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さいはて

(さいはて)
猪突猛進が如く






まるで、今から戦場へ向かうかの勢いで廊下を駆け抜ける幸村に数名の兵や女中がぶつかった事は最早言う迄もなく、それでも尚幸村は唯一人を探す為に広い屋敷内を駆け回っていた。唯なまえを探す為だけに走り回った数日、始めの内こそ闇雲に探し回ってはなまえを見付ける事も出来ずにいた。然しながらある程度なまえがどこに出没するのか、屋敷内でどのような仕事をしているのかを理解した幸村が今目指す場所は炊事場。


『なまえ殿っ』


『ッ…幸村様…』


大きな音を立てて扉を開けば炊事場内の棚近くで驚いた顔を浮かべるなまえを捉える。幸いな事に他の女中は未だ姿を見せておらず、皆が集う迄に出来る夕餉の支度を終わらせておこうと言うなまえの女中に対する心構えが見て取れた。


以前幸村に対して炊事場に来るべきではないと強く言い放った事でもう幸村がここには来ないだろうと踏んでいたなまえにとっては予想外な出来事であり、驚いた顔を浮かべていたなまえは相手が幸村である事を認識した途端に顔をふいと背けて棚に置かれた小皿へ手を掛ける。


『ど、どうされたのですか…夕餉まではまだ時間が……っ』


小皿へ手を伸ばした事で幸村と顔を合わさずに済むと踏んだ矢先に、力一杯元の向きへと戻される。それが幸村の力強い腕だという事に気付くまでに数瞬、気付いた時には既に幸村となまえの距離は確実に縮まっていた。


『某から逃げないで下され』


『に…逃げてなど…』


これ程までに強引な幸村をなまえは未だ曾て見た事がない。普段の幸村といえばなまえの身体に触れる事も出来ない程女性に対して奥手であり、会話をしようものならば耳まで真っ赤にしてしまう程。然しながら今の幸村にはそんな欠片すらない。何が幸村をそうさせるのか、言わずとも分かる原因に、逃げようとする事は最早無意識である。


『なまえ殿』


『……っ』


再度名前を呼んだ幸村の声には確かな覚悟が込められていた。それは武士である幸村が女中であるなまえを受け入れる、受け入れたいと願う覚悟。その気持ちに応えたいとなまえ自身も思う。それでも顔を背けてしまう、幸村から逃げようとしてしまう。なまえにとって幸村を選ぶ事は生死を選ぶと略同等の選択肢であった。


『駄目です…矢張り貴方様の気持ちに応えられる程私は…』


なまえには幸村との道を容易に選ぶ事が出来ない理由があった。それは、なまえ自身の地位と幸村の地位との大きな差。高が女中が幸村の様に一国を背負う武士と釣り合う筈もない。幸村には身分相応の女性との未来がある…


『そなたは某が嫌いか』


『その様な事っ……ある訳がございません…唯…』


瞳に哀の色を映し、幸村が呟けばなまえはそれを全力で否定する事が出来る。然しながら、どうあっても不釣り合いな自分は今より先の境界線を越えてはならないとなまえの中の何かが囁く。拒絶しなければと、囁かれた頭で身体だけは正直に首を大きく横に振っていた。


『ならば、某の傍に居てくれ…』


『あ……』


ふわり、幸村の匂いを強く感じる。それは今までに感じた事のない程に色濃く、なまえを満たす。


『そなたを想う気持ちに嘘偽りはない。某はなまえ殿が…』


もう逃がしてはくれないだろう…抱き締められた幸村の腕の中でなまえは逃げる事は不可能だと悟る。万が一逃げる事が可能だとしても、次に出るだろう幸村の言葉を聞きたいと思ってしまう。幸村を受け入れてはならないと思う自分と、受け入れてしまいたいと願う心の矛盾がなまえを苦しめる。一旦は言葉を切った幸村であったが、なまえにも聞こえる程に大きく息を吸い込むと、更に数秒を置いてから口を開く。


『す、す、好き…なのだ…』


『……っ』


幸村程分かり易い相手であっても、改めて言われれば顔が一気に紅潮してしまう。長きに渡り、隠した自分の気持ちを幸村の言葉は自分再確認させる。幾度打ち明けてしまえばと思ったか、言えば楽になるだろうと思った気持ちも、自身と幸村の地位を思えば留まった。然しながら幸村はどうだろうか、奥手であっても自分から逃げる姿勢は見せず、だからこそ会う度に顔を赤面させた。思えば自分は幸村を待つ事しかしていなかったのだと痛感させられた。


『なまえ殿、某必ずやそなたを何事からも護ってみせる』


その言葉にどれ程救われるのか、どれ程心強い言葉なのか幸村は気付いているのだろうか。今まで以上に強まる気持ちはなまえ自身の覚悟となってなまえの心の決意を生む。幸村の胸を少しばかり押すも、足はその場に留めて逃げる気はない意思を伝えるとなまえはゆっくりと顔を持ち上げる。


『幸村様…私の様な下位の者で本当に宜しいのですか…』


『地位ではない、そなたでなければならぬのだ』


再度、幸村の気持ちを確認する様になまえは質問を投げる。確かではない、形にする事の出来ないものは幾ら確かめても無駄かもしれない。然しながら幸村ならば、どんな些細な事でも全力な幸村ならば確かなものに変わるかもしれない。そんな意味合いを込めて投げられた質問は、幸村らしい直球で返される。


何故今まで、これ程までに臆病になっていたのだろうか。不器用ではあるが、全てに全力を注ぐ幸村にならば自分の全てを捧げる事が出来る。それは恐らくなまえが幸村に恋心を秘めたあの時から分かっていた事であるにも関わらず、いつしか身分を理由に逃げていただけであった。幸村が自分を選んでくれるというのならば、今まで不器用ながらに自分を好きでいてくれたというのならば、今度はなまえが幸村に応えなくてはならない。確かな決意は既になまえの中に存在していた。


『幸村様、私、は…貴方様をお慕いしておりました…それが在ってはならぬ事と知りながら…』


『な、何故泣かれるのだ…某、なまえ殿の気に触れる事を…』


堪える予定も、零す予定もなかった筈の涙がじわりとなまえの瞳を濡らす。無論、なまえ自身も驚く事であったが、なまえ以上に驚き慌てふためく幸村を前に、なまえからは思わず笑みが零れてしまう。彼は、これ程までに自分を想ってくれている…一度の涙に慌てる幸村を見て、なまえの中の蟠りは一瞬にして消え失せる。


『幸村様、私は…』


幸村が自分を好きでいてくれる事、自分が幸村を好きである事。勿論その二つがなまえの涙を生んだ。叶う筈がない、叶ってはならない想いの行き着く先は、入り交じった道を進みながらも一つの終着点に到着した。然しながらそれだけではない。なまえの涙に慌てる幸村に少しだけ歩み寄るとなまえは喜びにとろけてしまいそうな笑顔を幸村に向ける。


『幸村様と同じ気持ちでいられる事が嬉しいのです…』


『…ッ、なまえ殿…っ』


何より、幸村と同じ気持ちを共有出来る…。それ程までに幸福はない。そう告げた直ぐ後、なまえの身体は数瞬宙へ浮き上がり、幸村の腕に収められた…



















(望むが愛は君が為)


三歩後ろでも同じ時を過ごして






(さいはて)


















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100807めぐ
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