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遠く、近い

(遠く、近い)
触れてみたいと、想う




突如、背中に小さな感触が当たり、小さな呻き声が上がった。燈治は何事かと、上半身だけを後ろに遣る。後ろには先程まで少し後ろを歩いていた筈のナマエが鼻を押さえて、燈治を見上げている。少し悔し気に見上げるその瞳は人間の急所とも言う事の出来る部位をぶつけたからか、少しばかり潤んでいる。


『いや、信号赤だからよ』


一人ならば小走りで渡れば間に合う信号の移り変わりも、後ろのナマエを気遣い、最近では点滅を始めれば立ち止まるようになった。決して無理矢理そうしている訳ではなく、身体が勝手にナマエのリズムに合うように働いてくれる。知り合って数ヶ月、ナマエという存在が燈治を変えた。


『大丈夫か』


『う、うん…燈治君、背中硬いね』


鼻を摩り、痛みをどこかへ遣ろうとするナマエへ掛ける言葉も自然と漏れる。根本的な部分は特に変わってはいない。変わったと思う事もないぐらいに些細な変化、優しい言葉が何の躊躇いもなく出るようになった。言った後でどこか擽ったい感覚を覚える他は、燈治自身に違和感はない。ナマエは燈治の言葉に頷き、涙目で笑って見せる。この笑顔だ、この笑顔が擽ったいのだと燈治は密かに思う。


『鼻の骨折れちゃうかな』


『…馬鹿、んなに硬くはねェよ』


ナマエは無邪気に笑う。少し前までは自分を見るだけで逃げる程だった。後で分かったものだが、それは以前襲われた時に助けてくれた燈治へ感謝の言葉と、助け起こそうとした燈治の手を恐怖心から振り払って逃げてしまった謝罪の言葉を言うチャンスを狙っていたというナマエらしい理由だった。


ナマエと出会い、ナマエを知る。あの時から燈治はナマエの傍にいる。それは、以前のようにまた誰かに襲われる前に助けてやりたいという気持ちと、深く関わる度にナマエを知りたいと思う不可思議な気持ちから。態度には微塵も見せないナマエの深い傷であったが、ふとした拍子、恐怖に顔が歪む事がある。ナマエを深く知りたいと思う気持ちは日を増す毎に膨らむが、燈治からナマエに触れる事は決してない。だからこそナマエは安心して燈治の隣にいる。


『わ、馬鹿っ、やめろ…ッ』


『あ、ごめんなさい…つい…』


意識しなければ大丈夫なのだとナマエは言う。自然と男性に触る事が出来る。然しながら、相手が男性だと認識すると記憶が蘇る。燈治の背中の筋を指先で撫でれば擽ったそうに燈治が身体を捩り、ナマエは笑う。今、この瞬間はナマエに怖い思いをさせていない。背中にぞくぞくとした感触が走る最中も、燈治はナマエを見ていた。


『燈治君、背中弱いんだね』


『……鈍感』


恐らくは他の誰かに撫でられたとしても、押し倒したいという欲求が生まれる事はないだろう。ナマエだからこそ、こうなるのだと、燈治は心の中で呟く。ナマエに対して求めてしまうようになったのはいつからだろうか。触れてはならない相手だからこそ、余計にそう思うのかもしれない。ナマエが少し後ろを歩いている今でこそ、境界線ぎりぎりの位置で爪先立ちを強いられる。


『ほら、暗くならねェ内に帰んぞ。』


『あ、うん…』


ナマエの傍に居たいと思う気持ちと、矛盾した邪な気持ちを隠すように燈治は信号を渡る。その少し後をナマエが歩く。数歩進めば燈治は視線をそっとナマエに向け、ナマエが付いて来ているかを確認してくれる。ナマエが遅れないよう少し早めに歩けば、知らず知らずに歩く速度を落としてくれる。本人が気付いているかは定かでないが、その気遣いがナマエの胸を切なくさせる。


彼は気付かない。彼の背の後ろで、ナマエが数回手を伸ばし掛けた事や、その度にナマエの中に少なからずの恐怖が滲んでいた事を…


『ナマエ、焦んなよ』


『え……』


彼は、気付かない振りをしていた。彼の背の後ろで、ナマエが数回手を伸ばし掛けた事や、その度にナマエの中に少なからずの恐怖が滲んでいた事も。気付けば恐らく、自身に歯止めが効かなくなってしまう。其れ故燈治は敢えて、ナマエの手が伸びていた事に気付かない振りをしていた。


『焦んなくても、俺はちゃんと待ってっからよ…』


『燈治、君……』


本来ならば、落ち着くようにと頭を撫でてやりたい。そんな気持ちすらナマエの前では恐怖でしかない。燈治は薄く笑うと、ナマエには触れないと誓うように、胸の前で両手を力無く振って見せる。そんな燈治の姿を、ナマエは複雑な気持ちで眺める事しか出来ないでいる。


『ごめんなさい…私…本当は、』


本心は、燈治に触れたいと願う。然しながら、伸びる手を無意識に留めてしまう。いつ飽きれられても仕方がないと自身でも理解しているが、それでも燈治はナマエを手放しはしない。身体に触れずとも、目には見えない何かに触れている確信があった。


『分かってるって。だからそれまで、お前には誰も触らせねェよ』


その言葉がまた、目には見えない何かに触れる。


『一番に抱き締めんのは、俺…な…』


焦る気持ちと、不安を取り除いてくれる彼の言葉が、ナマエの顔に少しばかりの笑顔を捧げてくれた。


















(もう少し、後ほんの少しなの)


その時は、抱き締めて笑ってやる



















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100721めぐ
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