Eidolon
(街角Twilight-5-)
忘れたのは、大事な何か
『ふう…』
荷物を部屋の中心に置き、備え付けられたベッドに腰を降ろして息を吐く。思えば電車を降りてから初めて座ったような気がし、目一杯に手と足を伸ばした。
『ナマエにはちょっと勿体ないぐらい豪華、かな…』
外観は言わずもがな、足を踏み入れた瞬間に見えた廊下や足早ではあったが2階の広さ、それに皆の集まる広間も想像していた家賃相応の民宿とは掛け離れた豪華さに追加料金を心配してしまう程。
『皆と上手くやって行けるかなァ…』
矢張りどうしても心配せずにはいられない生活環境、中でも人間関係の良し悪しで今後が決まると言っても過言ではない。慣れれば慣れる程に周りを知り、自分もまた曝け出す事になる。
『上手くいくように頑張らなきゃ』
そう呟くと仰向けにベッドへと背中を倒し、白い天井に視線を向ける。柔らかいベッドは前日から緊張の糸を張り巡らせていたナマエに安らぎを与え、横窓から見える夕暮れの淡さはその糸を少しばかり緩めてくれる。
『綺麗な夕陽…だなァ…』
見ていて飽きないとは正にこういった景色を指すのだろう。淡さを醸し出す白く薄い雲、穏やかに流れる風に身を任せてゆっくりと形を変える。何と言っても夕暮れを表す橙と夜を表す群青が混じり合うその瞬間の色はナマエの視覚を奪ってしまう程に惹かれた。
『…あ、駄目…寝そう……』
呟くより早く、ナマエの意識は橙と群青の間へと落ちていく。
『どこに、行ったのかな…』
何かを探している少女が闇の世界にいた。一枚の服を纏い、裸足のまま暗い闇を歩いていた。落としたのか取り上げられたのか、視線を忙しく動かしては光も射さない道を唯歩き続ける。
『折角貰ったのに…』
泣き出しそうな声、寂し気に窄む背中に声を掛けようにも声が出ない。ならば背を撫でてあげようと手を伸ばそうとしてナマエは気付く。
あれ、ナマエ…手が、身体がない…
冷静に考えれば夢の中にいる事などすぐに分かる事も身体のない恐怖に動揺してしまう。
『あれが…ないと…、がな…と…め、…に…』
声を拾おうにも徐々に聞こえなくなる言葉、姿を追おうにも深い闇へと消えて行ってしまいそうな少女の姿。
行ったら駄目…戻って来て…
直感でそう思った。このままでは言葉も届かない、身体もない自分の存在が完全に消滅してしまう…
助けて、助けて…ナマエの…
『ナマエ』
『っあ……ッ』
誰かの名前を呼ぼうとして物凄い勢いで意識を掴まされる。頭がぐらぐらと揺れ、ここが夢の世界なのか現実の世界なのかも分からない程に視界に眩しい光が差し込んだ。
『ナマエ、』
『デミックス…さ、ん…』
頬を滑る手がナマエの意識を徐々に現実へと引き戻す。
ああ、そう…ここは王国荘。ナマエは部屋に居て、デミックスさんが目の前にいて…唇が触れそうな程に近くて…
『…っ、きゃああああああ…ッ』
正に唇が触れそうになった瞬間、完全に現実へと引き戻される寸前、無意識に右手がデミックスの頬目掛けて飛んでいた。
乾いた音と共に聞こえた悲痛な声が誰のものかなど、考える余裕もなく…
(蝶のように舞い、蜂のように刺す)
そんな見事な張り手でした…
(Eidolon)
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091213めぐ(訂正100328)
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