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ただひとり

振り向いて、笑って…唯、君だけを…





『あ、旦那…っ』


どこか足取りが覚束ない。目の前を歩く幸村に声を掛けた瞬間に鈍い音が屋敷内に響き渡った。


『あちゃー…こりゃ見事にぶつけたね』


ぶつかったのが幸村で良かったと内心思う反面、ぶつかられた柱は堪ったものではないと密かに柱に同情する佐助を余所に幸村はぶつかった柱をぼんやりと眺め、重い溜め息を吐き出した


『なァ佐助…俺は避けられているのだろうか…』


『いやァ、思い切りぶつかったよ』


わざとぶつかるにせよもう少し躊躇を見せるだろう…しかしながら幸村は歩く速度を緩める事なく、まるで一本の柱に吸い込まれるかのように顔面から柱へぶつかった。見た通りに話せば幸村は多少恥ずかしそうに顔を赤らめ


『は、柱の事ではないっ……その…』


『なまえちゃんにも考えるところがあるんだろうよ』


なまえの名前を出そうにも言葉に詰まる幸村に佐助は助け舟を出してやる。始めから幸村の異変になまえが関わっている事は承知していたが、多少からかってやるのも悪くはないと、佐助は敢えてなまえの話題を出しはしなかった。


でも、やっぱり旦那をからかい過ぎると可哀相だからねェ…


『矢張り迷惑だったのか…』


『そりゃないと思うけど…』


普段の行動が略勢いである幸村にとって、なまえの行動は到底理解出来るものではなく、悩めば止まらなくなり、あの夜伝わったかは定かではなかったが、打ち明けた事すら間違いだったのかとさえ思いだす幸村に佐助はやんわりとした言葉で答える


『何故そう言い切る事が出来るのだ』


『…鈍いのもここまで来たら凄いよ本当に』


少し剥れたような表情を見せ、幸村は佐助を見上げる。一方の佐助はやれやれと言った表情で溜め息を吐き、どうにも不安がる幸村を宥める言葉を探すも調度良い言葉が見付からず


『旦那、あんたは大将の…大将が認める武士だ。なまえちゃんのようにいつでも代わりのいる女中とは違ってね』


酷ではあったが、どうしようもない現実味の帯びた言葉を幸村へと投げ掛ける。怒るか、掴み掛かられるかのどちらかだろうと、どちらであっても受け入れるより仕方ないと覚悟を決めて佐助は幸村を見る


『佐助…お主、なまえ殿の事をその様に思っておるのか…』


『俺は思わなくても、少なからずそう思ってる人間はこの屋敷には沢山いるだろうね』


佐助の予想に反し、幸村が見せたのは怒りではなく物哀しさを映す色。本当の事だと言われればどうにも覆す事の出来ない言葉の意味を幸村は哀を表現して返すよりなかった


『…俺は、』


『なまえちゃんだってそう思ってるからこそ旦那の気持ちに応えられないんだろうよ』


戦果を上げれば上げる程に、なまえに突き付ける事となる自分との差。幸村からすれば戦果を上げる事で信玄を天下に近付ける事となり、なまえとの差が開くなどとは考えた事などない。然しながら言われればそうなのだと、思い当たる節は少なからずある


『旦那には釣り合わない、旦那にはもっと相応しい人間がいる…って、ね』


『…なまえ殿……』


もし佐助の言う事が嘘偽りなく誠であれば、そこまで考えて自分を避けるなまえを追う事は出来るのだろうかと、見上げた空になまえを浮かべ、今一度思う


『旦那、それでもなまえちゃんと離れたくないかい』


幸村の背後で同じく空を見上げた佐助は幸村に問い掛ける。もし幸村がここで引く事を覚えたのならば自分はどうすべきかを考えながら。


『旦那』


再度名前を呼べば幸村は両手で結んだ拳をきつく握り、澄んだ空へと言葉を吐き出した


『…佐助、俺は。俺はなまえ殿が好きだ。手放せない程に…』


『まァ、旦那ならそう言うと思ったけど』


予め分かっていた事を再度聞いたのは今一度幸村の覚悟を確かめる為。自分の立場を盾になまえを護る事は容易なれど、なまえはそれを望まない。なまえとの関係が変われば自身の行動も変わる事になり、関係自体も隠し通さなければならなくなる。力を望み生きて来た幸村にはそのような事ですら恐らくは容易に出来る事はないだろう…


それでも俺は、もうなまえ殿を知らない頃に戻る事は出来ない…。


目を閉じれば浮かぶなまえの姿、自身の覚悟を胸に幸村は大きく頷くと徐に立ち上がった。


『ちゃんと言ってやりなよ。旦那は唯真っ直ぐに…手放せないなら、手放さなければ良い』


振り返った幸村に佐助は口元を緩める。つられて幸村も口元を緩めるが、覗き込んだ佐助の瞳は少し複雑さを隠しきれない様子を映していた。恐らく先程までの自分も同じ色を映していたのだと


ふ、と…口にしてはいけない考えが脳裏を過ぎる


『…佐助、お主まさか…』


『はは…俺様は女には困ってないから大丈夫だって』


ここで幸村が躊躇でもしたのなら遠慮なくなまえを奪おうとさえ考えた。然しながら一旦は地に落とした瞳は次の瞬間に迷いなく真っ直ぐに佐助を捉えたものとなり


『佐助…礼を言う…っ』


走り出した時にはいつもの、何事も真っ直ぐに突き進む幸村の姿が存在していた


『ありゃあ…余程じゃないと逃げ切れないね………なまえちゃん』


『…佐助様…気付いておられたのですね…』


幸村が去ってしまったすぐ後、怖ず怖ずと姿を現したなまえの手には余る程の洗濯物が在った。立ち聞きするつもりはなく偶々といった様子が伺え、佐助は苦笑いを浮かべる


『私のような身分の低い者は幸村様には……あ…』


『なまえちゃんだから、だろ。』


幸村の覚悟は見えた。然しながらも未だ踏ん切りの付かないなまえが言葉を零すと、佐助は遮るようになまえの頭に手を置いて優しく撫でた。


『あんな旦那だけど、一つ宜しく頼むよ』


『幸村様も佐助様も…私がお二方の頼みを断る事は出来ないと理解しておいでですか…』


そう言うなまえの表情には、漸く少しばかりの穏やかさが戻っていた…
















(選ばれたのは唯一人だけ)


でも、君を幸せにしたい奴も此処に居たんだぜ




(ただひとり)


















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091222めぐ(100316訂正)
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あきゅろす。
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