日記ログ
I
(雨月&山本)


夕方から降りだした雨に、父親は慌てて帰って行った。
背中を見送ってから窓に目をやり、ため息ひとつこぼして山本はベッドのリモコンを取った。静かな振動を背中に感じながら、視界は倒れて行く。ゆっくり、目蓋を閉じた。


横になっている内に眠ってしまったらしく、ふと目を覚ました時には、見回りの看護師が気をきかせてくれたか、ナースコールの横にあるベッドライトがつけられていた。
「目が覚めたようでござるな?」
真っ直ぐな線を引いたような声に山本が首を捻れば、朝利雨月がそこにいた。
さらさらと降る雨すらも透かして見える、まるで天女の羽衣のような薄絹を纏った雨月は、山本にスッと男にしてはたおやかな手を差し出した。
毛布の上に左右に指を滑らせ、探しだしたリモコンのスイッチを押して上半身を起こす。
「どこに連れて行こうっていうんだ?俺は知っての通り・・・」
俯きそうになった山本の顎を、長い指が支えた。
見れば、雨月はいつものように穏やかに微笑んでいた。
「心配しなくていいから、私の手を取りなさい、山本武。今日は雨降り。月も隠れてしまったから、夜空を見るものなどおらぬでしょう」
雨月はそう言うと、山本の小脇に立った。
何を言いたいのかよく判らなかったが、山本は首を傾げつつも手を持ち上げた。
暗くて寂しい夜だから、誰でもいい。側にいて欲しい。見知った相手ならば、なお。
考えても仕方ないことを考える時間が多すぎて、少し心が疲れてしまっていた。父に心配させたくはない。精一杯の強がりで日々を過ごし、けれど、たまに寄り掛かれる肩が欲しくなる。
今だけ――そう、こんな月の無い、雨で何もかもを隠してしまう夜の間だけでも。
山本は雨月に手を差し出した。すると伸びて来た腕が力強く腰を抱いて。
「そう、そして私の肩に腕を回して、しっかり捕まっているのでござるよ?」
「え」
?という疑問符を言葉尻に付けている暇もなく、何と山本の体はふわりと宙に浮いていた。
「え、ええ?!」
いつの間にか開かれた窓を越え、物干し竿が何本も渡る病院の屋上がどんどん小さくなり。
雨月の烏帽子から流れるように垂れ下がる柔らかい薄絹が、雨を弾いて濡れている。
病院を遥か下方に見下ろしながら、山本は驚きと興奮とほんの少しの恐怖心から雨月に回す腕に力を込めた。


「雨は嫌いですか?山本武」
「え・・・いや、好き・・だけど」
「私も好きです。・・・月の無い夜の雨は、隠したがりの意地っ張りなお主に似ているような気がして、引っ張り出したくなりました」
「・・・なんだよ、そんなこと」
「あるでござる、な?」
「・・・ん」
素直に頷いた山本を見て、雨月の目許が優しくゆるむ。
「私はこのような雨も、お主のことも、とてもいとおしいでござるよ」
ベールの下で、雨月はそっと山本の額に唇を寄せた。


静かに降る雨を避けて寄り添う二人は、ただお互いの息遣いと心音に耳を澄ます。
パジャマしか着ていなくても、雨月の装束に包まれた体は寒さなど感じなかった。
その雨月は時折、まるで幼い若芽を撫でる手付きで頬をくすぐったりして山本を和ませる。


山本は雨月を見上げ、ほんのり微笑んだ。


心に溜まった澱たちが、この穏やかな雨にさらさらと流れて行くような気がして。




 ――――――――――

雨月と二世



『月が綺麗ですね』






昨夜から降り続けていた雪は、南天の赤い実だけを残して広い庭を覆い隠し、漸く止んだようだ。
空も白み始めているというのに、まだ地上を照らしているのは薄青い月光。
と思っているうちにも、足の早い雲に顔を隠してしまった。


まるで、あの人のようだ。


障子を開け放ち、冷たい板張りの上に正座をして、ふと、以前こうして隣り合わせに腰を掛け、月を見上げたひとを思い出す。





悪い人間では無かった。兄を越えたかっただけなのだ。生真面目で、プライドが高く、それ故孤独だった。
「ジョットが太陽ならば、俺は月だな」
イタリアに来た当時は、雨月よりも下だった目線は、今や僅かに見上げなければ合わないほど、彼は大きく成長していた。
「あいつが光ならば俺は影。・・・ジョットが居る内は、俺の出る幕など無い」
貧しき人を謂れの無い暴力から守るため、自警団を組織した兄。
尊敬と羨望はやがて、彼の中に卑屈な感情を植え付けた。
なまじ力がありながら、打ち解けられない性格が災いしてか、彼は周囲から浮いていた。
「良いではありませんか、灼熱の太陽を拝む者もあれば、神秘的な月光に安堵を覚える人間もおりましょう?
・・・蒼く空気の澄んだ月の夜は、何処までも笛の音を届かせてくれます。私は好きですよ」
何故そのような事を口にしてしまったのか。けれど彼の横顔が、とても苦し気だったので、見たくないと思ったのだ。
顔を上げた彼は、自分の言動が気恥ずかしくなり彼から目を反らして俯いてしまった私の顎を、ついと人差し指で持ち上げた。
「・・・世界には、珍しい花があるのだそうだ」
「花・・・ですか?」
「真夜中に、たった一度きりしか咲かぬ花だ」
「それは・・・確かに珍しい」
「幻想的で、匂いたつような美しさ―――だ、そうだ」


間近に迫った瞳が私を映しながら極々微弱な揺れを見せていた。
蒼く凍てつく月夜の下の白い光を弾く、それこそが幻想的であると私は―――


そうして、たった一度、温かな空気がふわりと吹き掛けられたのかと思うくらい僅かに、唇は触れて、離れた。
時間にしてみれば一秒にも充たない、睫毛を伏せ、開くと共に消えた温もり。
しかし私と彼の間には、そうして見つめあい、側にいるだけで感じられる何かがあった。
そこに二人でいるだけで、何時間、何十時間と手を触れ寄り添っているような感覚だった。
あの時、私達の時間は止まっていた。


「月下美人、という。・・・今宵の、お前だ」
彼は、Gいわく世界の全てを嫌っているようにすら見える険しい視線をほどき、私の全てを絡めとった。


その時の私が、どのような顔をあの人見せていたのかは判らない。
けれど私が誰にも見せないであろうあの人の微笑を、その表情から感じ取っていたように、あの人もまた、ジョットたちには見せることのない私を感じてくれていたのだと思う。





風のたよりすら、遠い異国からは運ばれては来ない。
だからこんな月の朝は、貴方に応える術を持たず逃げたくせに、貴方を想う私を





どうか許してください



 ―――――――

アラウディと雨月




『ゆるりと、行きましょう』





静かに降り積もる雪の下、唐傘を携え歩く雨月の隣でアラウディは、純白に覆われ澄んだ空気で満ちている世界を、まるで自分たち二人だけが独り占めしているような陶酔を感じていた。
未だ周囲を蒼く染めているのはほの白い月。
夜も明けきらぬうちから布団より引っ張り出され、何処へ行くのかと問うけれど、
『着いて来ればわかります』
そう悪戯気に微笑まれてしまえば、二の句も継げず。
そうこうしている道行き、あちらから一人、こちらから一人と、同じように傘を差す人影がちらりほらり。
顔を合わせれば軽く頭を垂れるけれど、声を出しての挨拶はせず、そのまま同じ方へ歩き出す。
なんだろう。
何かの儀式だろうか。


中国から日本を経由しドイツへ戻ろうとしていたアラウディは、最近ご無沙汰していた雅な友人の顔を一目拝んだら出立するつもりだった。
が、着くなり手首を穏やかに、しかし有無を言わさぬ強さで握りこまれ、『是非今晩は拙宅にお泊まり下さい。貴方の話をお聞かせ願いたい!』
『え、あ、いや僕は』
『今度はどのような国へ行かれたのでござるか?アラウディが話すと私もその国へ行けたような気になれるので嬉しいのです!』
目を輝かせる雨月に、もう行くんだけど、とは言えずに。
仕方なく一晩だけの約束をして、土産話とまではいかないが、最近目にした美しい花や、絵本でしか見たことのない動物の話をして聞かせた。
雨月は興味津々に頷きながら、瞳を黒曜石のように輝かせていた。


世界中のどんな宝石より美しい、黒すぐりの瞳を。




「もうすぐですよ」
昨夜の雨月の風雅な横顔を思い浮かべていたアラウディの前に、土をもり立てて作られた階段が現れた。
一段一段の高さは余り無いが、何十と続く階段は、すぐそばを歩く老人の足には少しきつかろうと思われた。
が、老人も子供も一つの文句も溢さずに、一心に上を目指している。
靴の下で、さくさくと雪が鳴った。
白い息が蒼に染まり、茂る木々の隙間を縫って空へ昇って消える。
誰も何も言わないのに、自分が話しかけては、どこか厳かなこの空気を汚してしまう気がして、ただ無言でひたすら階段を登った。


「アラウディ」


そうして、何分が過ぎたか。
最後の一段を上がったアラウディの前には、並盛神社と木の板に流麗な筆字が彫られた神社の境内が広がっていた。
そんなに広くはないが、朱塗りの鳥居の向こうには、随分参拝客が訪れている。
賽銭を投げ入れ、柏手を打つ。そして参ったあとには、何故か皆が神社の後ろへと姿を消して行った。
あそこに何かあるのだろうか?
その理由が知りたくて、アラウディが首を伸ばしていると、雨月が大丈夫ですから、と言って袖を引いた。
「もうすぐ見られますよ」
ふわりと目を細めた雨月に、胸が薄く鳴り響いた。
二礼二拍手一礼し、裏へ回る。
雨月とアラウディの後ろには、随分と長い人の列が出来ていた。この並盛神社は、小さいなりに結構由緒ある神社らしい。
裏に出ると、月はもう空の色に馴染み初めている。
そうして雨月に並んでアラウディが見たものは。
白い世界が、朝焼けの色に塗り替えられて行く。
余りの景色に、息を飲んだ。
「アラウディ、手を」
雨月がするように、御来光へそっと手を併せた。
初日の出。
こんなに荘厳で美しい太陽を、僕はこの先永遠に見ることは無いだろう。



――――――


※5年後くらい。ドクロちゃんはイタリアに渡ってボンゴレのお屋敷に居ます(犬と柿ぴーは何処かのアパートに暮らしてるはず)。
でも打ち解けるにはまだまだ時間が必要です。




『優しい手を持ってる』





一面の銀世界に、点々とつけられた足跡。24センチのブーツの踵の窪みは、仰向けに寝転がる凪の足元で消える。
ちらちら断続的に降る雪は、この世の寂しさも醜さも隠して行くよう。

どうせなら、私もこのまま雪に埋もれて無くなってしまえたら良いのに。

灰色の空から零れるように落ちて来る柔らかな天使の羽は、しかし凪の肌に触れると、ただの透明な雫になる。

私にもっと可愛げがあったら。

私がもっと従順であったら。

私がもっと

両親に愛されなかった事実は、クローム・ドクロとして新たな人生の時を刻む凪を、今もまだ苛み続けている。
骸から与えられた、仄かな優しさを纏った世界。
もう両親のことは忘れよう、彼の為に生きていこう。
自分に言い聞かせるけれど、心の中には埋めようの無い穴がいつもぽっかり空いているのだ。


哀しい 哀しい 哀しい




寂しい




「あ、おーい凪〜っ!」



鈍色の低い空に響いたのは、同じくボンゴレの守護者を務める男のもの。
凪は重たく感じる体を雪の中で捩るも、起き上がろうという気になれずに再び白い雪と同化を図る。
「あーあ、こんなんなって。風邪ひくぜ?」
しゃがみこんだ山本武に覗き込まれ、凪は顔を背けた。
その温かな笑顔が、凪は未だに苦手だ。せっかくの雪も溶かしてしまいそうな、春の日溜まりみたいな笑顔が。
「お汁粉作ったからさ、皆で食べねえ?笹川もいるし」
「京子・・・?」
「ああ、日本から遊びに来たんだ。汁粉の餡子も餅も、笹川からの差し入れ。久しぶりに日本の味が食べれるぜー」
笹川京子が来たと知り、凪はあの優しくて明るい京子にとても会いたくなった。
―――けれど同時に、やはり気後れもした。
彼女は大学生だという。
普通に学校へ通い、普通の友達と楽しいキャンパスライフを過ごしているであろう京子と、暴力と権力、そして愛憎に充ちた場所に身を置く凪では、生きている世界が違いすぎる。


―――その生い立ちも。


「・・・私、いらない。お汁粉」
「え?」
「だって、食べたこと無いもの・・・」
「そうなんだ?」
もそり、凪は雪の中から身を起こして、膝を抱えた。トップだけ結わえた長い髪が、肩にサラサラ散らばる。
「・・・食わず嫌いは良くないぜ?一口だけでも食べてみな。案外、悪くねえかもよ?」
「・・・美味しいって、思えなかったら?」
「そしたら、残せば良いんじゃねえ?大丈夫、俺が食べてやるから」
「武・・・」
顔を上げた凪の前には、いつになく真剣な眼差し。
「最初から諦めてたら、何もわからないまんまだ。・・・そうだろ?凪」
答えを返せずにいる凪を余所に、山本は自分が立ち上がると同時に、膝を抱えている凪の肘を取って強引に立たせた。
黒いスーツに着いた雪をぱたぱた大きな掌で叩き落とす。
「頬っぺたも指先も、真っ赤じゃねーか。お汁粉食ったら温まるぜ」
袖に着いていた雪を払いのけると、そのまま手を繋ぐ。
それは兄弟のようで、友人のようで、家族のようで、凪は泣きたくなる。




なんて優しい手を持ってるんだろう。




心にぽっかり空いた穴を、春風みたいな暖かな風が吹き抜けていく。暖かくて、暖かすぎて、胸が痛い。
涙ぐんだ顔を見られたくなくて唇を噛んだ凪を、山本は振り返ることなく屋敷へ歩き続けた。
「凪、大丈夫だから」
振り向かない代わりに、繋ぐ手に力を込めてくれる。


骸さま 骸さま




どうしたら、こんな優しい手を持てるんでしょうか



いつか私も、持つことができますか?




おわり

―――――

“ビューティフル・ライフ”





流石日本人――とでも言うべきか、用意した白地に淡い蒼で裾と袂だけ染めた浴衣は、雨月の凛とした佇まいによく映えた。
「美しいな、よく似合ってる雨月」
雨月とは逆に着なれない浴衣を、長くなよやかな腕で着付けられながら、ジョットは常に微笑をたたえる頬にかかった長い髪に指を絡ませる。
今日の雨月は烏帽子を脱ぎ、日本で野山を散策していた時のように髪を頭の頂点で結わえていた。もちろん、長い髪を束ねる藍色の組紐もジョットが贈ったものだ。
初めて出会った時、そのような出で立ちで風に揺れる草むらに立ち、茜色の空に笛を響かせていた雨月。
笛を押さえる細い指のなめらかさ、白い頬に流れる艶やかな長い髪、真っ直ぐに伸びた背中。
何もかもが美しく、神聖とすら感じた。


それが。


「おや、ジョットもそうお思いか?私も余りの着心地の良さに、もしや日本から持ってきた自前のものかと思い違いをしそうになったでござるよ。流石はジョット、浴衣を選ぶ目も肥えてござるなあ」


これだよ。


俺はお前を綺麗だと言ったのに。そんな綺麗なお前を更に、浴衣が引き立ててくれると言っているのに。
日本人は言葉の裏に隠された思いを読み取るのに長けていると聞いたのだが、どうにも雨月には当てはまらないような気がしてならない。


・・・そんな邪気の無い顔で俺を見るなよ。


にっこり微笑む雨月はとても綺麗だ。
淡雪のような肌、くろすぐりの瞳、烏の濡れ羽色の艶やかな髪、しなやかに揺れる竹のような凛とした立ち姿―――どれを取っても美しいと思う。


が。


「それにしてもジョット、浴衣を身に付けたということは、どこかで祭りでもあるのでござるか?櫓は?太鼓は?踊りは?ああ楽しみでござるなあ!Gやアラウディは?スペードは・・・呼ばずとも、もう出向いておられるでしょうな。ランポウはきっとはしゃぎ回って大変でしょうから手を離さぬようにせねばならぬし・・・あ!ナックルを教会まで呼びに行かねば!ん?それより私も笛の代りを用意せねばなりますまい!祭囃子といえば太鼓に笛でござる!おお!こうしちゃおられぬ!」
一気に喋って素足のまま走り出そうとした雨月の髪を、ジョットは慌てず騒がずふん捕まえた。
「痛いでござるよジョット」
「はしゃいでいるのはランポウじゃなくお前だ雨月」
「祭りと聞いて心が騒がない日本人はおりますまい、ね!ジョット」
「生憎ここにいる日本人はお前だけなんだよ」
ジョットが呟くように突っ込めば、雨月は「おや、そうでしたかね」などと言いながら、未だ髪に絡んでいるジョットの指を解いた。
全く、黙っていれば大和撫子なのに、行動や言動がどうにもおきゃんで目が離せない。


やや斜め上から穏やかに見下ろして来る雨月は、まるで静かに闇夜を照らす朧な月のよう。
だがしかし、口を開けば年齢よりずっと子供のようで。
どうしてこうも静と動が激しいのだろうか。
そうして困ったことに、自分は、そのどちらの雨月もいとおしくて仕方ないのだ。
「ではジョットは楽しみではないでござるか?」
問い掛ける雨月の弾む声は、爽やかに渡る風。野山をそよぐ歌。
小鳥が嘴に携えた黒い実のような瞳は深く澄んでいる。


ああ、囚われている。


「・・そんな訳がない。お前となら、祭りでも闘いでも何だって楽しめそうだよ」
小突くように頬に口付ければ、相変わらずジョットは物騒でござるなあ、と台詞の割には楽しげに目を細める。そんな雨月の手を取り、ジョットは屋敷のドアを開けた。
通りに溢れるのは、様々な衣装を身に付けた人々。
祭りといえば祭りなのだが、日本のように祭り囃子は聴こえてこないし、櫓を中心にした踊りの輪もない。
とはいえ、皆がこの艶姿に溜め息つく様を傍で眺めているのは確かに楽しみではある。
「さあて、行くぞ雨月!」
「いよいよ祭り見物ですな、胸が逸るでござるよジョット!」


しなやかな指にキュッと力が入る。


頼むからそのまま、ずっと俺の手を離すなよ。





おわり


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!