日記ログ
G
「武これ終わったら、4丁目の東山さんとこまで寿司桶貰いに行って来てくれや」
「おう、じゃ帰ったら朝ごはんにしようぜ」
「ああ。父ちゃんそれまでに朝の分の仕込み終わらせちまうわ」
墓掃除しながらそんな会話に花を咲かせ、山本家の親子は持って来ておいた花を綺麗になった墓に供えた。
取り敢えず飾るだけ飾って、お経を詠んでもらうのは夜に。


 寿司屋は盆は朝から忙しい。父は昨日から仕入れだなんだで座る暇もないから、家の中の一切は山本が全て任せられていた。部活が休みだから、今日は店も目一杯手伝える。
墓参りは仕事が終わってから二人でゆっくり。それはもう、母が亡くなった年からの、山本親子の決まり事。
手を併せ、一年の出来事に思いを馳せ、語りかける。
父は、息子に話せぬ母への思いを。
息子は、父には言えぬ秘密を。
目を開けた二人には、互いの前でにっこり微笑む妻の母の顔がしっかり見えるのだ。


 親子により御影石の美しさを取り戻した母の眠る墓石が、朝日に照らされ耀いている。
「夜また来るな!」
雑巾の入ったバケツを持って父は先を歩いていた。もう既に背丈を追い抜き逞しく育った息子は、ホウキを手にしてその後ろ姿を追い掛ける。


 山本家の墓を強い日射しから守るように長く長く枝を伸ばした八重桜。
重なりあう葉陰から所々漏れた光が、揺れている。


 楽しそうに、そして優しく。


まるで仲の良い親子の姿を喜ぶように。


 ――――――――――

『ジョットと雨月』

蒼い月に切れ切れにかかる雲が宵風に流され現れた影に、ジョットはこの世の宝石を見つけたようなため息を漏らした。
大人になってしまう前の、本の少しの戯れに訪れた日本で、まさかこんな美しいものを見つけてしまうなんて。 四季折々の花が咲き乱れ、春は風、夏は虫の音、秋に色鮮やかな山衣を楽しませてくれるという日本をどうしても一目見ておきたくて、幼なじみや弟の心配を振り切ってまで来てみて正解だった。
ジョットは風が吹く度波打つ草の中に腰を降ろして、膝まで緑の波に浸かりながら秋の虫たちが奏でる音楽を決して邪魔しないよう、しかし確かな旋律を持って流れる笛の音に耳を澄ませた。




 
 宿屋を頼もうにも、あまり異国の姿に慣れていないらしい店主には扉を閉められてしまった。
仕方ない。ここは大阪や神戸といった海の外に開けた町ではないから。
幸い季節はジョットに味方をしてくれ、雨さえ降らなければどこでも眠れる良い気候。
その日も足の疲れを感じて、城下の町が一望できる小高い丘の上に寝そべったのだった。
食料はそろそろ尽きる頃。懐具合は寂しく無いし、故郷が恋しくなったわけでもない、―――が、もう帰ろうか。
別にただ放浪しているだけの、あてどない旅だ。
四季の移り変わりをというなら、この2ヶ月で夏から秋へ移る様を見てきたのだし。
(何と言えばいいのか・・強いて言うなら、異邦人に向けられる目に疲れたのかもしれないな)
ジョットは丈の長い草の上に、身を倒した。
この日本では、自分は異形なのだ。髪の色、目の色、言葉。全ての違いに驚かれ、ましてや何もしないうちから怯えられる生活に、少しだけ疲れていた。
そっと目蓋を伏せると、秋の気配のからり乾いた太陽が控え目に頬を焼いた。ジョットは長い前髪で日差しを避けるように、疲れた体を丸めた。


(・・・ん?)
涼やかな風に頬を優しく撫でられ、ジョットは目を覚ました。
いつの間にか日は沈み、夜がジョットを取り巻いていた。
リーンリーン、コロコロコロコロ。
日本の虫たちは、鳴き声までが奥ゆかしいんだな。どちらかといえば馬鹿にしたようにジョットは喉を震わせた。
ジョットは本来そのような嘲笑めいた笑いをするような人間ではなかった。が、数ヶ月に渡って受けた猜疑心や驚愕に満ちた視線、そして言葉や気持ちの触れ合いの全く無い孤独な生活は、少しずつジョットの心を苛んでいた。
そんなやすりをかけられたざらついた感情に、染み入るように、それはそっとジョットに届けられた。
蒼い夜空に白く浮かび上がる月明かりに照らされ、ジョットに背中を見せた男は、長い髪を風に遊ばれるまま、不思議な音色の笛を吹いていた。
フルートのようには高くもなく、そして弾むようでもない。彼が奏でるそれは、まるで温かな掌が荒れた大地を穏やかに撫で、なだらかに戻してしてくれるような、そんな音。
すさんで疲れきったジョットの感情を包み込むように穏やかに、虫の音以外は風のそよぎしか無い物静かな景色と同調する。
「異国のお方」
突然笛が止んで、ジョットは彼が自分に気付いていたことに驚き、草むらから飛び起きた。
「私の笛は貴方の眠りの妨げになりましたでしょうか?」
仄かな月明かりの中で、長い黒髪がサラサラ鳴った。振り返った男の白い頬が、上品に笑んでみせた。
東洋人にしてはすらりと背の高い、清謐な雰囲気を持つ男だった。通った鼻筋、割合薄い唇、そして芯のある輝きを秘めた瞳は、涼し気に切れ上がっている。
男が動く度に、肩胛骨辺りまである髪が、月に朧に煌めきを放ちながら揺れた。
まるで絵画の一枚のような、幻想的でさえある男だった。
「お、俺はイタリアから1人旅で日本を訪れた。・・・ジョットだ」
こちら側から名乗るなんて。しかし男には、何の警戒もしなくていいように感じる雰囲気があった。
静かだが、温かい気が彼を覆っているのが伝わるのだ。そしてそれは、ずっとジョットを穏やかに包んでいる。
思わず身を委ねたくなるほどに、心地好い。
「貴方の日本語は実に流暢です。私は朝利雨月と申す者。ほら、町を越えた向こうにお屋敷が見えますでしょう?私はそこの、お抱え雅楽師にござります。実家がこちらにあります故、帰って来てはこの丘で笛の練習を」
あちらに、と指した手に持つ笛を、朝利雨月と名乗った男は自分の口許に近付けて吹く真似事をしてみせた。
先程見せた月の化身のような微笑とは違う人懐こい笑い顔に、ジョットは己れのささくれていた感情が徐々に和んで行くのが判った。
「大分お疲れのようですね」
「・・・そんなに顔に出ているか?」
「さあ、月のせいかもしれませんが」
そう言いながらも労るような視線を向けられ、何となく居心地が悪くなったジョットが俯き頬を掻いた時だった。
「私の家に来ませんか?」
「え?」
いつ来たのやら、雨月がジョットのまん前に立っていた。何だか目がキラキラしているのは月明かりのせいだろうか・・・・・・。
首を捻りかけていると、今度はおもむろにジョットを覗き込んできて。
「うんそうだ!私の家に来て少し休んで行かれたら良いでござるよ!実は私は家と宮廷しか知らないのです。常々海の向こうを知りたい知りたいと思っていたのでござるが・・・まさかひょんな所で異国の方とお知り合いになれるとは!なに心配なさいますな!宿泊代金など採ろうとは思っておりませぬ!ただ貴方の見聞きしてきた話を私にお聞かせ下さい!!」
一気にまくし立てられて、疲れも手伝い口をポカンと開けるしか出来なくなってしまっていたジョットに、朝利雨月はもう話は決まったみたいな顔でニッコリ笑う。
いやそんな、あんた、たった今出会ったばかりの外国人を金も要らない寝泊まりしていいって、そりゃあんまり警戒心無さすぎってなもんだろ―――なんて、誘われた自分の方が心配になってしまうが、どうにも既に半分以上その気になっているのも事実で。
「・・・あんた、騙されやすいだろ」
「え?いいえ全く」
「騙されたことすら気付いてないだけじゃないのか・・・?」
「気付いてないなら、騙されてないのと一緒でござるよ」
「良いのかそれで?!」
思わず突っ込んで、何となく調子が戻っていることに気付く。
あれ?なんて思っている間にも、雨月は持っていた笛を腰にさし、代わりに手にした草を右へ左へ揺らしながら、先へ先へと歩いて行ってしまう。
「来いって言ったくせに、着いて来てるかどうかも確認しないでどうするんだ・・・!」
やや肩を落としながら、ジョットは落ち込み気味だった心が躍動し始めているのを感じた。
隣に駆け寄れば、また僅か上方から微笑が返って来る。いつ振りだろうか、こんな風に誰かと目を合わせて笑い会うなど―――。
長い道のりがとても短く感じるくらい話をしながら、二人は月に薄く影を伸ばして雨月の家に帰った。


 家に着いてからジョットが再び旅立つまでに起こる様々な騒動は、彼等の友情の妨げになるどころか、深く深く結び付けることとなった。
そしてジョットが、朝利雨月という異国の友人がどれ程美しいのかを思い知る為の、かけがえのない時間ともなるのだった―――。






おわり

――――――――

『幸せの味』


「おばちゃん、メンチカツとコロッケ2つずつちょうだい」
肉のショーケースのへりに小さな手を掛けて、武は肉屋のおかみさんに200円を手渡す。
「あれ?武坊今日お父ちゃんいないの?」
「ん、あのな、今日“すしくみあいのそうかい”があって、ちょっと遅くなるんだって」
「へ〜、そーかい」
「うんそーなのな」
「・・・あんたみたいな子供に、あたしの高尚な駄洒落は通じないか」
「こうしょうなだじゃれってなーに?」
「いいよいいよ、悪かった。メンチカツにコロッケね〜はいよ、お釣りは武坊が取っときな」
メンチカツもコロッケも単価は50円だから、お釣りなど出る訳がないのに、おかみさんは武の掌に20円を乗せて握らせてくれた。
武は帰りに駄菓子屋で大好きなうまい棒を二本買って食べよう、そう思った。
「おつかいご苦労賃だよ」
「ありがとおばちゃん!!」
「どーいたしまして、こちらこそ毎度あり」
通りがよく見える硝子の引き戸をカラカラ開けて、小さな背中がひとごみに消えるまで、ショーケースに肘を着いておかみさんは見送ってくれた。
商店街のおじさんおばさんは、皆小さな武に優しかった。
駄菓子屋でサラミとチーズ味のうまい棒を買い、ちょっと行儀が悪いけど家に着くまでの間歩きながら頬張るそれは、何だか少しだけお兄さんになった気分でドキドキする。
買い食いしたことを父ちゃんにバレると叱られそうだから、武はさっさと商店街の通りの入り口、真ん中、出口付近に一つずつ備え付けてある出口側のゴミ箱に証拠を隠滅した。


 裏の勝手口の鍵を開けて、ちゃぶ台にお皿を二枚。まだホカホカ湯気を立てている揚げたて熱々のメンチカツとコロッケは、見ているだけでお腹が鳴る。
「おいしそ〜・・・」
ほう。思わず溜め息が漏れてしまう。台に頬杖ついて、夢見るような目付きで武は付け合わせも無い、キャベツすら敷かれていない揚げたての惣菜を眺めた。


 まだ六才になったばかりの武だから、料理なんて作った事はない。普段は父ちゃんが朝昼晩のご飯を用意してくれるけれど、今日のように用事がある日や、予約があってどうしても家事にまで手が回らない日は、こうして商店街のお肉屋さんでコロッケを買ったり、お惣菜屋さんでサラダやハンバーグなんかを買ったりした。
父ちゃんの作ってくれるご飯は大好きだ。
武の二倍以上ある大きな手で作られるじゃがいもの潰し揚げも、小判型練り挽き肉揚げも、凄く食べがいがあるし、とっても美味しい。
だけど、買って来たものは何となくお洒落に見えるし、特にこの肉屋のおばちゃんが作るコロッケなんかは、甘くてほくほくしていて、一口食べただけで幸せな気分になれちゃうのだ。
だから武は、父ちゃんのご飯は大大大好きなんだけど、たまに食べるコロッケに何か違う煌めきのようなものを感じていた。


 時間は6時を過ぎていた。総会とやらは、夕御飯が出るとは聞いていないから、多分もう少しすれば父ちゃんは帰って来ると思う。・・・・思うのではあるが。
目の前の小判型の物体からは、食べて食べてと誘うように美味しい匂いがプンプン漂っている。
こくり。誘われるままに、武の細い首の喉仏の辺りが上下した。
(一口だけ・・・おれのを一口かじるだけだから、良いよね)
武は狐色に揚がったコロッケをそっと両手で掴んで、そっと口許へ運んだ。
ほわほわとした湯気に混じって、じゃがいものほんのり甘い匂いがする。
カリカリに揚がったパン粉をかじると、とてもいい音がした。
熱い中身が口の中にころんと転がり込んで、武は舌が火傷しそうになり、はふんっ!
「あっ?!」
―――思わず飲み込んでしまった。
(あああっ!の、飲んじゃった〜っ!!)
熱い塊が体の中を落ちていくのが判る。熱さに涙が自然に浮かんだ。空っぽの口の中が寂しい。何だか幸せを逃してしまったみたいに切なくなる。
(・・・・・あと、一口だけ)
小さなかじり跡がついたコロッケに、もう一度歯を立てる。それだけで口の中には甘くてふわふわのじゃがいもの味が広がって来た。
(・・・・・・・もう、一口)
幸せを味わいたくて、武はもう一口、もう一口とコロッケにかじりついて、気が付けば―――。




「おーい武ぃ帰ったぞ〜」
思いの外遅くなり、寿司組合の総会なだけに土産に寿司折りを貰って帰って来た竹寿司店主山本剛は、ちゃぶ台の側で仰向け大の字になって寝息を立てている息子に目を細めた。
この分だとお風呂は入れられないな。そう思いながらちゃぶ台の上に目を移せば。
「はは、よっぽど腹ぁ減ってたんだなあ。・・・ちゃんと自分で食って偉い偉い」
茶色のちゃぶ台には、食べ尽くされてしまった跡が残る皿が二枚に、粒まで綺麗に食べあげたご飯茶碗に箸が重ねられていた。
そして。
ラップに包まれた小さくて不恰好な3つのおにぎりの一つを、剛は口に放り込む。
「あーあ、・・・しょっぺえなあ」
海苔も巻いてないし、塩を掌にこれでもかと付けて握ったらしい、小さくてへちゃむくれのおにぎりに苦笑いしながら、だけどこれが幸せの味って奴だな、なんて、口の周りを油だらけにしている息子のまだふにふにした頬っぺたを摘まんだ。
「うぅ〜・・ん、父ちゃんごめんなさい〜・・・でもおいしかった〜・・・」
どんな夢を見ているのだろうか。可愛いし面白いし、本当は大声で笑って抱き締めてしまいたい衝動を肩を震わせ堪える。
二階の窓はまだ全開らしい。階段から降りて来る風で、空気が動いていた。
涼しいとは到底言えやしないが、とても嬉しそうにむにゃりと口を笑みの形に歪めた息子がお腹を冷やしてしまわないよう、父はバスタオルをそっとかけてやった。
そして不恰好だけれど幸せが凝縮されたおにぎりを、ゆっくり味わうのだった。


 息子の穏やかな寝息をまだ蒸した夜風の中に聴きながら。




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