――へえ。まだ野良猫が生きてンのかい その足音は土方の前に止まり、いきなり床下を覗いてきた。二つの碧眼が丸くなって土方を見る。 いい匂いがする。食べ物の匂いだ。思わずその人間を観察した。 「フギャアアァァ!?」 「フン、一丁前に背中の毛ェ逆立ててらァ。ククッ」 言葉は通じなかった。 げっ、高杉!? と叫んだつもりだったのに。 「まあいい、ヤクルト飲むか? あの白モジャに飲ませるくれェならお前さんにくれてやる」 「フーーッ」 だがよく見ると、手配書の高杉とは何かが違う。 (こんなガキだったか) 自分と同じ世代だったはずが、ずいぶん若く見える。血の匂いを纏っているところはいかにも指名手配犯らしいが、なんだか印象が違う。 (やたら健康そうなモン飲んでんじゃねーかコイツ隠れ健康オタクとか?) 「いらねーなら俺がいただくけどな」 (ずいぶんフレンドリーだなオイ) 「ま、お前さんにやる必要もねえか。白モジャの口に入らなきゃァいいハナシだ」 (なんだコイツ、そいつにやるのが惜しいからって俺にくれんのか) (アホだ。ガキだし) (俺だとわかっちゃいなそうだし) (腹減った……) 高杉は封を切ったらしい。甘い匂いが漂ってきて、土方はふらりと足を前に出した。 高杉らしき男は素知らぬ顔で遠くを見ている。いや、わかってる。知らぬ振りをしてるだけだ。自分だって猫を誘き寄せるとしたらそうする。だが何のために? もちろん『ただ猫が見たいから』。 (危ねえコトでもないかもしれねえ。だいたい猫捕まえて何の役に立つっつーんだ) 空腹は時に事態を都合よく解釈させるものらしい。 高杉のような男から目を離さずに素早く、土方は床下から這い出した。そしてヤクルトを、 (の、飲めねえ……) 胃に訴える飲み物が目の前にあるというのに、鼻先を突っ込むことも、手で支えて飲むこともできない。慌てて床下に戻ろうとすると、 「畜生ってのァ阿呆だな」 「フギャアアァァ!」 「今は食糧が足りてるから見逃してやらぁ。昨日だったらお前、食われてたぜ。俺たちに」 「ギャッ……」 いきなり後ろ首を掴まれ、体が宙に浮いたのだ。 捕まった。いとも簡単に。なんでだ。この体勢では手も足も出ない。なんだか体に力が入らない。でも食われるのは嫌だ。逃げなければ。 「騒ぐなよ。銀時のバカに嗅ぎ付けられる」 「にゃっ?」 銀時、だと? ヤロー怪しい怪しいと思ってたがやっぱり高杉一派と通じていやがったか、ヤクルトって言えばあの甘党が如何にも好みそうな甘ったるい飲みモンだ、危ねえ危ねえ騙されるとこだった。 などと土方が考えていると、若そうな高杉は土方を小脇に抱え、あまつさえ反対の手のひらに甘い匂いの液体を注いでくれるのだ。 「飲むか」 「……」 「猫にゃあ毒かもしれねぇが」 「……」 「お、飲んだ」 こんな凶悪な男でも猫を餌付けすると喜ぶのか、と土方は感心した。単純に美味かった。そして手のひらが空になると、高杉は続きを注いでくれた。 一晩走り続けた体に、ヒトの体温が心地よい。 それに何より、人恋しかったのが嘘のように穏やかになっていく。 (なに考えてんだ、テロリストだぞ) 「もうねえんだが、住み着いてンならまた持ってきてやるぜ。尤もこの辺はそのうち焼け野原だろうが」 (充分焼け野原だろうが……テメェがやらかしたくせに) 「俺たちもこれ以上は保たねえから、お前さんもサッサとショバ替えしろよ」 (テメェの指図なんぞ受けるかバーカ) いちいち言い返したいのに、推定高杉の膝は居心地が良くてうとうとしかかる。自分を奮い立たせるために高杉の顔を睨みつけると、 (ん?) 違和感の正体を見つけた。 両目があるのだ。 手配書では隻眼だった。攘夷戦争での負傷という報告もある。直接顔を見たことはないが、信頼できるデータだった。 どういうことだ。弟とかか。厄介な男がもう一人いるのか。うんざりだ、真選組としては。 「あっれー晋ちゃん、一人でなに黄昏れてんの。朝なのに」 その緩くだらしない声に、聞き覚えはあり過ぎた。 土方が声に反応するより早く、『晋ちゃん』は大きな舌打ちをした。 「オイ猫。アレにゃ気をつけろ」 「なになに。猫? あっテメーなに手懐けてんの。ダメだよー人間の食い物食わしちゃ。てわけでヤクルト俺に寄越せ」 「じゃあな。上手く逃げろよ」 「オイオイそりゃねーだろ。ヤクルト置いてけ……ってもう飲ませたんかい!」 高杉晋助。間違いない。 晋ちゃんとは高杉の下の名に違いない。そしてその連れである『銀時』とは、やはり。 「フギャアッ!?」 「えっ、なにオメーヤクルト飲んじゃったの? ダメじゃんオメーにゃあ甘過ぎんよアレは腎臓壊すよ? てわけで明日からは俺が貰うから」 見慣れた天パに紅い瞳。 なのに、やはり印象が違う。 (ガキだ) 高杉とは面識がないから断言できなかったが、この男ならすぐにわかる。 若い。十代に違いない。 そしてその装束と、刀。 土方の知る坂田銀時は真剣を持たない。愛用しているのは普通の木刀で、この男にかかっては真剣を持たせるよりある意味破壊力があるのだが、人を斬るのを見たことがない。 けれども今、目の前にいる銀髪は腰に大小の真剣を帯び、さらに血の染み込んだ陣羽織を当たり前に身につけていた。 |