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全身の愛

(全身の愛)
手を伸ばして、それで…戸惑う。




幸村様と恋仲になる事が出来て、幾日が過ぎた。恋仲といっても、普段と特に変わらない…幸村様は武田軍の為に力を奮い、私は女中としての仕事を熟す。何か変わる事を期待していた訳ではなく、出来れば幸村様は幸村様らしく、私は私らしく生きる事が出来たら良い。そして、互いの拠り所が互いであれば良いと思っていた。


『幸村様、』


『ナマエ殿っ、待たせてしまったか』


人手が足りていない訳でもないと言うのに、幸村様は夕餉後の見回りを欠かす事がない。町民の様子も見る事が出来ると、幸村様は毎日見回りに出掛ける。私にとっては見回りの時間が逢瀬の時間。一日に一回でも幸村様との時間が存在すると思うだけで幸せ。


『大分、日の入りが早くなって参りましたね』


『うむ。未だ暑いというのに、季節が巡るのは早いでござるな』


未だ汗ばむ陽気でも、夕方を過ぎれば幾分か過ごし易い。幸村様の少し後ろを私は歩きながら、変わる季節よりも幸村様の背中を見詰める。これからどれ程の時を幸村様と過ごす事が出来るのだろうか、同じ景色を来年も見る事が出来るだろうか。想いが通じた途端、不安も増した。彼を想い、彼に悩む…幸せな事なのだろうか、今は未だ分からない。


『ナマエ殿、見て下され』


そんな事をぼんやりと想っていると、幸村様は身体を少しだけ私に向けて、低空を指差す。見れば未だ暑い夕方には少し早い日没。ゆっくりと、地に同化するように溶ける夕陽は私の視線の方向を幸村様から離すには十分な程に穏やかで、雄大だった。


『綺麗ですね…』


『ああ、見事な夕陽でござる。手が届きそうだ…』


あれから、幸村様は少し変わった。外見ではなく、内面といっても根本は矢張り幸村様でしかないのだけれど。幸村様は良く私に話してくれる。他愛のない話だけれど、以前の一歩置いた関係を壊して、踏み出した。夕陽が照らす、幸村様の御姿は幸村様に手を伸ばす事を躊躇っていた私とは違う、先を見詰めている。


『ナマエ殿にもいつか、手が届けば……』


『え……』


その一言に戸惑ってしまったのは、私が勘違いしていた事を頭に伝えるには十分だった。斯様に私が傍にいるというのに、私は未だ幸村様に届いていないのか。届いていると思っていたのは私だけ。言葉から読み取る事の出来た現実は、私一人の勘違いを地に落とすものだった。


だけれど言葉の真意を聞く勇気を私は持ち合わせていない。聞けば恐らく、更なる絶望が待ち受けている。歩く幸村様の背はこれ程までに近いのに、遠くて手が届かない。私の前に在る世界すら遠くて、私の言葉や想いの全てがこの世界に打ち消されていく。暫くの沈黙を守りながら歩けば夕陽はいつしか消え、静寂な月が姿を現していた。


『ナマエ殿、』


『どうされましたか、幸村様…』


辺りを包む闇に救われた。恐らく私は気持ちを抑えて表情を隠す事が出来ていない。たった一言で斯様な絶望に落とされるのだから、私という人間は弱い。否…幸村様と想いが通じる前は始めから諦めていたのだから、弱ったと言うべきかもしれない。振り向いた幸村様はどこか私を心配しているような、私が望まない幸村様の姿が見える。


『少し元気がないようだが、どうかされたのか』


『…いえ、何でもありません』


誰の所為ではない、唯の勘違いが膨れ上がった先の結末を迎えただけ。ならば、私を抱き締めてくれた幸村様の腕や、私を好きだと言ってくれた幸村様の言葉は一体いつ見た夢なのだろう。何でもないと言う私に幸村様は、体調が優れないのか、何か嫌な事でもあったのかと聞いて下さったけれど、私は決して理由を話す事は出来なかった。


『もし何かあったのなら、某に言って下され。某はナマエ殿を護ると、誓ったのだから』


『大丈夫です…本当に、何でもありません…』


幸村様のお優しい言葉が突き刺さる。私の為を想って下さるその言葉は、今は私を苦しめる言葉に変わり、幾ら御傍にいようとも、私達は…私は幸村様には届かない。その現実を隠すように無理矢理口端を緩めるも、幸村様の表情は曇るばかり。幸村様は悔し気に拳を握ると私を見詰め、曇った表情を切な気な表情に変えるとゆっくりと口を開く。


『ナマエ殿…傍はナマエ殿に届く事はないのだろうか。』

どうして幸村様が斯様な表情を見せるのか、私には理解出来なかった。傍にいるだけで幸せだと感じる私と幸村様は違うのだろう。何が、どれ程に届いていないのか、どうすれば幸村様に届くのか…


『ナマエ殿は某には矢張り勿体ないでござるな』


『っ…ゆ、幸村様…ッ』


薄く、幸村様が笑う。一旦伸ばし掛けたその手を躊躇いがちに自分の元へ戻すと、幸村様は私に背を向けて自室への道を一人で歩き出す。その一連の動作を目で追いながら、名前を呼ぶだけで精一杯な私は、幸村様を留める手段も理由も知らない。唯、幸村様へ伸ばした手が弱々しく揺れただけだった。


『幸村様……』


こんな筈ではなかった、こんな事を私は一度だって望みはしなかった。それなのにどうして私達は離れてしまうのだろうか。幸村様の背を追うだけの自分が情けなくて恥ずかしい。


想いが通じた、その後はどうしたら良いのだろうか…


遠くなる幸村様の御姿だけを見詰め、ぼやける視界の中に答えを見つけ出す事は出来なかった…






















あきゅろす。
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