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手放したのは、光と慈愛

(手放したのは、光と慈愛)
愛したのは、片割れと深遠




ヴァニタスがいつもと違う。そう思ってからどれぐらい経ったのか…。耳に届くのは優しく軋むスプリング。


『ヴァニタ、ス…っ』


突き放すだけの腕があたしの身体を抱いている。腕だけじゃない、指も目も唇も…あたしに向けられる全てが優しくて甘い。初めて彼に抱かれた日から一度だってそんな事はなく、強引で暴力的で、一歩間違えれば強姦としか思えない程だったのに…


『ヴァニタスっ…ん、あ…ッ』


優しく扱われるなんて慣れてなかった。傷め付けられる事が愛情なんだと教え込まれたあたしの身体。それが今は物足りなくて、優しくされたいと願っていた筈が逆に不安になって涙が止まらなくなる。


『何で泣くんだよ…』


降ってきた言葉はあたしにも答える事が出来なかった。唯一つ分かる事は、流れ落ちる涙は決して嬉しさから落ちる涙ではない事。触れる温もりを感じたかった。それが今はいつもより冷たいものだったから、後悔が押し寄せる。矛盾…あたしは矛盾している。優しくされる事が逆にあたしから体温を奪うと感じる。


『ふ、うあ…嫌ァ…』


零した言葉にヴァニタスは怪訝そうにあたしを見る。ヴァニタスがそんな表情をするのは尤もで、されても仕方がない事。毎度身体を重ねればあたしが優しく扱ってと懇願していた姿をヴァニタスは知っているから…


『お前は、優しくされたいんだろ』


指先が頬を滑り、その指が零れる涙を拭ってくれる。そんな仕種さえもヴァニタスじゃないみたいに、優しくて柔らかくて…。でもそれは愛情なのか別のものなのか分からなくて、辛い


『優しく、しないで…』


気付いたらそう言っていた。優しさがこんなに辛いだなんて思ってもみなかった。何より柔らかく笑うヴァニタスが違う人に見えてしまった。怖くて怖くて、痛みで忘れさせて欲しいとヴァニタスに必死で手を伸ばす


『…我が儘な奴だな』


『だって………あァっ、』


確かに受け入れたヴァニタスの熱に身体が震える。冷えた体温を一気に上げるが如く、熱い。


『最期ぐらい優しくしてやりたかったんだがな…』


『…え………』


落とされたその台詞を最後に、全身が痙攣してしまう程の波が押し寄せ、あたしは声にならない声を上げるしかなかった。熱いヴァニタスの温度が心地好くて、ぎしぎしと痛む身体は快感に震えて、何も考える事が出来なくなった途端に意識が宙を舞った…


『ヴァニタス……』


『寝てろ、って言っても怠くて動けないだろうがな』


あれから、どれぐらい眠ってしまっていたのか…


うっすらと陽の差し込む部屋であたしは目を開けた。見えたのは愛しいヴァニタスの背中…。彼の背中には傷がある。あたしが付けた赤い傷。意識を繋ぎ留める為に、突き立てた跡がずっと消えずに残っている。


『ヴァニタス…良かった…』


『何が』


その背中に指を這わせて、背中に身体を擦り寄せた。触れられる事を嫌うヴァニタスだけど、この時だけヴァニタスは振り払おうとはしない。だからあたしはこの瞬間に目一杯甘える事を覚えた。あたしがヴァニタスの背中に擦り寄るとヴァニタスは顔を横に向けてあたしに応える。珍しく視線もヴァニタスの背にいるあたしに向けて


『だって、今日のヴァニタス変だったから…。急に優しくするし、最期だなんて言うし…』


『そんな気分だった。それだけだよ』


本当に、本当にそうなら安心出来る。ヴァニタスは冷たいけど、嘘は吐かない。だから、彼がそう言ったのなら、あたしは信じる。それと同時に、身体を重ねた時の優しさがあたしの勝手な思い違いで不安になってしまったんだと思う事にした。ヴァニタスにも、優しくしたいって思う事があるんだ…なんて思いながら


『ねェ、今も、そんな気分なの』


もし今も、そんな気分でいるのなら…。未だあたしに優しくしてくれるのなら…


『キス、したいよ…ぎゅうってされたい』


優しさが、決して不安なんかじゃないって、訂正させて欲しい


『ナマエ…今日だけだからな。次はない…』


『ん…』


ヴァニタスの左腕があたしの身体を引き寄せて、唇が重なる。ぶっきら棒で強引だけど、ちょっとだけ初々しいヴァニタスのキス。貪られて、唇を噛まれる事のない甘いキス。そんなキスに慣れていないのか、ヴァニタスの唇は少しだけ震えていた。


『ヴァニタス…ずっとずっと、離さないでね』


服を着ていないヴァニタスの胸に手を当てれば脈打つ鼓動。抱き締められた事なんて一度もない。いつもあたしが縋り付いていたから。だけど彼はあたしを包んで、あたしはヴァニタスの胸に耳を寄せている。


『あたしはずっとずっと、離れないから…』


ああ、傷みだけが幸せなんかじゃない。ヴァニタスになら何をされても良いと思っていたけど、何をして欲しいと強請るのもたまには良いと思える。ヴァニタスに抱き締められて、このまま朝を迎えてみたいと、そんな我が儘さえ今なら許されるんじゃないかと思えた…


『ねェ、ヴァニタス……』




ずっとずっと、離れたくないよ…


ヴァニタスの返事を聞く前に眠りに落ちてしまったけれど、慣れない手つきで髪を撫でる彼の指は擽ったくて心地好かった…




『う、ん……ヴァニタス…』


次に目を開けたのは太陽がすっかり姿を現してしまった時間帯。殆ど裸同然のあたしを包んでいた温もりはいつの間にか冷えている。在るのは静寂と気怠さと正反対な空の青さ


昨夜部屋に入った時から何一つ変わらない家具の配置。元より睡眠を取る為だけ、身体を重ねる為だけに作られた部屋だったから家具は必要最低限しか置かれていないけど、傍にいた筈の彼がいなくなっている事は一番に気付いた。


『また、仕事なのかな…また、暫く会えないのかな』


ヴァニタスはいつも、突然居なくなって突然帰って来る。あたしの予定なんて恐らく彼にはどうでも良い事。否、何があってもあたしはヴァニタスを優先するという事が分かっているからかもしれないけど…


でもやっぱりヴァニタスの居ない部屋は気持ち悪い。陽の差し込む部屋はヴァニタスという闇を追い払ったかのように見えてしまう。


『そうだ、ヴァニタスが仕事から帰って来るまでにお掃除しちゃおう』


掃除なんてしてもしなくても、この部屋が変わる事なんてない。精々ヴァニタスにいつ襲われても良い様に床の上に危ないモノがないか確かめるぐらい。だけど危ないモノを拾う以前に落ちるモノが何もないから困る


そもそも、あたし達には私物がない。いつかヴァニタスがあたしの目の前から消える日が来た時に残ると辛いから、わざと置かなかった。ヴァニタスに限ってとは思っていたあの頃は何だったんだろう。いつヴァニタスに捨てられてもおかしくなんかなかった筈なのに、いつあたしがヴァニタスの前から消えてもおかしくなんかなかったのに。


『ねェ、ヴァニタス…』


あたし達はきっと、お互いの足りない部分をお互いの闇で埋めていたんだよ。


貴方はきっとそんな事ないと言うと思うけど、ヴァニタスは足りない部分を補う為にあたしを抱いていたんだよね。


貴方はもう、足りない部分を埋める何かを見付けたんだね…


『埋まらないよ、あたしは…』


辛いのは自分を補う彼がいなくなった事なんかじゃない。本当に辛いのはあたし以外が彼の隙間を埋めてしまう事。ヴァニタスの隙間を埋めてあげられるのはあたし一人だけ、そう思っていた甘さが憎い


憎い感情だって、ヴァニタスが教えてくれた感情だから…。結局、あたしはヴァニタスから離れられないのに


『こんな事なら、殺されておけば良かった』


貴方に殺されるのなら、あたしは笑って死ねる


















(片割れと融合して一つに)


そしたら今度こそ、優しくしてやれる



















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100212めぐ(100319訂正)
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あきゅろす。
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