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長編小説


カーペットに特大の毛玉ができそうだと、グリーンとレッドを見掛けた給仕の一人は呟いた。
一つ数十万もする紅茶のポットに一杯数万円の茶葉を使った紅茶、そして極めつけには一セットで数百万もする紅茶のカップとソーサーをトレーに乗せ、それらを全く揺らす事なく、給仕は苦笑しながら息を吐いた。自分以外の給仕も兵士も皆似たような表情を浮かべている。中には驚いて硬直するものや、この城に就いて初めて王子を間近で見たのだろう、失神しかけて同僚に背中を支えられるものもいた。それでもトレーを5゚以上傾けようとしないところに、彼らの勤勉な精神が伺える。


「(飽きないよなぁ……ほんと)」


給仕は呆れたような笑みを浮かべ、二人が曲がり角を過ぎるまで一拍置き、その姿が見えなくなったところでもう一度歩き出した。紅茶を零さないように運ぶ技術は将来と財布のためと自分に言い聞かせ、一つにまとめた長い金髪を軽くなびかせる。
身に纏う給仕服が妙に似合うその少女は、慣れた仕草で廊下を進んで行った。



◇◇◇



変わって今度は王子の自室。
グリーンは扉を乱暴に開いて中に入ると、天蓋から薄いベージュのレースが垂れ下がる巨大なベッドにレッドを放り投げた。縄の結び目を外してから投げたので、これまたサーカスのピエロのごとく回転がかかる。見事な六回転を見せて貰ったところで、グリーンは少し涙目になりながら口元を押さえるレッドを見張るようにと、近くに待機していた侍従に合図を出した。
いいんですか?と侍従の一人が不安そうに尋ねてくる。どうせ自分達では役不足になるかもしれない、ということを危惧しているから出た台詞なのか。
遠くから足音は聞こえない。グリーンはだだっ広くて明るい赤色と金色の光景に包まれた小さな檻を見回して大体の憶測を立てる。自分がこの間抜けを連れて帰ってくるまでの時間を熟知しているであろう少女が、こちらに向かって来ている事を信じて。


「10分以内に給仕を一人寄越す。……そいつに全てを任せろ」

「だ、大丈夫なんですか?」

「心配いらない。その給仕はコイツに対してなら"無敵"だ」


とにかく自分も自室に戻ってゆっくりしたかった。これから一時間したら無能ばかりな隊員の稽古を、木剣を構えて監督しなければならないのだ。部屋の中でただ惰眠を貪り、最近買った噛み煙草を横になりながら読書がてらに試食したくても国防に関する公務なので無視はできない。これから先の詰まったスケジュールを記憶の中で整理し、重苦しい溜息を吐く。今着ている鎧も剣も、ただただ疲労感を助長しているように思えてきた。


「お前達も、そいつが来たら別館でしばらく休んでいて構わない。……夕食まで時間はある」

「り、了解しました」

「よし、俺は寝る」


うーんと伸びをすると同時に、じゃらじゃらと音を立てて鎖同士が擦れた。やかましい。
観念したのか気持ち悪いのか、ぐったりと動かずにタオルケットの中に包まるレッドを一瞥し、そしてようやくグリーンは予定外の仕事から解放された。




入った時とは打って変わり、扉を無音で閉めたグリーンは大きなあくびを漏らした。走り回る人間を捕まえるには当然、自分だって走らなければならない。肩や腰にのしかかる疲労は結構なもので、レッドを呪う前にまずはとにかく横になってズブズブとベッドに沈みたかった。歩くことすら億劫だ。
と、重い瞼を開いた視界の中、角を曲がってこちらに向かってくる給仕が見えた。腕に抱えるトレーの上には薄く湯気の立つポットとカップもある。視線をもう少し上に向けると、今度は見知った腰まである長い金髪がなびいていた。間違いなく例の無敵の給仕だ。
グリーンはついに安堵の溜息を吐くことができた。その場に座り込んで安眠したい気持ちをぐっと堪え、さっさと給仕の近くまで歩み寄る。じゃらじゃら。やかましい。


「あ、グリー……総隊長さん!」


こちらの接近にようやく気付いたのか、金髪の給仕は慌てて頭を下げた。振動でトレーが少し揺れ、カップがトレーと一緒に乾いた金属音を奏でる。
なんとも調子の狂う呼称だ、とグリーンはひとりごちた。


「普段通りで構わん。お前が優秀で助かった……急いでレッドをぶん殴ってこい」

「はい、グリーンさん。……殴りませんけど」

「ああ、どうせただの本音だ。無視で良かったんだが」

「余計タチが悪いですよ」


給仕はぷんすかとご機嫌斜め、頬を膨らませてグリーンに説教もどきを垂れる。
グリーンは観念したように両の手を胸の前で振り、宥めるように悪かったと繰り返した。


「俺は寝てくる。期限は二時間だ。そしたら本当の説教係を送り付けるからな」

「ブルーさんも大変ですね……解りました」


給仕は虫も殺せないようで男はしっかり撃墜できる笑顔を向け、再び一礼して俺の真横を通り過ぎる。そんなにあのバカボンが好きなのか、とグリーンは頭を掻いた。
もう一度零れるあくび。そろそろ限界も近いので、グリーンは思考をまっさらにしながら角を曲がって行った。



◇◇◇



コンコン、というノックの音が部屋の空気を震わせる。侍従二人組は互いに目で会話し、観念した片方が扉をゆっくりと開いた。
どちら様で―――と言いかけて、その声が霧散する。
右よし、左よし。しかし誰もいない。なんだ?と首を傾げ、侍従は不思議な感覚に囚われつつも扉を閉めた。
すると再びノックの音。今しがた開け閉めを繰り返したノブを見つめ、そして相方に視線でヘルプを送った……あ、あの野郎寝てやがる。
侍従は相方に向かって、自前の安い羽ペンを投げ付け、それが安穏そうな額に突き刺さるのを確認してからノブを恨めしく見つめ直した。
お聞かせできないような汚い暴言を胸中で呟き、そして扉を再度オープン。すると目の前ではトレーと紅茶のセットが浮かんでいた。
ん?と侍従が視線を下げる。
そこにいたのは、両腕をいっぱいに伸ばして必死にトレーを掲げ、自分の存在をアピールする給仕の姿があった。
やっべーよやっちまったよ。と侍従が呟いた瞬間、赤いインクの染み付いた羽ペンと、先ほど自分が胸中で吐き出した暴言が返ってきた。


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あきゅろす。
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