[携帯モード] [URL送信]

長編小説

 


―――喧騒の多い雑踏の中を、薄汚いローブが疾走する。


正確には、"薄汚いローブを羽織った少年"が、人々が行き交う商店街道のど真ん中を、その小さな隙間の現れる瞬間を狙って通り抜けていた。
長い時間走り回っているようで、その呼吸は既に荒い。
せわしなく動かす両の足には、何かを畏れているかのような焦燥も感じられた。
その影は、ふと何かに気付いたように一瞬だけ立ち止まった。それからすぐに、左を向いてまた駆け出し始める。
細い裏路地を通り抜け、大きなゴミ箱を飛び越え、そしてまた街道に抜け出ると、城の反対方向目指して疾走する。
この一連の行動、それはあまりにも奇異な光景であるはずなのに、人の波はその光景を気に掛けることはない。それどころか、そんな人物など存在しないかのように時が進んでいる。
日常の光景にすっぽりと、それが当てはまってしまっているからだろう。ある国民――仮にAとしよう――からすれば、「ああ、いつものことか」というように。

その光景は、普段となんら変わることはない。



◇◇◇


同時刻、共和国カントー城内二階の廊下にて。


深紅のカーペットには金糸の刺繍がなされ、床と壁面を占める物質は高級な大理石。
天井から室内を照らすのは、生産と流出が近年から始まったガラス製のシャンデリア。
それら全てが曇り無く磨き上げられていて、その掃除の徹底さと質の良さが伺われる。持ち主から見れば、懊悩することといえば維持するための金銭と環境だけであろう。

その、歩くだけで犯罪者として捕まってしまうんじゃないか、と思えるほどに清廉な廊下の中を、一人の女性が通り過ぎていった。
栗色の長い髪に青い瞳は、この国の人間であるということを象徴しているように見える。して、その女性のスレンダーな体型は、性別年齢を問わず、ほとんどの人間が感嘆と嫉妬の溜め息を漏らすであろうほどに見事なものであった。

しかしその姿を見留めるのは、時たま反対側の通路から交錯する侍女、もしくは高官の人物だけだ。このバカに高級な廊下を通ることができるのは、まさにこの国に多く貢献する、している人物だけなのだから。
女性は髪を軽く払い、それから目的の部屋の戸を前に立ち止まった。
拳を作り、ノックは二回。コンコン、と乾いた音を立て、欅で作られ漆を塗られた巨大な戸が振動する。
だがしかし、中からの返事はない。女性は眉根をほんの一瞬だけ吊り上げて―――何を思ったのか、またすぐ真顔に戻る。
もう一度、その戸をノックした。もちろん、返事など聞こえてこない。
ついに、その額に青筋が浮かんだ。持っていた手帳を右脇のポケットにしまい込み、ドアノブを捻って内側に引いた。あまりに勢いが強すぎたのか、開いたあとの扉が反動で大きく内側に反り返る。
……しかし、その部屋の中にいたのは、鎖を主体に作られた鎧を着ている近衛隊の兵士が一人だけ。

青筋が一本増えた。


「……これは、どういうことなのかしら?」


怒りを抑えているのだろう、言葉を発した彼女の拳にはだいぶ力が込められている。
その様子を見た赤髪長髪の隊員が、わたわたと腕を動かしながら不安と焦りが混じった声を出す。


「ブルー"ねえさん"……ご、ごめん。気付いたときにはもういなくて、その、」

「言い訳が通ればあなた達は要らないのよシルバー。……まぁいいわ。もうグリーンが向かってるでしょ」


ほんの一角だけ見えた氷山は、思いのほか凶暴のようで。
シルバーと呼ばれた、まだ幼さが伺える顔つきの隊員は身震いする心をどうにかして抑え込んだ。
嘆息するブルーと呼ばれた女性は、もう一度己の髪を払う。
巨大な部屋の窓から見えた青空は、いつもの風景しか教えてくれなかった。



◇◇◇



「――ハァ……ハァ……は、はは!あっははははは!ついに、ついに逃げ出したぞバカヤロー!」


所変わってカントーの城下町。
薄汚いローブを被った青年は、一人息も荒く高々とそう叫んだ。
動かす足は止めず、裏路地に当たる細い道をくぐり抜けていく。なんだ余裕じゃないか、と青年が意気揚々に振り返った状態で走っていると。


そのすぐ、目の前から現れる人影に気付くことが出来なかった。


ドスン!という何かのぶつかる鈍い音が、薄汚れた路地に広がる。
もちろん立っていられるわけもなく、青年ともう一人は砂埃をあげて尻餅をついてしまっていた。
痛がるように腰をさする青年を尻目に、反対側から走ってきた人影は猛然と立ち上がって声を張り上げた。


「いってぇ……誰だアンタ!前をちゃんと見て走れよな!」

「あ、ご、ゴメン」


その剣幕にのされるように、青年はついつい謝ってしまった。
痛覚の方を最優先にしたかったものの、そう文句を言われては言葉を返すしかない。立ち上がってローブをはたき、ちゃんと謝り直そうと、もう一度頭を下げようとした。
しかし、その人影は慌てていたようで、こちらが謝るのなんて待っていてはくれないらしく。
砂を払うのも忘れたように、しかしこちらと衝突したことを今更思い出したように、あたふたと足踏みを始めた。
そこでようやく気付いたのだが、遠くから何か怒号のような、そんな叫び声が聞こえてくる。どうやらその声の主と一悶着起こしたのだろうか……?


「ッ、ああもう!俺急いでるんでもう行くわ!――今度からはちゃんと前見ろよ!」

「え?」


しまった。集中してたせいで何を言っていたのかが分からなかった。
訊き返そうにも、その影は既に目の前から忽然と姿を消していて、確認しようにももう出来ない。
……仕方ない、今のは忘れよう。と現実逃避を謀ると、青年は再び駆け出そうとする。腰を屈め、脇を閉じ、深呼吸をして、よー……、


「………………………………、」


なんでだろう、足が前に進まないなぁ。
ああそうか、腰が掴まれているからかぁ。あはははは。


「………………………………、」


ゆっくりと立ち止まり、青年は恐る恐る己の腰の位置に視線を動かす。
そこに存在したのは、直径が十センチほどもありそうなほどに太くよじれた一本の縄。明らかに巨大な動物を捕獲するのに使うためのものだ。そして、青年は巨大な動物ではない。


「さて、大人しく縄にかかれ」

「もうかかってますけど!?」


近くで囁かれた言葉の放たれた方向を確認し、再び青年は振り返る。
その眼に写ったのは、ツンツンと尖った茶色の髪に、深い緑色の鋭い瞳。そして、"使い古されている"鎖製の鎧。
同い年のようで、けれど少し大人びているようにも見える、青年の幼なじみ。


「冗談が言えるほどならば、まだ懲りていないんだろう?よし、今すぐそのどてっ腹に風穴を空けてやる」

「ちょっと待てお前!俺を守るのがお前の役目じゃないのかよ!?」

「嫌だなぁ――レッド。三割方冗談だ」


半分以上本気じゃないか。


「このヤロ……グリーン!」

「ああすまん、全部冗談だ。さ、帰ろうか」


ローブを被る青年をレッドと呼んだ、そして同じく、グリーンと呼ばれた顔つきの良い兵士は楽しそうに喋り出す。捕まった事でふて腐れたレッドを縄で縛り上げたまま。


いつも通りの日常が動き出す。


[次#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!