いのり1
私は、貴方を知らなかった…
(いのり)
『……え』
朝早く、なまえが自分の元へと駆け足でやって来るので何事かと話を聞いて佐助は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
『旦那が戦ってる所を見てみたい…って、そりゃ一体どういう…』
『はい。兵の皆様は戦場での幸村様はそれはそれは素晴らしいと。私も是非一度幸村様の勇姿を見てみたいのです』
昨晩だけでなく戦場から帰れば毎度のように褒め讃えられ、聞けば先陣を疾風の如く駆け抜けその様は虎のようであると言う。普段なまえや戦場での幸村を知らない者であれば一度拝んでみたいというのは当然であり、なまえは目を輝かせている。
『んー…俺様は見ない方が良いと思うよ』
出来れば戦場を知らない者達には、土産話に留めておいて欲しいと願う。土産話ならばあの血生臭い臭いも身の裂ける音も悲鳴も…戦場における不快感を感じる事がない。然しながらなまえの表情は期待に満ちている…現実を知らない者のみが浮かべる事の出来る表情であった
『…ま、なまえちゃんがどうしてもってんならね…』
『わァ…有難うございます佐助様っ』
佐助が渋々頷けばなまえは先程以上に喜びを顔いっぱいに表現して笑う。その笑顔を出来る事ならば崩したくはない。しかし、たった一度…なまえを傷付ける事がこの一度だけで済むのだと思えば、##NAME1##の戦場に対する憧れが無くなるのだと思えば、と佐助自身の私情ではあったが承諾を余儀なくされた
『唯、約束事が二つ。一つは俺の傍から離れない事。それから…』
佐助が出した条件に、自分にしてみれば然程守り難い事ではないとなまえは大きく頷く。
どんな旦那を見ても、拒絶しちゃ駄目だぜ
佐助の言った言葉の意味を深く考えない儘…
『んじゃあ旦那達も行ったし俺様達も行こうか』
『はい。宜しくお願いします』
佐助の腕に収まりなまえが屋敷を飛び出したのは幸村達が戦場に向かった少し後。まだ戦場に着いてもいないと言うのに立ち込める悪臭の発生源もその臭いが何であるかもなまえには理解出来なかった。
『…っ』
見えたのは赤黒い塊、その塊に突き刺さる無数の矢…途切れ途切れに見えるは身体の一部だろうか、刀を持った儘の腕、槍を握り締めた儘の腕…そのどれもが本来繋がれている場所から切り離されてしまっている
『佐助様…あ、あァ…人が…っ、人が……ッ』
『…戦場は決して人が憧れる場所じゃない』
立ち込める臭いはなまえの鼻に容赦なく突き刺さり、飛び乗った木のすぐ下では泣き叫ぶ悲鳴と刀の交わる音に加え、身の裂ける鈍い音が##NAME1##の耳を支配する。佐助は徒、なまえが叫び声を上げない様に掌でなまえの口を塞ぎ、今にも崩れ落ちそうな程に力の抜けたなまえの身体を片腕で支える。
走る嗚咽を抑えれば、いつしか目尻に涙が浮かび、辛うじて見えた瞳は真っ赤な一つの炎を捉え…
あれは、幸村…様…
『…悪いけど、これ以上は見せられないよ』
あれが幸村なのだろうかと、あれがあの幸村なのだろうかと、なまえは佐助に担がれながらも幸村から目を離す事が出来なかった
『…なまえちゃん』
『も…申し訳ございません…』
槍を二本手に持ち、迫る兵を物ともせず…人である事すら忘れているかのように伐つ。戦場の空気すらも信じ難いものであったが、それ以上に幸村の姿が脳裏に焼き付いて離れない。
姿形は幸村そのもの…身体中に纏った紅い覇気、返り血を浴びた身体…何よりも表情は今まで一度だって見た事のない、出来れば表現する事も避けてしまいたい程の表情であった
怖い…幸村様に恐怖を抱いてしまった…
『謝る事ァないよ、戦場なんてそんなモンだからね』
溢れ出る涙を拭う事も出来ない程に身体が震え、屋敷に戻った今も尚、なまえの身体は思うように動かす事が出来ずにいた。自らも戦に身を投じ、無事に戦を終え屋敷へと戻ってから毎日、佐助はなまえの部屋を訪れている
『見なけりゃ良かったろ』
『……』
見なければ知らずに変わらず土産話を聞き、戦場に憧れを抱く儘でいられた事は間違いない。しかし見てしまった現実を今更拭う事は出来ない。
戦場は憧れを抱くには残酷な場所であり、同じ人間であっても斬り合わなければならない。それが主を、国を、己を護る手段。もし、護る手段を断たれれば待つのは死…それは平等に与えられ、幾ら兵と称賛される幸村にも与えられる現実…
もし、幸村様が…
思えば今以上に身体が震え、なまえは両腕で強く肩を抱き締めた。
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