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水溜まり

(水溜まり)
はらはらと落つ、




その日は雨が降っていた。


朝は確かに曇り空。だけど午後から晴れるって天気予報を見て、傘は学生寮に置いて来た。予報だって何だって、確率がある。今日はたまたま外れただけで、それ以上の事はない。天魔だって、必ず現れる訳でもない。唯、予報を信じた俺が馬鹿だったってだけなんだ。


『ツイてねェなァ…』


俺以外のSGメンバーは遠征に行っているから、今日は俺一人でカリキュラムを受けた。つまり、傘を持っている人間は誰もいない。本当にツイてない。


『どうするよ俺、』


寮から帰る道ぐらい、走って帰れば対して濡れる事もないだろう。それにしてもカリキュラムで疲れた身体で、また走らなきゃならないのかと思うと少しだけ億劫になる。そんな時、後ろで足音がして、ゆっくりと振り返ればその姿は良く見知った顔で、無意識に口元が緩む。


『あ、時斗君…今日もお疲れ様』


『あれ、ナマエちゃん。もう帰れんの』


彼女は、月詠学院の新任教師でありSGコースの教官でもある。見た目は俺等高校生と同じぐらいに幼くて、そこらの女子よりも小さい。月詠と天照の伝統である交歓留学の経験もあって、ある意味母校での新任教官。


『ううん、亮ちゃ…あ、と、結崎教官と、皆を待ってるの。今日遠征から帰って来るから』


『亮ちゃんで良いのに。皆知ってるしさ』


この学院でもう何人かいる教官の内の一人、結崎教官とナマエちゃんは謂わば恋仲だ。お相手である結崎教官は学校だろうが何処だろうが、ナマエちゃんが大好きで、愛情表現がやたらと激しい。そんな恋人を持つナマエちゃんと言えば…


『こ、公私混同はだ、駄目だから…』


『律儀だよねェ…ナマエちゃんは』


真面目というか、チキンっつーか。初めて学校にやって来た日に思い切り結崎教官に抱き締められてるところを見たら、もう開き直っても良いぐらいなのに。相変わらず雨は降っていて、ナマエちゃんは小さい身体を伸ばすようにして空を見上げている。


『雨、止まないかな…』


『こりゃ未だ止まないだろうね』


俺の一言で、ナマエちゃんは空と同じぐらいに曇った表情になる。それもそうだ、今日はナマエちゃんの恋人である結崎教官が帰って来る日なんだから。ナマエちゃんは言葉にしてなくたって結崎教官が大好きで…それはそれは降り続く雨みたいに、今の現状は心の中が土砂降りだろう。


『結崎教官達も雨で帰れなかったりして』


『そ、そんな…』


こんな時に、冗談を言ってもナマエちゃんには意味がなく、逆効果だって分かってるんだけど…どうにも虐めたくなってしまうのは男の性ってモンだろう。ナマエちゃんは俺の言葉を面白いぐらいに真に受けて、思い切り不安そうな表情を見せてくれるから、からかい甲斐がある。


なんて、教官相手に悪戯心なんか出すモンじゃないよな…


『冗談、冗談。結崎教官なら走ってでも帰って来るって』


『本当かな…心配だな…』


尚も、ナマエちゃんは不安そうな顔をする。きっとナマエちゃんはそれどころじゃないんだろうけど、俺はこんな時、ナマエちゃんにこれだけ想われる結崎教官が羨ましいと思う。愛する彼女が自分の帰りをこうして待ってくれてるなんて、それ程幸せな事はないから。


『俺ならナマエちゃんの為に走ってでも帰って来るよ』


きっと俺だけじゃない、こんな子を見たら誰だってそう言うに決まってる。この時代にこんなに健気な女の子がいる。俺はきっと色んな意味で見境のない京羅樹教官と熱血漢な結崎教官両方の教育成果が出てる生徒なんだろう。


『ふふ…時斗君、結崎教官みたい』


そんな事を一人思っていると、ナマエちゃんが漸く笑ってくれた。俺と結崎教官を重ねたんだとしても、彼女の笑顔は柔らかくて安心する。それなのに、少しだけ俺は悲しくなったのも事実だった。


彼女には俺が、来栖 時斗に見えているのだろうか…


『えェェ……俺、結崎教官よりモテるよ』


『りょ、亮ちゃんだってモテるよ』


悲しんだ顔を見せていたかと思えば今度は少し膨れて見せる。教官という地位を抜けば、ナマエちゃんは本当に俺等生徒と変わらない。もしかしたら俺等生徒以上にまだまだ子供なのかもしれないな…


『でも初カノはナマエちゃんだろ』


『そ、そうだけど…』


生徒に口で負けちゃあ駄目だろって突っ込みは無しとして、ナマエちゃんの困った顔は割合好きかもしれない。そういった趣味はない筈なんだけど、ナマエちゃんからかってると飽きないっつーか…


『俺の方が格好良いと思うけどなァ…』


『きょ…教官をからかっちゃ、駄目…っ』


口端を攣り上げて、肩に手を回した瞬間思った。


あ、やばい…止まんねェかも…


『ね、結崎教官と別れたら俺と…』


癖になりそうな、この衝動は一体なんなのか。まるで怯える兎を丸呑みする虎みたいに、これ程に先を望む出来事なんて初めてにも思える…


どうしようか、どうしてやろうか…


そう、身体を近付けた瞬間にナマエちゃんの目は見る見る内に見開かれて、だけどその目が俺に向けられていないものだと分かったのは、後ろから聞こえた誰かの足音に気付いた時だった。


『亮ちゃん…っ』


呼ばれた名前は俺の名前じゃなかった。瞬間、ナマエちゃんの身体は俺を擦り抜ける様にして飛び出した。鈍くなった身体は反応に追い付かなくて、唯一動いた瞳で捉えた彼女の横顔に魅入ってしまう。


ああ、綺麗で素直に笑っている…


『わ、ナマエ、お前先帰ってろってメールしたじゃん…っ』


『だ、だってだって…っ、家に一人で居たく…ない…っ』


後ろで服が擦れる音が聞こえて、それは恐らく飛び付いたナマエちゃんを抱き留める結崎教官の服から発した音。俺の後ろには結崎教官がいて、それはナマエちゃんが待ち侘びた大切な人。遠征一つで大袈裟かもしれないが、ナマエちゃんはそれ程迄に結崎教官を待っていた。


『ごめんな、寂しかったろ』


『寂しかった…っ』


何とか動かせるようになった身体をゆっくりと捻って、二人の姿を捉える。SGメンバーがいないところを見ると、先に帰宅した様子が窺える。だから、この場には俺とナマエちゃんと結崎教官だけが存在していて…否、俺は存在していないのかもしれないと思った矢先、


『あー…来栖、もしかしてお前ナマエにずっと付いててくれたのか』


立ち尽くしている俺に結崎教官が目を向ける。驚いた事に、そういった事に疎いだろうと思っていた結崎教官が俺に気を遣っている。これが教官と生徒という立場の違いなのか、結崎教官と俺という人間の違いなのか…後者だと少し、悔しい。


『いや、俺は傘なくて雨宿りしてただけっす』


俺は、そんな結崎教官に対して、これまた微妙な返事。思いの外詰まらなかったのか、口元は笑っていたのかも微妙で、本当に…結崎教官に今日は勝てる気がしない。というか、何時までも結崎教官に抱き着いて離れないナマエちゃんを見ると、これは勝ち負け云々ではなくて、勝負にすらなっていないんだけど。


『そっか…んでも有難うな、こいつ人一倍寂しがり屋だから』


『俺じゃ結崎教官の代わりにはなれないみたいだけど…。まァでも羨ましいよ、結崎教官が。俺も帰り待ってくれる彼女欲しいなァ』


喋り出したら止まらない予感の俺の口は、これ以上喋れば惨めだってのに、次から次へと言葉が溢れ出す。抑、何でこんなに悔しいのかすら、頭に血が昇ってるみたいに思考が回らず理解出来ない。今日の雨と言い、二人のバカップルぶりと言い…今日は本当にツイてないよ。


そう思って、気付かれないように溜め息を吐けば、今まで結崎教官に抱き着いていたナマエちゃんが顔をこっちに向けた。


そして顔を上げたかと思えば、結崎教官に向けるぐらいに満面の笑みを俺に見せて…


『あの、時斗君が遠征に行った時は私、待ってるね』


『…ッ、』


何て事だ、仮にも教官に。もっと言えば彼氏持ちの女の子に。不覚にも魅せられたような、甘い風が辺りを包んだような気がした。それは突然過ぎて、こんな笑顔に一々惑わされる俺じゃあないってのに、一気に全身が熱く火照ってしまった。


『はは…そりゃ良いや。でもそんな事言われたら、期待しちゃうよ俺』


飽くまで冷静を装って、鼻で笑って見せる。自分の顔がどんな顔をしてるかなんて分からないけど、心臓は早く脈打って、それこそ笑ってないと理解不能なこの気持ちが溢れてしまいそうになる。ところがそんな動揺を隠していられているか、様子を窺うように結崎教官を見れば、目の前の結崎教官は面白いぐらいに顔を真っ赤にさせて…


『ば、馬鹿野郎ッ…そ、それは駄目だぞっ』


このバカップルの前では、俺の装いすら無意味なんじゃないかって、それぐらいに結崎教官はナマエちゃんの台詞に動揺しているから笑える。


『やだな結崎教官、俺だってバカップルの邪魔なんかしませんよ』


だけどちょっと、それも良いかなって…


















(気付いたら雨は止んでいて)


水溜まりが俺の気持ちを映していた



















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100419めぐ
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