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ゆめうつつ

どうか私を、想わないで下さい




ばたばたと忙しなく走る足音を聞けばまた幸村が駆け回っているのだろうと知らず知らずに思ってしまうのだが、今日聞こえた足音は軽く柔らかい。幸村でなければ誰なのだろうかと、なまえは首を傾げる


『なまえ、なまえ…っ』


『あ、お早うございますっ。もう体調も良くなりましたので今日から…』


現れたのはなまえより早くから仕えている女中。ここ数日風邪で休んでいたなまえが、本日からの復帰を告げようとすると遮り腕を掴んだ。


『なまえが復帰しないものだから大変なのよ…っ』


『何が大変…わ、わ…ッ』


腕を掴むや否や再び来た道を戻る女中に引き摺られるように##name1##も廊下を走り出した。二人の足音が重なれば幸村の足音にも負けず劣らずの振動を響かせる。


『幸村様、私達だけで大丈夫ですのでっ』


『いやいや某にも手伝わせて下されっ』


辿り着いた炊事場の戸を挟み立てば炊事場では聞こえる筈もない幸村の声。何故幸村の声が炊事場から聞こえるのかは多少なれど、想像がつく。想像もつかないのは幸村のいる炊事場がどれだけ荒れてしまったかという事…


『貴女が休んでいるから自分が代わりに出来る事はないかと…ここ数日大変だったのよ』


『幸村様…』


あの夜、幸村は一晩中なまえの傍を離れる事なく、なまえの手をずっと握り続けた。途中からの意識はなかったが、翌朝目を覚ました後に残る手の熱は、なまえが目を覚ます直前まで幸村が傍にいた事を伝えていた。


あれ以来一日も来て下さらなかったけれど…


『幸村様が女中である私達…いえ、貴女一人に何故ここまで…なまえ、貴女…幸村様と何か…』


『ゆっ…幸村様はお優しい御方…それ以上もそれ以下もありません…』


悟られないよう声を大きく吐き出し、なまえは炊事場の戸を大袈裟に開く。途端、中にいた者は何事かと戸を振り返り、その中でも幸村はなまえを見た瞬間に目を輝かせた。


『おォなまえ殿っ、そなた体調はもう良いのか』


なまえの顔色の良さを見、安心したように笑う幸村の顔には数粒の米粒、更には煮汁までもが垂れている。何をどうすればそこまで汚す事が出来るのか…。自分が寝込んでいる代わりを幸村が務めようと、そう思ってくれた事に愛しさが込み上げる。


然しながらなまえは近寄って来た幸村を、心の内を悟られぬようにと表情を固めた。それからゆっくりと幸村を見上げ


『幸村様、幾ら貴方様が兵だけでなく女中の事までを思って下さる御方でも…これは女中の仕事です。貴方様には…貴方様のすべき事があるでしょう』


そう、言い放った。


驚いたのは幸村だけではなくその場にいた女中全員。普段、幸村には特別甘いなまえが幸村を突き放そうなどと誰が思っただろうか…賑やかだった雰囲気が一瞬にして重いものへと変わる。


『なまえ、殿…ど、どうされたのだ…某は…』


良かれと思っていた。なまえが臥している間になまえの役に立てる事があるならばと、なまえは喜んでくれるだろうと…。予想に反したなまえの冷たい表情を見た幸村は、何かを言い掛け言葉を濁す。その表情は明らかな動揺を映していた。


『お戻り下さい。お願いします…幸村様…』


『っ…し、失礼する…』


冷たい表情に見えたなまえの瞳は悲し気に揺れる。その原因を作ってしまったのは恐らく自分…そう思えば幸村は一礼し、言われた通りにその場を立ち去るより他なかった。


幸村が一礼し、なまえの隣を通り過ぎようともなまえは身体を微動だにしない。見れば固めた表情だけでなく気持ちすら折れてしまいそうな自分を必死に繋ぎ留める。


『なまえ…貴女…』


一人の女中がなまえに声を掛ける。肩に触れれば脆く崩れてしまいそうな程に、なまえの姿は儚く、物悲しさを隠し切れないようにも見えた。


『…仕事に、戻ります…』


この場にいては自ら幸村を突き放してしまった事について、更には幸村に対する想いを根掘り葉掘り聞かれるだろう…軽く頭を下げ、なまえもまた、炊事場を後にした。


溜まった洗濯物を両手に担ぎ、物干し場とは逆の所へと向かう。出来れば誰もいない場所へと、両手に洗濯物を抱えて歩く。


『これで…良いのです…』


あの一夜…私にはそれで十分…


足を留め、空を見上げれば眩しい程の青がなまえの胸に突き刺さる。憎らしい程に、淀みのない鮮明な色に思わず目を細める。あの場でああでも言わなければ幸村と自分の関係を疑う者が必ず現れる。そうなれば幸村に迷惑が掛かるのだと、それだけは避けなければと本心を隠して突き放した


『どうして…何故、私などを…』


想えば想う程に胸が締め付けられる。どれだけ想っていようとも身分の差は埋められず、突き放してしまった事で更に愛しさが増す


あの夜に見た幸村の熱い眼差しが頭から離れない。その眼差しが自分に向けられたと思うだけで握られた手の温もりを思い出さずにはいられなかった


『幸村様…どうして私は貴方を…』


どうして貴方でなければいけなかったのだろう…


投げ掛けた疑問は空を仰ぎ、白い息と共に消え失せてしまった















(引き返せない想い)


知らなければ良かったとは思わない




(ゆめうつつ)


















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091215めぐ(100316訂正)
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あきゅろす。
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