日記ログ
C愛情物語(双子&こまち)
 トントントントン・・・毎朝同じ時間に階下から聞こえて来る包丁の音で、今年小学一年生になった双子は同時にパッチリ目を覚ました。
「武」
「うん」
枕元に畳んである服に着替え、階段を降りて行けば、父親がちょうど目玉焼きを皿に移したところ。
「おっ!おはよう武、たけし!今起こしに行こうと思ったとこだ」
「おはよ父ちゃん!」
「おはよ父ちゃん!」
武とたけしは父の腰に両側から抱き付いて、朝の挨拶をした。
もう白い割烹着姿の父の前掛けからは、いつも通りの酢の匂いがする。大好きな父の匂い。
武とたけしはちょっと顔を動かして、目を合わせうなずきあう。今日は父の日。とうとう計画を実行する日が来たのだ。




 先月、母の一周忌を終えた。
山本家の母は、去年五月に交通事故で短い人生を終えてしまった。綺麗で明るく朗らかな母の葬儀は、商店街の皆に惜しまれながら雨の中で執り行われた。
ほぼ1ヶ月後に父の日があったが、武もたけしも何をする気にもなれなかった。というよりも、その頃母親を亡くした精神的ショックからたけしが口を聞けなくなり、父の日どころでは無かったといった方が正しい。
現在は元通り――父曰く、以前よりもお喋りになった――だが、3ヶ月もの間、声が出なかったたけしに、当時父はどうしていいか分からず苦しんでいたに違いない。
それでも父は、心配顔を見せて、たけしを更に不安にさせてはならないと、いつも笑顔でいてくれた。
武もたけしも、その笑顔を見るだけでどれだけ安心出来たか。
父と母は、並盛商店街の一角に、夫婦二人だけで竹寿司という寿司屋を営んでいた。
店の殆んどは父がしていたが、影で支えていたのは母だった。
具合が悪かったり、用事があるとき以外は、家事も子育ても、明るく優しい母が一手に引き受けていた。
が、母が亡くなってから、父は店の仕事に加えて、幼い子供たちの世話や家事も全て自分でこなさなくてはならなくなった。
朝の仕入れから帰り、朝御飯の支度をしつつ、子供たちの保育園の準備をし、子供たちを保育園に送ってから家の中の掃除、それから店の掃除に午前の仕込みをして開店。
昼の休憩時間には夜に洗濯して干しておいたものを畳み、風呂を掃除して、少しの休み時間を利用して買い物等残りの家事を済ませたあと、賄いを口に入れつつ、また午後からの仕込み・・・。
母が亡くなってからの父は、二人から見てもいつ休んでいるのか分からないくらい忙しく働いていた。
大きくて強くて優しい父は、大きくて強くて優しくて明るくて家事全般こなすパーフェクトな父になった。
武とたけしは、そんな父が大好きで大尊敬している。でも、だから気付いてしまった。
母の好物で、配達の帰りにちょっと遠出して買ってきていた菓子舗こまちの鶯餅。そしてそんな菓子舗こまちの名物豆大福が大好きだった父。
鶯餅と併せて買って来ては、子供たちと取り合いしながら食べていた豆大福を、母が亡くなってから父は一度も口にしていない。
つい先月の母の命日の前日に夕方大慌てで出掛けて行ったと思ったら、菓子舗こまちの文字の印刷された袋から鶯餅を仏前に供え、手を併せた。
『もう、たった2つしか残って無かった』
ごめんな。悲しげに呟いた父は、忙しさに好物の豆大福すら買うのを忘れちまったなあと、双子の前で泣きそうな顔で笑って見せた。
武とたけしは、その日誓ったのだ。
いつも一生懸命な、大好きな父に、お腹いっぱいの豆大福を食べさせてあげようって。




 朝御飯が終わり、父が店に出てしまってから(日曜日だけは、掃除サボりの日になっている)二人は近所の日舞家元雲雀家に向かった。二人の友達である、一つ年上の雲雀恭弥の稽古場兼自宅。
菓子舗こまちの豆大福を買いに行こうとは決めたものの、いつも父が買ってきてくれていたので、二人は店が何処にあるのか知らない。
雲雀の祖父で現雲雀家当主であり稀代の女形と詠われた雲雀藤五郎翁は、雲雀家御用達の寿司屋である竹寿司を贔屓にしてくれている。
そんな雲雀翁は趣味で和菓子を食べ歩く程の和菓子好きで、遊びに行けばよく菓子舗こまちの和菓子を武たちにも振舞ってくれるから、絶対店の場所を知っているはず。
薔薇の植え込みが壁面を彩る裏の門から二人が入ると、広い庭の縁側に、恭弥と祖父は並んで鯉に餌をやっていた。
「おはよひばり!お爺ちゃん!」
「あ、武とたけちゃん」
「おお、二人とも朝から元気がいいな」
雲雀家の跡取りである恭弥をよく遊びに誘う双子に、恭弥の両親はあまりいい顔をしてくれなかったが、この祖父だけはいつも孫の恭弥と分け隔てなく接してくれていた。
二人は、そんな雲雀翁が大好きだった。
「菓子舗こまちのある場所?」
雲雀翁は、縁側に腰掛けて、今日は田中屋のみたらし団子を双子に勧めながら自分も一口頬張った。
「今日は父の日でしょ?だから俺達、父ちゃんに菓子舗こまちの豆大福を買ってあげたいのな!」
「だから場所教えて?」
同じ向きに首を傾げながら見上げて来る双子に、翁はウウ〜ンと顎に手をやる。
「教えてやるの御安い御用だが、果たして小学一年生が迷わず行けるか・・・連れて行ってやりたいのは山々だが、ワシはこれから恭弥に稽古をつけねばならんしなあ・・・」
「大丈夫!俺達二人で行くから平気!な、武」
「うん大丈夫だぜじいちゃん。な、たけし」
「う〜む・・・」
菓子舗こまちのある町は、並盛町の隣町で駅前からバス一本で行ける。
が、町全体が広い上に、老舗である菓子舗こまちの周辺はここ数年で住宅が乱立し、小路が入り乱れてしまったので、大人でも意外と分かり辛いのだ。
とはいえ、二人はもう行く気満々。それに、妻を亡くして気落する暇もなく普通の倍以上は苦労している父親に、好物の大福を食べさせてやりたいという幼い二人の優しさは、尊重してやりたい・・・。
「・・・よし分かった。じゃあじいちゃんが地図を書いてやるから、その通りに行くんだぞ?」
雲雀翁はそう言って座っていた縁側のすぐ背後にある襖を開けて文机から白い便箋を出すと、流麗な筆さばきでバスを降りてからの菓子舗こまちの地図を書いてくれた。
そして二人を裏口の門まで見送ってくれると、お腹がすいたら食べなさいと“はなぼうろ”をたけしのポシェットに入れてくれた。
手を振り、小さな手を握りあって駅に歩いて行く背中を見て、今まで黙っていた恭弥がポツンと言った。
「・・・いいなあ」
雲雀翁はそんな孫の艶やかな髪を、老いたにしては細くしなやかな指で撫でた。
同い年の子供たちが太陽の下、きゃあきゃあ言いながら公園で遊ぶ中、いつも室内で稽古に励む恭弥の肌は、雪のように白い。
「稽古が終わったら、恭弥の好きなハンバーグ、食べに行こうな?」
「・・はい」
「じゃあ、そろそろ稽古場に行くか」
屋敷とは別棟にある稽古場からは、既に鼓が鳴り響いていた。
縁側に置いてあった鞄から小さな扇子を取り出し、恭弥は祖父であり師匠である雲雀翁の後を静かに追いかけた。




 駅前のバス停からバスに乗った二人は、相席いすに並んで腰掛け、財布の中身を確認した。
「え〜と、俺410円」
「俺、440円な」
小さな手に、小銭が13枚。
小学校入学の日に、父から「今月から二人に200円ずつ小遣いをやるからな。おやつとか、おもちゃとか、その中から買うようにするんだぞ」と渡されるようになってから、はや3ヶ月。
おやつをこれで、と言いながら、父は八百屋の八百辰さんから毎日のように果物を買ったり貰ったりしていたから、武とたけしは、ごくたまに駄菓子屋で酢漬けイカとかゼリーなんかを買う程度でおやつはもっぱら果物だった。
また、外で鬼ごっこしたり体を動かすのが好きな二人はおもちゃなんて必要無かったので、結構残金があり、二人は喜んだ。
とはいえ、先程運転手さんに二人の目的地までのバス運賃はいくらか訊いたところ、子供は半額の180円と言われたので、850円−180×2×2(往復だから)で残りは130円。
菓子舗こまちの豆大福は一個120円だから、残念ながらたった一つしか買えない。
「・・・来月の小遣いからまた100円ずつ貯めて、来年はもっといっぱい買ってあげような」
「うん、頑張ろうな!父ちゃん大福大好きだもんな」
ニコ、ニコ。
笑いあって、たけしはポシェット、武はリュックに大事な財布をしまいこんだ。
「あ、そういえば」
たけしは、先程雲雀翁が入れてくれた“はなぼうろ”を取り出した。
京都から知人が訪れた際、手土産に頂いたのだという老舗有名店のはなぼうろ。何度か食べさせて貰ったことがあるはなぼうろは、甘くて素朴な歯触りが何ともいえず美味しい。たけしも武も勿論雲雀も大好きなお菓子だ。
その包みの中に、ティッシュにくるまれた何かがあって、たけしは小さな掌にそれを広げて驚いた。
中にはお金と手紙が入っていた。
“じいちゃんの分も作っておいて貰うよう電話で頼んでおくから、大福12個買って来ておくれ。お使いしてくれるお礼に、大福半分とお釣りは二人にお駄賃だ”
千円札が二枚と500円玉が一枚。二人は顔を見合せ、頬を紅潮させた。
「うわあ、良かったね武!じいちゃん、お駄賃に豆大福とお釣りの100円くれるって!喉渇いたらジュース半分こして飲めるね!」
「うんうん!父ちゃんにも豆大福いっぱい食べさせてあげられるね!じいちゃんとこに“こまち”の場所聞きに行って良かったな!じいちゃんのおつかいも頑張ろうな!」
はなぼうろを頬張って、二人はまたニコニコと微笑んだ。
窓の外には長閑かな風景が広がり、爽やかな風に吹かれて田んぼの青々した稲が波打っていた。
車内に居た人達の殆んどが下車し、後ろの窓際に学生服姿の少女が1人居るだけ。
双子たちが降りるバス停を訊いていた運転手が、車内アナウンスでもうすぐだよと声を掛けてくれた。
「ありがとうございました!」
360円を入れ、運転手さんに元気よく二人で挨拶したら、気をつけてと手を振ってくれた。
意気揚々とステップを降りた二人の前に、見知らぬ町が広がっていた。
双子は小さな手を取り合って駆け出した。



さて。


降り立ったはいいが、見たことも無い町で、二人はキョロキョロ辺りを見渡した。
雲雀翁が書いてくれた地図を開き、目印になっている建物を探す。バスが停まったのは大通りで、バス停には『秋葉通り』と書いてあった。まだ一年生の二人には読めない漢字だが、帰りもこの辺りからバスに乗らなければならないのだから、字の形を覚えておかなくてはならない。こんな形とこんな形・・・武が懸命に視覚にインプットしている横で、たけしがアッと声を上げた。
「武!あれ!」
たけしが指差す方を見たら、カメラのナカムラという大きな看板の正方形の店舗があった。見れば、地図にも同じカタカナで名前が書いてある。
「あそこの横に長い坂道があって、それをず〜っと歩いて行くんだな!」
地図に描いてある長い坂道には、所々枝のように小道が途中まで引かれ、×で止まっていた。
『いいか?×が付いてる道は入ったらいかんぞ?住宅街に続いているから、迷子になってしまうと悪いからな?』
初めて歩く町、初めて歩く道。武はドキドキ、たけしはワクワクしながら、手を取り合って長い長い坂道をのぼりはじめた。




日曜日の竹寿司の昼は、とても忙しい。なんせ商店街に一軒しかない寿司屋なので、買い物を終えて空腹を訴えた腹の虫をなだめたい客が二人三人纏まって食べに来るし、おまけに今日は、一月ほど前に訪れた一見客がどうも料理評論家だったらしく、先頃発売された地元食べ歩き雑誌に掲載されたのもあって、そんなに広くない店内は満員、外にまで並んでいるくらいだった。
一人てんてこ舞いの剛を見かねた向かいの本屋の店主が、妻と高校生の息子を寄越してくれて、現在何とか店内は回っている状態だった。
「ねえおじさん」
お茶出しをしていた手を休めて、本屋の息子が暖簾の向こうに繋がる山本家の居間を覗きながら問いかけた。
「武坊とたけは?あいつらも腹減ったんじゃねえか?」
同じ忙しい個人商店の親を持つ子供同士だから、年が違っていてもよく遊ぶ。親に代わり、年上の子共が小さな子たちを面倒みるのは、この辺りでは当然のことだ。
現在高校生のこの本屋の息子も、まだ双子たちが2つ3つでチョロチョロ危なっかしい時分は、山本家の狭い庭先や、自宅の自分の部屋に連れて行き、よく遊んでくれたものだった。ちなみに彼の将来の夢は、小学校の教師だ。
「あ〜、その辺で遊んでるんじゃねえかな。腹がへりゃ帰ってくるさ」
「なんだ〜、久しぶりに顔見たかったのにな」
「はは、悪いなあ」
素早く注文の品を作り、カウンターにヒョイと乗せた。
「おっ、きたきた〜」
嬉しそうに割りばしを割る客に「今日の烏賊は活きがいいから、口の中で暴れますよ」なんて冗談言って、剛はふと視線をとばした。
晴れの日の今日は、室温もあがっていたので窓もドアも全開になっている。
綺麗に晴れ渡った青い空を眺め、剛はやんわり目を細めた。
先程掛かってきた一本の電話を思い出せば、どうしても口元が弛む。
電話の主は、竹寿司を贔屓にしてくれている紫綬褒章受章日舞女形二代目雲雀藤五郎だった。




坂道は歩いても歩いても、まだ延々続いていた。急な坂ではないから息が切れる程ではないが、やはり平坦な道よりも疲れる。
雲雀翁の地図通りならば、つい二分ほど前に“喫茶アルハンブラ”と看板に描かれた喫茶店を通りすぎたから、菓子舗こまちまであともう少しのはずだ。
坂の上はまだ見えない。が、二人は顔を見合せ、うん!と頷きあって一気に走ろうとした、その時。
「・・・ひっく、ひっく、うええん」
どこからか、微かな子供の泣き声。武とたけしは、一度また顔を見合せると、キョロキョロ辺りを見回した。坂道に人影は無い。耳を澄ますと、泣き声は小路の奥から聞こえてきた。
どうしよう?二人は額を寄せあう。
『小路に入ったら迷子になるから、坂道を真っ直ぐ行くんだぞ』
坂道の両側は、確かに大小様々な住宅が建ち並んでいた。土地勘が無いものが入ったら、迷路のように抜け出せなくなりそうなくらい。
「・・・・」
「・・・・」
「「行こう!」」
二人は声のする方へ走り出した。だって泣いてるのは自分たちと同じ子供なんだもの。
泣いてる子を放って素通りなんて、父ちゃんだったら絶対しない。
父ちゃんは、大きくて強くて、とびっきり優しい。迷子がいたら、一緒に帰れる道を探してくれるし、泣いてる子には『どうした?もう大丈夫だぞ』きっとそうやって、頭を撫でてくれるはず。
父ちゃんは武とたけしのヒーローだ。だから二人はいつか父ちゃんみたいな大人になりたいって思っている。
大好きなんだ、尊敬してるんだ、だから俺達は、父ちゃんがするように、自分たちもするんだ!
「どうしたの?」
駆け付けた大きな家の裏通りで、女の子が蹲り泣いていた。擦りむいた膝小僧から血が滲んでいる。
「怪我しちゃったの?」
「痛くて泣いてたの?」
二人は女の子の両脇に、同じようにしゃがみこんだ。
ピンクのヘアバンドをした女の子が、涙を拭きながら顔を上げた。
「自転車に乗って遊んでいたら、転んじゃったの・・・ひっく」
見れば、側にまだ買って間もなさそうな、ピカピカの補助輪つきのオレンジ色の自転車が倒れていた。
武は自転車を起こしてやり、たけしはポシェットから出した絆創膏を膝小僧にペタリと貼り付けて、母から教わったとっておきの魔法をかけてあげた。
「痛いの痛いのとんでけ〜チチ〜ンプイ!ほら、もう大丈夫だぜ?」
同じ顔した二人が同じように笑うと、女の子にもちょっぴり笑顔が浮かんだ。
「あ・・ありがとう」
「自転車も、壊れてなくて良かったね」
「うん」
残っていた涙を拭いて、女の子は立ち上がった。そうすると同じような背格好で、自然三人は「何年生?」「俺一年」「私も」なんて、名前も名乗っていないのに年齢確認だけして微笑みあうのだった。
自転車に跨がり、二人に手をふり女の子は住宅の中へ帰って行こうとして、何か思い立ったようにブレーキをかけ振り返った。
これからどっちに向かおうか。地図を見ながら思案していた双子を、少し考えるようにして眺め、首を傾げ。
「・・・やまもとさんちのふたごさん?」
武とたけしは、もとより大きめの瞳を真ん丸に見開いた。


--------------------------------------------------------------------------------
丸い円盤型の白いテーブルの上には、”菓子舗こまち“の文字が印刷された包装紙で覆われた、6個入り豆大福の箱が2つ重ねて白いナイロン袋に入れられていた。
双子はそのテーブルの脚から伸びている、同じく円盤型の4つの椅子の2つに腰掛け、冷たいオレンジジュースをごくごく喉を鳴らして飲んでいた。



「やまもとさんちのふたごさん?」
自転車の上で二人を振り返った女の子の元へ、二人はダッシュした。
“やまもとさんちのふたご”なんて、世の中探せば幾らでも居るのかもしれないが、今この女の子が言っている“やまもとさんちのふたごさん”は自分たちのことに違いない!と、二人の直感が告げていた。
「俺たちのこと、何で知ってるの?!」
「俺たち、“菓子舗こまち”に行きたいの!」
「「お願い教えて!」」
まさに地獄に仏(んな大袈裟な、なんて言わないで欲しい、道に迷うって凄く怖いし不安なものだ)、二人は女の子にすがり付くような目を向けた。
すると女の子は二人を不審がりもせず、にっこり笑って。
「良かった会えて。わたしあなたたちをお迎えに来たの」
武とたけしは、何度目か分からないが、顔を見合せた。




菓子舗こまちは坂の天辺にあった。天辺と言っても坂道の上も広い国道になっていて、地図上では先程二人がバス停を降りた道路と平行するように走っている。
ただ、15年前くらいから、この道路の下に向かって住宅が増えたことから、主要道路が下の国道に移ってしまい、それに伴いバスも順路を変えてしまったので、地元住民にはこちらは旧道と呼ばれるようになっていた。
それでも老舗であり県内でも有名な菓子舗こまちに訪れる客は多く、休日になると観光バスが停まって、名物の豆大福を一人が幾つも購入する姿が見られる。
雲雀翁も、そんな菓子舗こまちの豆大福の熱烈なファンの一人なのだ。
二人が少女に導かれ到着した時には、表の木の長椅子に、一休み中のお婆さんが汗を拭いていた。
藍色の大きな暖簾を潜り抜ければ、石を嵌め込んだ床。ガラスケースには名物豆大福は勿論、わらび餅やくずきりなどが、綺麗に並べられていた。
「お父さーん、山本さんちの双子さん、お連れしましたー」
女の子はガラスケースの向こうにある厨房に向かって叫んだ。
すると間もなく、紺色の作務衣に身を包んだ穏やかそうな男の人が現れた。
菓子舗こまちの五代目店主であり、山本家の双子を案内してくれた少女の父親だった。




「あ〜ビックリした!でも良かったあ、俺たちあのまま迷ってたら、父ちゃんに豆大福買えなかったもんな!」
「うんうん、じいちゃんの豆大福もな!」
二人は空になったグラスを同時に置いて笑った。二人の向かいには、少女と店主である父親が座っていた。
「あの長い坂道は、大人の足でも相当時間がかかるからね。今日は天気もいいから、喉が乾いただろう?もっと飲んでいいよ」
「わーい」
「ありがとう」
なみなみ注がれたオレンジジュースは、天然果汁100%で濃厚な味がした。暑さに火照った体の隅々までうるおう感じがする。
少女の父親は、雲雀翁から電話を受け取ってから、すぐに豆大福を6個入れの箱に詰めて用意してくれたらしい。
そして子供たちが迷わないようにバス停まで迎えに行こうとしたところ、姉に置いて行かれ一人寂しく庭先で遊んでいた娘が『わたしが行く』とお迎えを買って出たという訳だった。
「ごめんね、わたしが二人をバス停までお迎えに行かなきゃならなかったのに、坂道の途中でどうしても新しい自転車に乗りたくなっちゃったの・・・遅くなった上に、あんなところで転んじゃって・・」
「いいよお」
「もう豆大福買えたし」
「ジュースも飲ませてもらったもんな!」
秋元家の広い裏庭で、パラソルの下ジュースを飲み終え、武は箱に入った豆大福と、お小遣いで一つだけ余分に袋に入れて貰った豆大福を、潰れてしまわないよう気を付けてリュックにしまいこんだ。
「あの、いま何時ですか?」
大事なアイテムは手に入れた。あとは、これを届けなくちゃ、二人の一番大切な人に。
「今日は日曜日だからバスの本数が少なくてね。帰りのバス時間は2時47分だよ。ゆっくり行っても待つ時間が大分あるから、お腹空いただろう?心太でも御上がりなさい」
でも・・・と口にしたところで、タイミングよく二人のお腹がキュ〜ンと可愛らしく泣いた。くすくす笑ったこまちが台所へ走って行ったかと思うと、すぐに黒蜜のかかった心太を二人分テーブルに乗せてくれた。
冷たくのど越しの良い心太を堪能し、ご馳走さまと手を併せたら、先程少し店を見てくると言い残し姿を消した父親が、頃合いを見計らって「そろそろ行こうか」と顔を覗かせた。
帰りは秋元親子がバス停まで送ってくれた。
その間も、並んで歩きながら沢山のお話をした。
少女の名前は、店の名前である“菓子舗こまち”から貰ったものであることや、武たちの父と母が、二人が産まれる以前からこの和菓子屋を贔屓にしていたこと、実は何度か、竹寿司にも訪れてくれていることも。
「お母さんのことは、私もとても悲しかった。お母さんだって、幼い君たちを置いて逝かなければならないのは、どんなにか心残りだったか知れない。でも今日の君たちを見て、お母さんは喜んでいらっしゃるに違いないね。君たちが、こんなに優しく成長しているのを見て」
二人はくすぐったい気持ちで、大きな手が髪を撫でてくれるまま、目を細めた。
こまちの父親の手からは、甘い匂いがした。とっても柔らかな、甘い匂い。
そして何故か、二人の胸をきゅんと痛くさせた。
甘くてとっても良い匂いだし、好きな匂いだけど、二人にはもっともっとずーっと好きな匂いがある。
産まれた時から側にあって、毎日包まれていて、抱きしめられている、あの匂い。
バスに揺られながら、二人は無言だった。でも口に出さなくても、二人の想いは同じだった。
早く会いたい。会って、あの匂いにギューってされたい。
ドキドキワクワクのおつかいが終わったら、残ったのはもどかしいくらいの――これは何て言ったらいいの?ホームシック?
お尻と下腹の辺りがむずむずして、何だかいてもたってもいられないような気持ちになる。
早く、早くバスよ並盛の町に着いて!
黙って手をきつく握りあい、口をへの字に曲げて、込み上げるものに奥歯を噛み締め堪える。
行きに通りすぎた田園を追い越し、波打つ稲にさよならすれば、ほら見えてきた、俺たちの町。
じんわり目の縁にたまったものが溢れないよう、瞬きを抑える。
『並盛〜、お忘れものの無いよう・・・』
アナウンスが、どこか遠い。
駅前のバス停には、沢山の人影があった。終着駅だから、武たちが降りたあと、また新たに隣町に行く人が乗り込むのだ。
その人影の中に、見慣れた姿を見つけて、武とたけしは今度こそ堪えきれず唇を戦慄かせた。
白い割烹姿の父を、二人が見間違えるはずがない。
父は、二人を迎えに来てくれていた。
時間は3時32分――あと、30分したら夕方の仕込みの時間。店が一段落してから、準備中の札を下げて駅まで来てくれたんだ。
どうして二人がバスに乗って出掛けたのを知っているのかは分からないけど、父ちゃんは強いし優しいから、きっとピピッて何か感じたんだ!
二人分のお金を払うのももどかしく、バスのステップを転がるように駆け降りたら、父が両手を広げていた。
「武!たけし!」
「父ちゃん!」
「父ちゃん!」
飛び込んだ二人を抱き締める割烹着からは酢の匂い。
二人が大大大好きな父ちゃんの匂い。
「おかえり武、たけし。父ちゃん待ってたぞ」
「えへへ、父ちゃん父ちゃん!」
ぐりぐり頬を擦り付けられて髭そりあとが少し痛いけど、それすら嬉しい。ふわふわ薫るのは、やっぱり酢の匂い。あと玉子とか、しょうゆとか、みんなみんな、大好きな父ちゃんの匂い!
武は、リュックを降ろして中から一つ大事に大事に取り出した。
「俺たちからの感謝を込めた豆大福」
「いつもありがとう!父ちゃん」
たけしと二人で、そっと差し出す。
箱に入ったもの――ではなく、たった一個、袋に入れて貰った豆大福。二人のお小遣いで大好きな父ちゃんの喜ぶ顔が見たくて買った、父ちゃんの大好物菓子舗こまちの豆大福。
父ちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせながら、なんと一口で豆大福を頬張った。
「父ちゃんすげーっ!」
「でっかい口〜!あははは」
両手に一つずつ双子の手を引く父親の口の周りには、大福の白い粉。
けれど父親は、それを拭いもせずに帰り道を歩いた。時折思い出すようにペロと舌で粉を舐めとりながら。
それは何とも幸せな味だったと、報告された。仏壇に飾られた、母の写真にだけ。




六個入りの豆大福と共に、とびきりの笑顔つきで。







おわり





[*前へ]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!