ゆびさき
それはそれは、彼の瞳が熱で潤んでいたものだから…
(ゆびさき)
名前を呼べば彼、真田 幸村は大きく肩を震わせ、それはそれは…小さい子供が悪さをし親に見付かってしまった時のような慌て様
『…な、な、な…何でござるか…なまえ殿っ』
幸村様は座敷に重ねられた座布団を一枚、抱き締めて私を見る。私は…と言えば特別幸村様をその様にさせる事をした覚えはなく、寧ろどちらかと言えば幸村様の為を思っての行動を取っている
『お逃げにならないで下さい』
『そ、某は別に逃げてなどっ…』
幸村様はお忙しい方…千切れてしまうのではないかと思うぐらいに座布団を抱き締めていたかと思えば次の瞬間には座布団を投げ、手を大きく振る
『逃げてますよ、思い切り』
そう言うと今度は首を横に振り、
『誤解でござるよなまえ殿っ。某、仮にもお館様にお仕えする身、逃げる訳が…っ』
『……幸村様。』
もうこの会話を何度繰り返しただろうか。始めは傍におられた佐助様も三度目には欠伸を噛み殺しつつ退出してしまった。私としてもこのような状態ではいつまでも務めを果たす事が出来ない
大袈裟に溜め息を吐き、再度名前を呼べば気まずいと言わんばかりに視線を泳がせる
『その様にお逃げになられては手当てが出来ません。温和しくこちらにいらして下さい』
『う……し、しかし…っ』
先刻までの戦、幸いにも大きな怪我はなく流石は幸村様。しかしながら無傷ではなく露出された肌には数ヶ所の紅い線…
手当てをしなければならない私にとっては幸村様に逃げ回られてはどうする事も出来ない。手当てをしなければならない兵は未だ痛みに耐えていると言うのに…
『幸村様』
少しばかり低い声で名前を呼ぶ。
私の心中…否、恐らく彼もまた傷付いた兵を思い出したのか、漸く観念したようで律儀に座布団を私の前に置き、畳の上に腰を降ろす
『じっとしておいて下さいね』
傍に置いた薬箱から必要なモノを取り出して座布団に両膝を着く。幸村様は手当てされる事が苦手という訳ではない。何故だか私を前にすると必ずこういった態度をとる
先ずは左頬に付いた紅…
薬を塗った指で彼の頬に触れればじわりと熱い温度が指先から伝わる。先程までとは違い、急に温和しくなった幸村様と向かい合う座敷内にはやけに静かな空気が流れた
外では兵達の賑やかな声、その隙間から爽やかな風が座敷に流れゆっくりと幸村様の髪を揺らす
砂埃の付いた髪…その先にある瞳が私を捉える
真直ぐで穢れ無き純粋な瞳…
その瞳を見つめた儘、次の動作に移るべく手を頬から離すと明らかな動揺の色を映した瞳に加え、熱を持った大きな手が私の動作を止めてしまった
『幸村様…あの…』
力強さと熱を併せ持つ彼の腕は手を引く事も戻す事も許そうとはしない。
仕方がなく名前を呼んだ途端に幸村様は頬を傷とはまた違う紅に染め、我に返った
『……っ、し、失礼…ッ』
それからの行動は殺那的に過ぎ去った。視線を自分の手に移すと直ぐ様その手を離し、勢い良く顔を背ける
あァ…自惚れが許されるのならば彼は恐らく…
幸村様が私からお逃げになる理由、触れた指先から伝わった熱、離れた私の手を無意識に引き留めた理由は一つの結論に行き着いた
『宜しければもう少しの間…触れる事を許して頂けますか』
明るく頷いた彼の表情を私は一生忘れる事はないだろう…
(指先から始まる)
沿うように、滑る指先に覚えた愛しさ
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091110めぐ(100316訂正)
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