日記ログ
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『あなたにも、あげたい』――ユニと足長おじさん番外編






おじさん、あの


小さな少女は椅子に掛けて絵本を読んでくれている男の前で、後ろに回した手をもじもじさせる。
「どうした?ユニ」
まだ年端もいかない幼児ならいざ知らず、もう9つを過ぎて絵本を中断させるような、レディとしては行儀が良いとは言えない行為など、とうに卒業したはずの(トイレすら言い出せず、腹痛を起こしかけた時は焦ったものだ)ユニだからなおのこと、相当言いたいことがあるに違いない、山本は絵本に指を挟み、ユニの視線に身を屈めた。
「あ、あのね、これ」
小さな手がそっと差し出したのは、白い折り紙で折られた薔薇の花二輪。
パッと現れたそれを、山本の大きな掌に2つ、壊れ物でも扱うみたいに、それはそれは大切そうに手渡す。
「あのね、今日父の日でしょう?学校で先生が日頃の感謝の気持ちを込めて折りましょうって。私、お父さんの顔を知らないし・・・感謝したい男の人を考えたら、おじさんが浮かんだの。だから、それでね・・・」
手にしていた絵本をテーブルに置き、恥ずかしそうに俯いてしまったユニの頬に、山本は触れた。
母親以外身内の顔も名前も知らされていない少女だから、唯一顔見知りである自分にくれたのだろうけれど。
「・・・ありがとう、凄く嬉しいぜ?」
少女がどのような想いでこの薔薇を折ってくれたのか。
それは部屋の隅にできた山を覆う白いバスタオルからはみ出している、ひしゃげたり変な方向へ曲がったりしている薔薇たちを見れば分かった。
「あの、ね?一つはおじさんに、もう一つは」
顔を近付けてこっそり囁いたユニに、山本は嬉しげに声を立てて笑った。




 明けて翌日、ウ゛ァリアー邸の暗殺部隊長の黒く重々しい机に、ひっそり白い薔薇が咲いた。
新たに淹れたコーヒーをソファー近くの大理石のテーブルに置いて、まるで清楚で可憐な幼い少女のようねと紙の花弁を軽く撫でる乙女の心を持つ男の指の先に、部隊長は畏怖なる目を僅かに細め、すぐに黒いソファーへと頑健な体躯を沈める。


 今朝がた早い時間にベッドから抜け出て行った男の、黒いスーツの上着のポケットから覗いていた同じ白い花。
誰がどう見ても不似合いすぎる花を己れのような者に送ろうなどと考えるとは、さすがあの男の血縁者だ。
3月8日には、屋敷に溢れかえるくらいの赤い薔薇でも男に持たせてやろうか。
細く開いた窓から入る穏やかな風が、深みのある濃い燻した薫りを運んでくる。
あまのじゃくな部隊長は、案外悪くないと思える意趣返しを頭に浮かべながら、微睡みに身を投じた。







おわり


―――――――

ヒバ山 叔父×甥小話








 買い物袋を下げた優しげな母親に手を引かれ歩く、保育園鞄を背中にかづいた子供の後ろ姿を、18インチの自転車に跨がったまま見送った。
六年前の自分にも、あんな風に当たり前の幸せがあったのだと思い出を辿ろうとするけれど、辿り着くのはいつだって黒い枠の中の父と母の何年経っても変わらない笑顔で、まるで浮き袋を膨らます空気入れを踏むみたいに、武は自転車のペダルを踏んで大きく漕ぎ出した。


 四年生になった武は、放課後の学童を卒業して、叔父である雲雀恭弥が帰宅するまでの数時間、1人で留守を預かるようになっていた。
基本三年生までとなっている放課後児童預かりサービスだが、料金が上がっても良いからと四年生になっても学童に通わせる親は多い。
学年は上がったにせよ、まだ10になったばかり。子供が長時間1人で居るというのも何となく安全面に不安が残り、あと一年学童へ行ったらどうかという雲雀の打診に、首を振ったのは武だった。
『俺1人でも留守番くらいできるよ、恭おじさん。もう小さい子供じゃねーんだから』
目の前で、在りし日の姉の面影を映した笑顔を見せる子供は、雲雀にとってはまだまだこの腕の中で静かに泣いていたあの日の武だった。
大体、子供じゃないと言いつつ未だに雲雀と一つのベッドで眠っている小さな姿を見るにつけ、本当に大丈夫なのかと思わざるを得ないのだ。
(武に言わせれば、不経済だから寝られる内は一緒に寝ればいいじゃん、だそうだが)


 そう。小学校の入学時から今まで、武の成長曲線は緩やかな上昇はあるものの、その身長や体重は、ともすれば小学校低学年と間違われてしまうくらいの伸びしか見られない。
だからこそ余計な心配が付きまとうのだろう。周囲の同い年の子供と比べて、中身は随分しっかりしているのだと判っていても。
『大丈夫!恭おじさん意外と心配性だなあ、俺帰って来たら洗濯もするしご飯も作るぜ!』
雲雀の考えとは方向違いな事で胸を張る武。こうと決めたら案外引かない甥っ子に、それ以上の説得は時間の無駄と悟り、1人で留守番する際に気を付ける10ヶ条を大きな白い紙にサインペンで黒々と書きアイボリーの壁紙に貼り付けたのは、武が学童を卒業して1週間経過したかしないかくらいの頃だった。
 

 そうして数ヶ月、武はきちんと10ヶ条の一つである『恭おじさんが帰るまで、例え宅急便であっても玄関の鍵は開けない』を守り、チェーン越しにお帰りなさいの挨拶をしてみせた。
「今日はあさりのシチューなのな!」
自分で言ってみせたように、武は雲雀が仕事から帰って来る前に洗濯を終わらせ、夕御飯を作って待っているようになった。
可愛い奥さん特別編集“簡単料理おかず”は、雲雀が随分前に幼い子供の栄養面を考慮し購入したものだったから大分傷んでいたが、武は喜んで手本にしているようだった。
包丁の使い方などは少しずつ教えていたから割と危なげなく持っていたけれど、それでもまだまだ不慣れなのは確かで、鍋物やルーを使うものが食卓には多く並んだ(揚げ物は雲雀が作るのを禁止していた)。
「お風呂のお湯止めるのすっかり忘れててさ、慌てて行ってセーフ!ってしたら今度こっちがボッコボコ煮たってんの!」
シチューのルーを入れた際に風呂の事を思い出し、火を弱めるのを忘れて慌てて駆けて行った姿が目に浮かぶ。このシチューの中の粉の玉は、そういう理由か。
けれどそれも微笑ましく、雲雀は怒りもたしなめもせずに武の顔をにこやかに見つめて少し粉っぽいあさりのシチューを口に運んだ。
それにしても、だ。
学校が終わって雲雀が帰って来る迄の間、武は何も言わないが、やはり寂しいのではないだろうか。
留守番10ヶ条『部活がない日は、友達と遊んでいても必ず5時半には家に帰る』を実行しているだろう武が、大概9時位にならないと帰って来ない雲雀を待つ時間は、テレビ以外音声の無い部屋では子供には長く孤独すぎるのでは。
「ねえ武」
お代わりのシチューを皿によそっている武に、雲雀は手にしていたスプーンを静かに置いて穏やかに話し掛けた。
「何?おじさん」
まだ子供特有の甘ったれた感じを含んだ声の主は、雲雀の呼び掛けをお代わりの催促かと勘違いしたらしく、掌をこちらに向けて寄越す。
雲雀はそれに緩く首を振って、甥っ子に椅子へ座るよう促した。
「何か、動物でも飼おうか?」
「え?」
「そうしたら武も、1人でいる間、寂しくないだろう?」
雲雀に生き物への興味は全く無い。まだ幼少の頃には、空を泳ぐように横切って行く鳥たちを見上げ、自由でいいなと思った事くらいならあった気がするが、可愛いなんていう感情を持ったことは多分皆無に等しい。
だが武は違うだろう。
この年頃の子供は往々にして、捨て犬や捨て猫を拾って来ては家人を困らせるものだと、以前同僚にため息混じりに聞かされた覚えがある。
幸いにして、このマンションの規約には、小動物なら飼育しても良い旨が記されていたと記憶している。ハムスターや、小さな室内犬までなら大丈夫だろう。
日曜日に駅前のペットショップにでも見に行こう、そう提案しようとしていた雲雀が口を開く前に、武はぶんぶん首を振った。
「いらない」
「え」
「俺、1人でいるの寂しいなんて思ってねーし、動物なんて欲しくない」
「だけど」
言いかけて、雲雀は口をつぐんだ。いつもニコニコと1人でも楽しそうにしている武が、真面目な顔で唇を引き結んだからだ。
パパッ、と電気が一瞬点滅して、一段暗くなった。武の目元に、薄い影が出来る。それはまるで周囲に何も存在していないような、底の見えない眼を浮かび上がらせた。
仕事でパソコンに向かい過ぎてか、見えにくくなった気がして瞬きをしている内に、パッと弾けるような音がして白い光が元に戻った。
雲雀は先程の表情が本当に武のものだったのか確かめたくて、今度こそクリアになった視界に武を映したが、代わりにたっぷり盛り付けたシチューをガチャガチャスプーンの音を響かせながら一気に食べている子供がそこにいた。
戸惑う雲雀に武は言った。
「動物って、絶対俺より早く死ぬじゃん。俺もう、大好きな人に置いてかれんのは嫌だ。それが犬でも猫でも、絶対嫌だ」
武は硬さの混じる声でそれだけ言って、ご馳走さまと手を併せ慌ただしく席を立ち、雲雀に背を向けた。
そんな武を引き止める言葉すら、雲雀は失ってしまった。
『もう、大好きな人に置いてかれんのは嫌だ』
小さな体に、ちょっと甘えたな声。まだ10歳と数ヶ月しか生きていないのに、いつの間にか瞳に大人の苦さのようなものを湛えていたなんて。
あの小さな体の中に、そんな想いを隠していた事をずっと知らずにいた自分に感じる、虚しさと、腹立たしさ。
屈託なく笑う子だったのに、そういえば最近腹の底から笑っている武を見た覚えがあっただろうか。いや、笑顔どころの話ではない、幼児の頃と比べたら、一緒に過ごす時間だってぐっと減ってしまっていたから、会話も何かを確認するような物が多かったかもしれない。
仕事を言い訳にするつもりはないが、学校で友人と、部活で仲間と、笑い合ってくれているなら充分―――そう思っていたのは確かで。そして武自身、雲雀の前ではいつも普通に身の回りに起きたことを楽しそうに話していたから。

けれど、もしかしたら武は、何処にいても誰といても永遠の別れを想像してばかりで、人との深い繋がりを自分では気付かぬうちに拒絶していたのだろうか。
外部を見下し、自ら他人との関わりを拒絶して生きて来て、武と出会って初めて他人をいとしいと思う心や、自分よりも大切だと思える人がいるという気持ちが理解できるようになった雲雀だから、余計胸が痛む。そんな生き方は哀しいと思う。
ましてや両親から愛され育って来た記憶がありながら、いや、あるが故に、こんな小さな内から再び誰かを愛する事を、愛される事を拒む、そんなのは。
「俺、恭おじさんが居てくれれば、それでいいよ」
冷めたシチューに落としていた視線を上げると、冷蔵庫から取り出した麦茶のペットボトルを手にした武が立っていた。
「俺、おじさんが長生きできるように、ご飯も栄養あるのいっぱい覚えるし、おじさんが仕事しやすいように掃除も洗濯もするし、何でも一生懸命頑張るから」
こくん、と一口麦茶を飲み込んだ喉が、小さく上下する。
まだ喉仏も何処にあるか判らないような、柔らかな弾力の肌。
「だから、おじさんが死ぬ時は、俺を一緒に連れてってな」


ひっくり返った椅子が床に打ち付けられ、酷く響いたが、雲雀は構わず駆け寄り武を抱きすくめた。
「おじさん?」
涙も無く、淡々と死を口にする子供が、全身で訴えている。


独りにしないで


俺を置いて行かないで


「武・・・!」
この子供は、成長しないのではなかった。自分では無意識に、成長を諦めてしまっているのだ。
出会いや誰かを愛する喜びの希望よりも、その後に訪れる別れの絶望の大きさに、将来に何も望まなくなってしまった。
両親の死は、まだ未成熟なれど、柔らかい殻を破り更なる成長を見せる筈の武の心に、こんなにも大きな傷跡を遺してしまっている。そして年月を重ねても傷は癒えるどころか、より深く―――。


「僕が死んだりするはずないだろ?君を遺して死んだりなんか、できる訳ないじゃないか」


そう言ってやれたら、少しは武の心に光は射すのだろうか。
なぜ抱きしめられているのか、理由が判らず首を傾げながらも、なすがままになっている武が哀しかった。
優しい嘘すらついてやれない自分の堅さが嫌になる。
この数年というもの、武にとって叔父である自分は、何の力にもなってはいなかったのか。


抱きしめる他に自分が出来るのは、この先もこうして寄り添い生きていくことだけ、それだけしか無いのだろうか。


哀しかった。無性に哀しかった。
甥の前でただ無力な己を思い知らされ、愕然とするしかなかった。





おわり

―――――――

「なあなあ恭弥くん!あのな、ガッコの友達が彼女とのラブラブメール見せてくれたのな!俺も恭弥くんと、その、ほら一応なんていうか、その、ええと」
携帯片手に慌ただしく冷蔵庫から僕のビールと自分用にペットボトル飲料のカフェオレを取ってきた武が、真っ赤になって言い淀みながら、缶を渡して来た。
小さかった甥っ子が、いつしか自分を恋愛の対象として見ていたこと、それに気付き苦しみ、挙げ句僕から距離を置くために遠方の高校への入学を勝手に決めようとしていたのを知って初めて、心にいつしか育っていた彼への想いに気付いた僕。
お互いがお互いに感じていた想いが、家族愛から恋愛に変わったけれど、相手が一番大切だという根っこの部分は変わらない。
それでも僕達は、自分たちの関係に新しい一歩を踏み出す為に、あのマンションを出て雲雀家所有地に無人になって放置してあった築40年の平屋に引っ越しをした。
その気になれば新しく建てられない資金が無いわけではなかったけれど、実はここは武の親である雲雀の姉と義兄が、店を改装する2ヶ月だけだが住んでいた事があり、それを話したら武が『ここに住みたいな、俺』そう言って、覚えも無いだろうに懐かしそうに笑ったから。
「君もまだまだ慣れないね。そういう所が可愛いんだけど」
「なっ・・・!か、可愛いとかってそういうのは女の子に言うもんだろ?!」
「何言ってるの、僕みたいなおじさんからしてみれば、高校生なんて皆可愛らしいものだよ」
「あ、あーそういうこと」
何となく気抜けしたような顔を見て、雲雀はクスリと笑いながら缶ビールのプルトップを開けた。
本当は『好きな子が可愛いと思うのは当然だろう?』そう言ってやりたいけれど、武はその手の言葉に非常に照れる。
年齢の割りに大人びて見える上、所属する野球部では一年生ながらレギュラーポジションにいる武は、同じ年頃の女の子たちから『カッコいい』『素敵』『爽やか』と評判も上々のようだ。
つまり可愛いなんて表現には免疫が無いということなのだろう。小学校五年生まで130センチしか無くて上級生たちから可愛いとからかわれていたのは、彼にはもう遥か昔の記憶らしい。
「恋人」
「え」
「恋人なんだから、俺たちもそういうメールのやり取りをしたい・・・じゃないの?」
手にしている携帯を開けたり閉じたりしている武に、尋ねるように微笑みかければ、パアッと表情が輝いた。
「そ、そーなんだ恭弥くんっ!あのさあのさ、俺たち、その、アレだしだから、ちょっとそういうのしたらどーかなーとか思ったのな!」
アレだとかソレだとか、漸く擬音が入らなくなったと思えば。
恥ずかしいのは判るけれど、何が言いたいのか理解はしかねる。
雲雀は武の手から携帯を取り上げると、問題のデコメールとやらを見せてもらった(友人から“彼女からのメール”と、参考に送ってもらったそうだ)。


健ちゃんへ

帰り校門で待ってるネ
今日はいっぱいしよ



PS、ワリカンにしよ今月お小遣いなんだ



「・・・・・・」
この女の子はあからさまに彼氏をホテルに誘っているのだろうか。
ていうか、そんなメールを友人にラブラブメールだと見せる彼氏もどうかと思うが、今の子は皆こんなものなのだろうか。
そもそもこのようなメールを、武は僕に望んでいるのか・・・。
「ええと、武」
「ん?」
まるで犬が尻尾を振るように行儀よく正座し、まだ少し低い視線から自分を見上げて来る武に、雲雀は可愛いとは感じながらも頭痛を覚えた。
「・・・これが、君の言うラブラブメールなのかい?」
ラブラブ、という言葉にビビっと反応した武は、首が取れてしまうんじゃないかってくらい激しく上下に振ってみせる。
余りに期待に満ちた純粋な瞳に、何故この年になってそんな恥ずかしいメールを打たなきゃならないんだい?とは言えず、雲雀は一言「努力するよ」と言って力無く笑いながら、心の中で肩を落とした。


 そんな叔父の胸中など知らない武は、明けて翌日、昼休みの教室で今か今かと携帯のメール着信音が鳴るのを待っていた。
『まっくーろくーろすーけ出ておーいでー、でないーと目だまーをほーじくーるぞー♪』
声は可愛らしいが聞けば大概恐ろしいことを言っている着信の音声に武の瞳がパッと輝き、目にも止まらぬ速さで携帯が開かれた。
「おおっ!!」
歓びに綻んだ武の隣で昼御飯をもそもそ口に運んでいた、中学からの親友沢田綱吉と獄寺隼人は、何事かと怪訝な目を向ける。
「どしたの山本」
そんな親友の疑問に答えるように、武は携帯の画面を二人の親友に向けて。
「恭・・・じゃない、おじさんからのラブラブメールだぜっ!」
ほんのり頬を染めながらキャッなんて口元を押さえる山本を眺め、二人は顔を見合わせる。
「・・・・ラブラブメール・・・?」



武へ


今日の帰りは遅くなりそうだよ
だからトイレットペーパーと洗剤買ってきておいてね


恭弥



「了解!と!」
「了解〜???」



何とか考えてはみたものの、全然ラブな文面が思い付かなかった雲雀。
取り敢えずをちりばめてみたメールは、何とも所帯染みていてラブも色気もあったもんじゃ無かったが、に愛を感じた武少年は、また更に叔父にハートをがっちり捕まれた模様。




おわり



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あきゅろす。
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