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長編小説



真っ赤に滴る液体が一滴二滴、ぽたぽたと細身の刀身を伝って床へと落ちていく。
その場にいた誰もが少年の末路を悟り、そして誰一人として現場をその目で見ようとした者はいなかった。凄惨な光景に目を瞑るしかなかったのだ。
だからこそ、


「んな……ッ!?」


小さな驚愕の声を漏らした人物が誰かに気付くのがやや遅れてしまった。
何が起きたんだ、と店の常連たちが一人、また一人と恐る恐る瞼を開いていく。その先に、彼らが悟ったはずの現実はなかった。


「なんだお前、知らなかったのか?こんなゴッテゴテの装飾品モドキなんぞぶら下げて大いばりしてるくせによ」


嘲笑を含んだ今度の声は聞いたことがある。光景を確認できたクリスを含む全員が、その姿にただ驚いた。
兵士は確かに剣を振り下ろしていた。大上段からの、正確な中心線を叩き切る鋭く冷たい軌跡には何の狂いもなかったのだ。脳から股下までを両断し、無惨にも血飛沫を部屋中に散らすその未来に、兵士すら何の疑いも持たずにいた。
だからこそ、余計に現状が信じられなかった。
少年の右手からは赤黒い血が流れてはいるものの、致命傷には見えず、むしろ平然としている。そして、少年は"右手"のみに傷を負っていた。
さらに信じがたいことに、兵士が振り下ろした剣は少年の、頼りないその素手にすっぽりと握り締められていたのだ。
ありえない。
いつの間にか兵士はそう呟いていたようで、剣を握ったまま不敵な笑みを浮かべている眼前の少年は勝ち誇ったように話し出す。


「まさか刺突用のドレスソードで俺を切るつもりだったのか?んなことしたって骨は切れねぇし、第一そいつの分類はレイピア――今言った通りに突き刺して使うもんだ。んな常識知ってねぇでよく兵士やってこれたな」

「ま、まさかお前、最初から知ってて……」

「フットマンズなんか持ってこられてたら、目の前でケンカなんか吹っ掛けるかよ。そりゃレイピア突き出されてたら死んだかもしれねぇけどな」


自分よりも剣のことに詳しい少年は、ベラベラとこちらの欠点を喋り、暴きだしていく。
まさかこんな結果になるとは思わなかったので、油断していたシルバー自身のミスも当然この状況を招いたのだろうが、それにしたっていくらなんでも情報を持ちすぎている。
そう、知識があるのだ。一般市民が熟知する分にしては加減がないくらいに。
少なからずの恐怖すら覚え、兵士は剣を引き抜こうと力を入れる。すると、少年はあっさりその手を離した。勢いがついて後方にややよろけるもすぐに体勢を立て直し、剣に付着した血を左右にひゅんひゅんと振ることで吹き飛ばす。


「ちゃんと拭かねぇと血糊で錆びるぞ」

「……大きなお世話だ」

「ほーう、そうかい。んじゃ、次は俺の番だな」


動作は一瞬で完成した。は?と兵士が言葉の意味を完全に理解する前に。
カカカカ!という奇妙な連結音が、少年の手元から鳴り響く。
瞬間、兵士の耳元をちょうど掠める軌道を通り、一本の長い棒が顔の右横を一直線に通過した。
あまりの早業に目が追いつかない。先程感じた恐怖感は、ついに本物となった。


「よう、次は眼球抜くぞ」

「……ッ!」


おそらく、反応できる速度ではあった。だがいかんせん体がまともに動かない。それはおそらく、驚いた途端の出鼻を挫かれたからだろう。そんなことは分かっていた。
少年の構えは明らかに素人そのものだが、その双眸はこちらの目、一点だけをじっと見つめていた。目を離すものか、と低く唸る獣のように。
だが、そんな緊迫した空気の中にやや遠くから、目前の少年の名前だろう声が叫ばれた。
声の出所。そこに誰がいるかは知っている。自分がここに来た理由の元凶だ。
兵士は右手に握る細身の剣を――やや不満そうに一瞥したあと、銀細工の施された鞘にすらりと納めた。少年も不満げにカウンターと兵士を交互に見比べた後、構えていた多節棒をカチカチと縮めて腰に仕舞う。


「はぁ……興冷めだ。だがよ、クリスにまだ手ぇ出すってんなら……」


違和感。
まさかこの男、自分が『補導しようとしている』などと思っているのか?


「いや、まさかお前、何か勘違いをしてないか?」

「はっ、何をすっとぼけて……」


緊張感がほどけていくのが分かった。そして、今までの行動の中で分かったこと。それは、彼女の存在が少年にとって大切なものなんだろうということだ。
そして、そう喋る少年の身に纏う空気に、兵士はえもいわれぬ確信を抱いた。
やはりか、と小さな呟きを漏らすと、鎖帷子の内側から一枚の折り畳まれた羊皮紙を取り出して少年の目の前に差し出す。


「クリスタル……だったな。君宛てに、国から召還状が出ている。ポケモンの密猟者を捕縛、通報した功績を讃えたいそうだ」


兵士の口から漏れていく、そのあまりにも平和すぎる言葉の数々に、なによりも少年自身が見て取れるほど困惑しだした。


「え……何、逮捕したいとかじゃなくて?」

「あ、ああ」


呆気にとられて声も出ないのか、少年の顔には若干の焦りが見て取れた。
奥で驚いていたクリスタルが、恐る恐るこちらへと歩み寄ってくる。兵士は持っている羊皮紙をカサカサと開き、そして国王のサインと文面をぐいっ、と見せ付けるように突き出した。


「これで、誤解は解けたか」


兵士は呟くように言った。
しばらく申し訳なさそうな表情を浮かべていた少年だったが、ふと兵士が視線を下にずらすと、少年の右手が強く握られているのが分かった。あまりの力に手が震え、爪が食い込んで作られた新たな傷から、再び血が滴っている。
おい、と兵士は声を掛けた。


「お前、何を……」

「だめだ。クリスを連れては行かせねぇ」


少年は、左手がクリスの行く先を遮るように持ち上げながらそう言った。


「俺が何よりも国が嫌いな理由を教えてやるよ。お前の勤めるクソったれな場所を海に沈めたいほどに恨む理由をな」




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