精神的に追い詰められるけど周りには弱みを見せない土方 隣で遠慮なく大欠伸をした沖田に、土方は舌打ちした。往来で真選組が気の抜けたところを見せたくない。しかし沖田にそんな理屈は通用しないのも知っている。 「嫌味ですねィ。こんなに天気イイのになんで土方さんと一緒に歩いてんだろ俺、イヤんなっちまうなァ」 「こっちの台詞だボケェェェ! でも仕事だから我慢してやってんだ、テメェも我慢しやがれ」 「嫌でィ」 沖田はベーッと舌を出した。見解が一致したんで俺ァふぁみれす警護してきやす。土方さんはマヨネーズ工場でも警護してたらいいんじゃねーですか、ついでに帰ってくんな死ねよ。 よくスラスラ言えるなぁと感心しているうちに逃げられた。もう説得する気もなかったから、当たり前といえば言えるのだが。 ただ、わずかに気が重くなった。認めたくないが、屯所まで同行したかった。 背後に気配を感じるようになったのは半月ほど前からだ。敵意は感じない。視線だけが送られてくる。もちろん何度も振り返って確認したし、逆に追い込んでやろうと先回りしたこともある。けれどことごとく失敗した。 それほどの腕利きならそもそも気配を消すことなど容易いだろうし、気配を消せない程度の者なら土方が追い詰めるのが容易いはずだ。そう考えると何者が何の目的で尾行しているのかわからない。近藤に報告すべきか少し考えた土方は、しばらく様子を見ることにした。 以前も女につけられたことがある。あの時はあからさまにキャッキャキャッキャ、黄色い声が四六時中聞こえていたから我慢したが、三日目に耐えられなくなって『やめてくれ』と言いに行った。かえって喜ばれてしまい、なぜかケータイの番号を十件くらい押し付けられた。近藤に零したら羨ましがられるだけで親身に聞いてはもらえなかったし、沖田が聞きつけて『女タラシ』と言いふらされた。こんな時にはまるで頼りにならない連中であることを、土方はため息とともに思い返した。 自分は実害が及んだときにすぐさま身を守れる(どころか相手を叩きのめせる)。けれど若い女性がこんな目に遭ったらさぞ恐ろしいだろう、と土方は思った。さっさと炙り出してとっ捕まえてやろう。 ところが内心の意気込みに反して、気配は消えたり現れたりを繰り返すばかりで正体が掴めなかった。そのうち大きな捕物があって、土方はそちらに掛かり切りになったのでそんなことは忘れてしまった。 思い出したのは久しぶりに通常の見廻りに出かけたときだった。 それは午後だった。そもそも原田の担当だったのを、十番隊が緊急出動したっきり屯所に戻れなくなったので急遽交代した。土方が代打になったのもたまたまその場にいたという理由で、交代を知るのは近藤くらいだ。どっちが行く?という話になって、じゃあ俺が、となったのだ。自分ですら屯所にいるか、見廻りに行くか迷ったくらいだ。だから完全に偶然だった。 にもかかわらず、つけられている。 意識を集中すると向こうもそれを察するのか、気配は消えてしまう。それに安心しているといつの間にか戻ってくる。 ――どうやって? 見廻りルートはざっくりとしか決めていない。先回りされることはまずない。こちらが不意に立ち止まって見せても、後ろに不審な様子をした者はいない。脇道に入れば気配は消える。そして抜け道を使って別の通りに出ると、また現れる。 肌が不快を訴える。全身の毛が逆立つような感覚。視線に敵意がなくとも、鬱陶しいことに変わりはない。嫌がらせにしてはしつこ過ぎる。 嫌がらせといえば沖田。あのバカ何やってんだ。 と思ったら都合よく沖田が団子屋から手を振っていた。まずサボりについて説教したのち、嫌がらせも大概にしろこっちゃァイライラしてんだ掛かってこいや、と叫んだらポカンとされた。 「嫌がらせご所望ですかィ? 気持ち悪ィな、俺ァ嫌がるヤツに無理やりってのが主義なんで、アンタの希望なんざ聞くつもりはありやせんぜ」 「てんめーよくもヌケヌケと……」 「? 団子食ってたのがそんなに気に入りやせんでしたか。食いたきゃ食えばいいだろィ俺にも奢れよ」 店の親父が、沖田さん長居すんならもう少し食べてくださいよ、と文句を言う。本人に言うとヒドい目に遭うから、土方のいる前で言ったのだろう。 (長居してる、のか) では沖田ではないのか。 なぜか土方が親父に詫びた挙句また沖田に逃げられた。 (総悟は反応しなかった) 自分の背後に、不穏な空気を感じなかった。あの沖田が。 だったら犯人は沖田だと言いたいところだが、ずっとあそこでサボっていたのならアリバイがある。 心当たりがなくなって、土方は急に動揺した。再び『そいつ』の視線を感じたのだ。首筋がヒヤリとした。思わず振り返るが、見つけられない。この中の誰かが自分をつけているはずなのに。どれだ。何故。 日は暮れかかる。人々は帰路につくのか、足早に土方の横をすり抜けていく。真選組の隊服にちらりと目を遣り、自分に関係ないと悟るとそのまま目を離す。その繰り返し。その中の一人が、土方を注視しているはずなのに。 (わからねえ) 勘は鈍くないと自負していただけに堪えた。怖れている訳ではない。内ポケットから煙草を取り出し、ゆっくり咥える。ひと口吸い込むと、幾分気持ちが落ち着いた。 今日は屯所に帰ろう。さすがに屯所までついて来る度胸はあるまい。逃げ込むようで些か不本意だが、私事に気を取られていては仕事にも差し支える。 土方は踵を返した。見廻りを打ち切る理由を見つけて、ホッとしていることは認めたくなかった。いっそ敵意があれば、すぐに見つけ出して叩き斬ってやれるのに。ああ、こんなことを考えるようじゃァ、冷静とは言えねえな。 とん、と背中を叩かれた。 反射的に刀を抜き、斬り捨てようと身体が動いた。 「え、ちょっとヒドくね?」 相手はふわりと難なく躱した。どんだけ力んでんだ俺。顔も見ねえで斬りつけるたァ。 「オイオイ無視ですか。善良な市民にいきなり斬りかかってきて無視ですかぁ? さっすがチンピラ、やることが違うねー」 坂田銀時が、へらっと笑っていた。ただし、目は笑っていない。慎重に間合いを図っている。 膝から力が抜けた。ああ、こいつか。 「テメェが脅かすからだ。テメーが悪い」 「ええー? なに、ビビったの、ビビっちゃったの? うっわーカッコ悪。真選組のフクチョーともあろうモンが、ビビっちまったの?」 坂田は土方を上から下まで舐めるように眺めた。 土方はなんとなく居心地が悪くなった。この男にはこちらの都合の悪いことをすぐに見つけられてしまうような気がしてならない。性格が、似ているせいか。 たった今、自分の緊張具合もわらかなくなるほど緊張していた。それだけでも失態なのに、この男を見た途端、膝が笑うほど脱力するなんて、知られたくない。 「ビビってねえ! 驚いただけだ、ビックリしただけだから」 「……ふーん、」 「なんだその投げやりな返事!?」 「まあいいや。じゃあな、ビビ方くん」 「オイィィ!? 呼び止めるだけ呼び止めといてスルーかァァァ!?」 この男と言い争っているだけで、さっきの重苦しい空気が霧散する。もう少し、あと少しだけ話していられないだろうか。 「あん? オメーがあんまオーバーリアクションだから忘れちまった」 「ただの嫌がらせじゃねえか! あと俺はビビ方じゃねえ」 「はァ? 背中叩いたくらいで嫌がらせになんの? 自意識過剰じゃね?」 「テメーに常識を期待した俺が馬鹿だった」 坂田はこちらに敵意がないことを確かめると、途端に興味をなくしたのかいつもの鈍い目に戻った。はいはーい、多串くんは昔からおっちょこちょいだったからね、銀さん大目に見てやるよ。そう言いながら既に背中を見せて、歩き去っていく。土方は慌てた。 「待てゴラ」 「なーに? まだなんかあんの」 「……チャイナはどうした」 「あ? ナニこれ、職質受けてんの俺」 「当たり前だ! どう見ても怪しいだろ」 自分でも言いがかりだと思う。なに必死に引き止めてんだ、俺。果たして坂田は片眉を跳ね上げた。無言で睨まれると、なぜか今日は圧倒される。土方は早々に下手なカモフラージュを諦めた。 「一人なら飯に付き合え」 「……へーえ。珍しい」 「うっせえ。食いっぱぐれたんだよ」 坂田に会ってから、肌に突き刺さる不快感が消えていた。今日だけ。今日だけ坂田にこっそり甘えてしまおう。 屯所の近くまで連れ出して、飯を食わせる名目で送らせよう。万事屋までの帰り道を、うまく言いくるめて屯所の前を通るように教えて。こいつなら、もし『あいつ』が来てもすぐに気づくだろう。もしかすると、あの気配とも今日で縁を切れるかもしれない。 自分の身が自分で護れなくてどうする、と戒める声が心の中から聞こえたが、土方は無視した。この男になら頼りたい。ほんの少しだけだから。 そう思う理由は、今は考えたくなかった。 「どーすんだ。来るか」 「え、いいの? ちょっと嬉しい」 「ビンボー人が」 坂田が人懐こく笑っている。なんだか胸がざわざわする。なんだこれ。坂田が喜んでんのが、嬉しい。 こりゃあヤバいな、と土方は苦笑いして坂田の先に立った。 その途端、背中にぴりり、とあの視線が突き刺さった。 振り返っても、そこには坂田しかいない。 (どういうことだ) 「あん? どした」 坂田は驚いたように土方を見つめていた。 「いま、誰か……いたか」 「さあ」 「……ならいい。なんでもねえ」 「また蚊みたいな天人とか」 「まさか」 変なこと言うな、と二度見したとき、チラリと見えた坂田の、真紅の瞳。 「ですよねー。じゃ、気分変えてゴチんなりまーす」 緩い口調に見合わない視線。 土方は急いで坂田から目を逸らした。 そんなはずはない。でも、だったら辻褄は合う。自在に消える気配、抜け道を知り尽くした動き、沖田が反応しなかった理由。 一歩後ろから、呑気な鼻歌が聞こえる。 引き返すなら今しかないと、全神経が警告する。 それでも、この男なら。 土方は一歩、前に進んだ。 (俺じゃねえんだけどなぁ) 警戒も露わに先に立つ土方の背中。 (頼まれた訳でもねーしな) 護って欲しいと願う男ではないと、坂田は知っている。それなのに自分が見過ごせない理由も。 誤解は少しばかり寂しいが、知らせる必要はない。 (あんな気色悪ィストーカー野郎なんざ、銀さんが片付けてやるっての) →続編「影になれない」 リクエストありがとうございました!自分がスッキリしないので続きも作っちゃいました… |