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ソラが無事なのかは分からなかった。もしかしたら既に闇に飲まれているのかもしれない。だけどヴァニタスに言われた通りにやるしかない。ソラを救う事にも繋がるのならあたしがやるしかないのだ。
『ナマエ、』
『うん。大丈夫…やってみせるから…』
ヴァニタスも一緒に、元の世界に帰る。失敗は許されない…そう思うと、世界の闇に負けてしまいそうなぐらいに身体が震えるけれど、でもあたしは一人じゃない。ソラとヴァニタスが居る。場所が違うだけでカイリちゃんやリクだっているんだ。
『だから…キングダムアイランドに帰る…っ』
ヴァニタスが闇を鎮めてくれているからかは分からないけれど、願った瞬間に見えたのは一筋の光の道。作られたその道は今にも消えそうな程に狭く細いものだったけれど、あたしの足は勝手に走り出していた。
『っ、は…はあ…ッ』
走る事は余り得意じゃなかった。けれど火事場の馬鹿力と言うべきか、もう後がないと思えば足はいつもの何倍も稼動する。あたしが二人を連れて帰る、なんて大袈裟かもしれないけれど、だけどその時は本当にそう思っていたんだ。
『っきゃ…ッ』
光の道を走っている中、急な突風に足元がふらつく。ぐらりと身体が揺れる中で目の前の光が闇と混ざる。
急がなければ…
そう思う気持ちとは裏腹に身体はどんどん光から引き離される。ヴァニタスが闇を鎮めてくれている間にこの闇から出なければならないのに、自分の無力さ故に辿り着く事が出来ない事に悔しさが溢れ出した。
風は止まない。あたしを拒否するかのように身体に纏わり付いて離れない。あたしが遠くなって行くのか、光自身が小さくなっていくのか、目に映る光は後僅か…
『ソラ、ヴァニタス…皆…』
目も開けていられない、突き刺さるような風に身を任せて諦めてしまえばどれだけ楽なのだろう。諦めるのは簡単だ。唯瞳を閉じて、心を鎖せば良い。抑、どうしてあたしが、と不満を垂れれば良い。尤も、不満を垂れるまであたしが生きているかは分からないけれど。
『馬鹿野郎…っ』
『っ、ヴァニタス…ッ』
ぐい、と身体を引かれて元の体勢に戻される。風に吹かれていたあの間は時間がゆっくり流れていたのかと思うぐらいにヴァニタスの腕は力強かった。そのまま腕を引かれ、光の道を二人で走る。
目の前に誰かが…導いてくれるだけで安心するのはどうしてだろうか。
『お前は帰すと決めた。死なせやしない…例え俺が消えようとも』
『え……』
あたしに背を向けながら呟いたヴァニタスの言葉に時が留まったような気がした。一緒に帰れると言っていたのに、どうして今更そんな事を言うのか、身体から力が抜けるような、それでもヴァニタスはあたしの足を留めさせてはくれなかった。
『何でっ、やだ…っ、嫌だよヴァニタスっ。3人で帰れるって言ったじゃない…ッ』
『…オトナってのは、平気で嘘を吐くんじゃない』
駄々をこねるように立ち止まろうとするあたしの腕を引きながらヴァニタスは言う。
『大切な人を護る為に、オトナは嘘を吐くんだ…』
『っ、やだ…ッ、ヴァニタスも一緒じゃなきゃ嫌だ…っ』
この場にいるのがあたしじゃなくてソラだとしても同じ事を言っただろう自信があった。どれだけ闇に染まったヒトでも、根本はあたし達と同じヒトなのだから。大切な人を護る為に嘘を吐く…それならば嘘を吐いた本人はどうなるのか…
『行け、ナマエ。お前はソラと帰るんだ』
『嫌だってば…っ、どうして…どうしてあたし達の為にヴァニタスが…っ』
光の集中している場所に着くと、あたしを押し込むようにしてヴァニタスがあたしの肩を掴む。勿論、温和しく押される訳にはいかないあたしは寸でのところで踏み留まるのだけれど、踵はじりじりと光へと吸い込まれる。
『言ったろ、お前は死なせない。この約束を、今度は何があっても守る』
『だからって…っ』
だからってヴァニタスだけがこの暗闇に残されて良い筈がない。彼は今までだってこの暗闇の中に一人で存在していたのだ。あたしなら気が狂ってしまいそうなぐらい孤独で寒い、この暗闇に。
『俺はあいつを護れなかったんだ。それにこの闇は、俺から離れてくれそうにもないからな…』
『っ、そん…な……』
自身の目を疑った。あたしの肩を掴むヴァニタスの足元から伸びる幾本もの黒い手。ヴァニタスを離すまいと足元から上半身に掛けてヴァニタスに絡み付いている。その手があたしにまで伸びて来て、思わず後退りしてしまった。
その瞬間…
『あ…っ』
がくん、と足元からゆっくりと後ろへ沈む。忘れてはいない筈だった。分かっていたのに、あたしの身体は光の集まる場所に半分以上浸かっていた。急いで戻ろうとするのだけれど、後押しするようにヴァニタスがあたしの身体を光の中へと押し込む。
則ち、それは
『じゃあな、ナマエ。ソラを頼む』
あたしが、あたし達だけが元の世界へ帰ってしまう。ヴァニタスだけを残して…
一緒に帰れると言った、彼を一人置き去りにして…
『っ、嘘吐き…ッ、ヴァニタスの嘘吐き…っ』
苦し紛れに叫んだ言葉に、うっすらとヴァニタスが笑う。その笑顔が、見惚れてしまう程に綺麗で、悲しいものだったから、世界が数秒だけ静寂を生んだような思えた。
『やっと…会え……、……に』
最後の最後に、安らかに笑った彼の言葉を聞き取る事は出来なかったけれど、彼は最後にあたしではない人の名前を呼んでいた
それはきっと、ヴァニタスが本当に護りたかった人の名前…
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