいじり回してぼそりと喋り出す。
「その櫛自分のだろ、いいのか?」
「何がですか?」
給仕は笑顔を向けながら、さも不思議そうに言葉を返した。
櫛を再びポケットに仕舞うと、ポットを掴んで中身をカップに注ぎこむ。まだ熱い事を証明してくれる湯気が立ちのぼり、やがて純白の器は紅い液体で満たされる。
砂糖を入れることは、他でもないレッドが頑として断った。前に一度、勝手に角砂糖を二つ入れてしまった紅茶を差し出した時、レッドがそれを口に含んだ瞬間に怒りだしたのだ。滅多に怒らない彼が、その程度のことで。
きっとそれは彼なりの決まり事で、彼の少ないこだわりなんだと思う。
給仕はそっと紅茶を差し出した。熱いので火傷に気をつけて、という心くばりも添えて。
レッドは礼を言って立ったまま受け取ると、ズズズと音を立てて紅茶を啜る。こだわりを持つならマナーくらい常備していてもいいんじゃないか、と給仕は自分の分を手に取り苦笑した。
レッドはカップをソーサーに置き、それから椅子に深く座り込んで先程言いかけた言葉を口にする。
「いや、自分の櫛を他人の……異性の髪解かすのに使っちゃって気にしないのかなーって」
それは意外な台詞だった。
この王子はここまで紳士的な発言ができるような性格だったか今まで聞いたことないよまさか別人じゃ、と慌てふためきかけて、そして照れ臭そうによそを向いて頭を掻くレッドの姿を給仕は見付ける。
やっぱり優しい人だ。
給仕は嬉しそうに楽しそうにそう小声で呟くと、満面の笑みをレッドに向けた。
「そんなわけありません。だって、あなたはレッドさんだから」
「……は?」
間抜けの表情が間抜けになる。
給仕は続けた。
「えへへ……レッドさんのこと、嫌になんてならないですよ」
それは精一杯の気持ち。
届かないような、そんな遠回しに伝えた想いだけれど、彼女は十分満足していた。
レッドは勿論わけが分からない。紅茶を再び啜り、そしてその苦味を喉で下す。
わけは分からない。けれど、悪い気分にはならなかった。
隣に佇む給仕は―――イエローはまた、最愛の人物に笑顔を向けた。
◇◇◇
現状の何がおかしいのかと訊かれれば、グリーンは真っ先にそいつの鼻っ柱をぶん殴って再起不能にしてからリングマかサメハダーの巣にでも放り込むだろう。それくらい、今自分の眼前の光景が信じられなかった。
心なしか、己の口から漏れた声が微かに震えているようにすら感じてしまう。
「何なんだ……この紙屑の山はッ……!」
あのあと二時間後きっかりにブルーをレッドの元へ送り込み、隊員達に飴どころか僅かばかりの優しさすら与えず鞭を振り、疲れきって部屋に帰ってきてみれば現状がお出迎え。
特に大きくもないデスクの上には、零れんばかりに大量の書類が一斉に押しくら饅頭をしている様子を披露してくれていた。
拍手喝采を浴びる中央の紙。泣く泣く退場を余儀なくされた、こぼれ落ちていく数枚の紙きれ。
わなわなと震えているのは世界なのか、自分の拳なのか、はたまた潤む己の瞳か。どちらにしろグリーンが叫びたい台詞の一行に変更はない。くそったれ。
「ああなんて可哀相な私のグリーン。……それね、半分が現隊員の苦情でさらに半分が入隊志願者なのよ」
「俺はいつでもフリーのはずだ……それとあいつらは減俸だな」
急に聞こえた声の主は女性。しかも顔見知りどころか見知りすぎている。反射的に地の言葉遣いで返したのは、信頼している証から。
だが当然グリーンに婚約者などいないし、保護者は別ここではないの場所で科学者をしている。それにたとえ知人でも、"私の"と呼ばれる筋合いは毛頭ない。
グリーンはこれ以上ない、しかしまた出そうな重々しい溜息を吐き出し、振り返る事なく椅子に腰掛けて頭を抱えた。
「……残りは」
「あなたへのラブコールと求婚の申し立てじゃない?」
「似たようなものだ。全て有効利用すれば一時間は暖がとれる」
「有限資源の無駄遣いね」
「俺が興味のない文章を送ってきた奴らに言え」
グリーンはやっぱり重々しい溜息を再び吐いた。目を通して全て整理し、入隊させる人間を独断で選別しなければならない。偏見しがちな自分なんかよりも、目利きな王自らが選別したほうがよほど国のためにいいと、グリーンは疲れ切った頭と体に優しい言葉をかける。隊員に与えない飴は自分で食べるのだ。
「あなたって本当に嘘つきよね」
「それこそ外見しか見ようとしない奴らの偏見だ。第一、三大欲求に従順な人間は全員偏見で物事を計るだろう?批判したがる生物だしな」
「まぁなんて口が悪い」
このままでは無限ループ、もはや反論する気迫すら失せきった。
机の引き出しから真新しく、そしてほんのり檜の薫りがする木箱を取り出し、グリーンは楽しみにしていた黒い噛み煙草を最悪の気分で口にする。
「なにそれ?」
いつの間にかグリーンのベッドを陣取っていたブルーが尋ねてくる。今しがた引き出しにしまい込んだ有害物質の塊のことだろう。
横になって枕を抱きしめているその姿は誰もが興奮しそうなほど官能的で可愛らしく、しかし色恋沙汰には全く興味がないグリーンはその光景を一瞥してすぐに書類をがさがさと整理し始めた。ニコチンが唾液に混じって全身に行き渡り、ほんの少し心が安らいだ気がする。
はぁ、と溜息を吐いたところで、ブルーがかまって欲しそうに騒ぎだす。うるさい。
「何よ、手伝ってあげようと思ったのに!」
「条件は?」
「一緒に寝ましょ!」
「帰れじゃじゃ馬」
グリーンはベッドから離れようとしないブルーを引きはがし、部屋の外に捨て置くとバタン!と素早く扉を閉めて鍵をかけた。
そのまま扉に頭をゆっくりと押し当て、誰にも聞こえないようにぼそりと呟く。
「……俺はお前を幸せにする自信なんてないんだ」
噛み煙草を落とさないように息を吐き、暗い星空を天窓越しに見上げる。
まるで絵画のような星空の中を、一筋の光が駆け抜けて行った。
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