日記ログ
A
 小気味良く刻まれて行く葱は、柔らかい色味を帯びたおぼろ豆腐の薬味に。
ニンニクをすり下ろし、醤油とあえたタレを作ってテーブルに置く。
「だもんだからさ、明日の黒曜中との練習試合、雲雀も行くって聞かねーんだよ」
食器棚から小皿を取り出しながら、武は眉を下げて笑う。
本日土曜日、出張から帰って来たザンザスに帰宅途中にお持ち帰りされた武は、出張先の名物だという馬刺を前に、ご飯に味噌汁、そしてザンザスの為のお猪口をテーブルに置いた。
「前にうちに黒曜の生徒会の連中が来た時に、たまたま生徒会室まで案内してやったたけしを向こうの生徒会長の六道って人が気に入ったとかで。だけど俺違うんじゃねーかなーって思うのな?」
「違う?」
「うんそう」
「何が」
「ん〜、なんてーか・・・ザンザスも見りゃ分かると思うんだ」
「見たくはないし、興味も一切無い」
ザンザスはそう言ってお猪口に入った純米酒を空けた。
「まあ気が向いたら見に来てくれよ」
けんもほろろなザンザスに肩を竦め、口の中で滑らかに溶けるおぼろ豆腐に舌鼓を打ちながら、武は明日の試合が試合になればいいなあと思った。




 そんな武のいや〜な予感は見事に的中。
回は既に六回裏の並盛中の攻撃。黒曜中のグランドは日曜日だというのに大勢のギャラリーで賑わっていたが、そのほとんどが試合よりも設営されたテントの下で繰り広げられている攻防に釘付けだった。
「だからさっきから近いって言ってるじゃないか。これ以上たけしに一ミリでも寄ってみなよ、二度と立てなくしてやるから」
「クフフ、おやおや、こんな事言ってますよたけしさん、貴女の幼なじみとやら」
「恋人だよ」
真ん中に試合のアナウンスを頼まれたたけしを挟んで、試合前から延々この調子だ。はっきり言えば、マイクを通したたけしのアナウンスよりも二人の会話の方が大きく、生徒たちの大半はこっちの方が面白いと試合そっちのけでテントばかりに視線は集中している。
「なあひばり、六道さんも隣であーだこーだ言われると俺集中できないんだよ。スコアブックもつけたいし、静かにしてくんない?」
最初の内は笑って流していたたけしも、いつまでも終わらない二人にほとほと呆れ果て、マウンドに選手が集まり作戦会議しているのを良いことに、マイクの電源を切った。
「ひばりや六道さんにはどうでも良い試合かもしれないけど、今月末から大会が始まる俺たちにとっては、自分たちの実力を推し量る大事な試合なんだよ。なあお願いだから、選手の集中力乱さないでくれないか?」
今年は武がエースとして出場する初めての大会。
この夏の試合を最後に引退してしまう三年生たちの為に、弱小と呼ばれる並盛中野球部ではあるが、是非ともベスト8まで行きたいと、冬まだ明けきらぬ内から野球部選手監督及びマネージャーも一丸となって頑張って来た。
もし自分が選手だったなら。
マネージャーという身に甘んじるしかない自分を歯痒く思いながらも、マネージャーだって選手と同じだと心に思い聞かせてここまで来た。
今選手たちのモチベーションは大会に向かい静かに高まっている。そこに、こんな雑音で水を射したくないのに。
「たけしくん!」
「は、はい?!」
突然名前を叫んだ六道が、たけしの右手を両手でがっちり包み込んだ。ガシャンとパイプ椅子が倒れ、雲雀が立ち上がる。
「ちょ!君」
「僕はモーレツに感動しました!野球部を想う貴女の心・・・素晴らしい!!そうですね貴女の言うとおりです!さあ共にじっくり試合観戦して並盛中を応援しようじゃありませんか」
「六道さん!分かってくれたのか?!」
しかし感激したたけしの後ろでは、握られている手だけに嫉妬という名の炎を燃え上がらせている並盛中風紀委員長が。
「君は黒曜の生徒会長だろ?!黒曜を応援しなよ!」
雲雀が袖口からトンファーを滑り落としたところで、六道は素知らぬ顔で片手だけ外し、今度はたけしの肩を抱く。
「君、・・・いい加減にしなよ!?」
たけしを避け、ブンと振り回したトンファーは軽く避けられ、何故か三股の槍が何処からか現れる。
ストンと座らせられたたけしが「ちょっと待てよひばり、何始める気だよ?!」と慌てる前に、二つの武器は重なり激しい金属音がグランドを揺らした。
「クフフフフフフ、良いですねえ、その短気。いつかそれで命を落としかねない。あ、なんなら今僕が奪って差し上げましょうか」
「何寝ぼけてんの?君ごときに僕を傷付けられるとでも?凄い傲慢だね。いや、身の程知らずなのかな」
毒舌二人の攻撃も口撃も留まることを知らず、その間にも繰り出されるトンファーと三叉槍の風圧やらなんやらで、グランドの砂塵は舞い、テントのナイロンが飛び去り。
「わ?!」
その分厚いナイロンで造られたテントが、守りに入っていた野球部のキャッチャーの横っ面を叩きながら一塁側の金網にぶつかった。
「大島!?」
転がった捕手に駆け寄る選手たち。一時中断されマネージャーのたけしは治療の救急箱を持って立ち上がる。
グランドがこんなことになっているのに未だ小競り合いをやめない二人に、たけしは泣きたくなった。




どうして、こんなことになってしまったんだろう。


どうして仲良く自分たちのチームを応援できないんだろう。


「どうして・・・」


試合に出たい気持ちを一生懸命我慢してマネージャーに徹しよとしているのに、どうして気持ちをかき乱すのか。




「あっち行ってろたけし」
じわりと滲んでしまった涙を、誰にも分からないように上から野球部の帽子が被せられ、優しく両肩を押された。
いつになく険しい顔をした兄が、そこにいた。
「大島の怪我、マスクしてたからそんな酷くねえけど、診てやってくんねえか?」
「あ・・・うん」
「大丈夫、心配すんな」
武は帽子を被せた上から安心させるように二度軽く叩いて、捕手の元へ走る妹の背を見届けて六道と雲雀がまだ土煙を上げている場所へ歩き出した。


 ガンガン響く武器の先端は、動きが余りに素早くて、素人目には追うことすらできない。
並盛最強と謳われる雲雀のトンファーをここまであしらうとは、この六道という生徒会長、肩書きだけの男ではないようだった。
初めて会った時からムカつく男だった。雲雀の恋人であるたけしに、紳士面して手だの腰だの触りまくり、可愛い美しいは序の口で貴女の脚線美はまるでスイマーのようだだの、小鹿のごときキュートな唇だだの、まるで寒いぼが立つようなことを平気でほざく。
挙げ句の果てには『僕は貴女の虜』って会って10分も経たない口で言うか普通。
以後何故か特別用も無いくせに、生徒会同士親交を深めるなんて言っては並盛中学に赴いて来る。おかげで雲雀の血圧は最近上昇の一途だ。
「ここらで決着つけとかないとね。二度と彼女に近付きたくなくなるように、完膚なきまで叩き潰してあげるよ!」
「それはこっちの台詞ですよ雲雀恭弥!今日こそ並盛最強の看板を降ろして頂きましょう!」
自分の獲物で相手の武器を弾き返し、一度大きく間合いを取った二人は、ほぼ同じタイミングで地面を蹴りつけた。
まるで耳元で風が唸りを上げたように、二人の武器から放たれる風圧がギャラリーたちの耳を裂く。
「きゃあ!」
「うわ!いたたっ」
石のつぶてが飛び散って、応援していた生徒たちの顔や腕にばちばち当たって傷を作っては落ちた。
涼しい顔をしてはいるが、六道も雲雀も実は疲労していた。これだけ周囲に甚大な被害(迷惑とも言う)を与える程の攻撃をお互いが繰り出し防いでいるのだから当然だ。
身構えた二人の、次の渾身の一発で、必ず決着はつくだろう。だが、その時果たしてグランドの選手は、応援の生徒たちの安全は―――


「いい加減にしろよ雲雀」



風が舞い上がった砂ぼこりを押し流し、隠れていた雲雀と六道の姿が浮かび上がった。
そしてトンファーと三叉槍を構える二人のその中心には。
「武・・・」
雲雀に胸を、六道に背を向けて、武は立っていた。どちらからも、あと一歩踏み込んでいたら、武の体は二度と野球ができないくらいのダメージを受けていただろうと思われるくらいの至近距離で武器は止められていた。
「・・・危ないだろ武、何してるのさ」
突然飛びだして来た幼なじみ。だが漸く決着がというところで水を射された雲雀は、軽く武を睨んだ。
そんな雲雀を意に介す様子もなく、武は二人を代わる代わるに見、一度足元に視線を落とす。
黒曜野球部が前日に準備してくれたのだろうに、見学・応援用に綺麗に均されていた筈の少し芝の生えたフェンスの前の土は、抉られたり穴が空いていたり、普通に歩ける状態では無くなっていた。
「雲雀・・・それに六道さん、だっけ?黒曜生徒会の」
武は、いつも朗らかな笑顔を絶やさない彼らしからぬ、硬い表情でグランドを指差した。
「見ろよ」
二人は各々の武器を降ろして武の指の向こうを見た。そこには舞い上がった砂ぼこりに、しきりに目をこすっている者や、石のつぶてでアンダーから出ている肌を傷付けられ出血している者――おおよそ、野球の試合をしている者たちの姿は見られなかった。
「なあ雲雀・・六道さん、俺たち並中の野球部は補欠入れてもギリギリ10人しかいねえんだ。部活中の怪我ならまだ諦めもつく。けど、こんな風に全然野球と関係無いことで怪我なんてさせられちゃ、たまんねえんだよ。黒曜の野球部員だって、今日の為に練習の他に時間割いて準備したりグランド整備したりすんの大変だった筈だぜ?なのに、二人がそれを・・・」
雲雀は武の沈痛な表情に僅かに息を飲んだ。
上級生たちの為に、仲間の為に、妹の為に。いつも何かを背負いながら、何でもない風に笑う幼なじみの、辛そうに潜められた眉に。
「・・・それにな、誰が怪我したって、選手登録すらしてないたけしが、試合に出られる訳もねえ。誰かが怪我すりゃ、たけしが一番傷つくんだよ。・・・雲雀、お前よく知ってんだろ」
そこだけ妹に気遣い声を潜める武に、雲雀は目を伏せた。
「・・・ごめん」
先程睫毛を伏せる前に見たのは、怪我をした選手の傷を消毒するたけしの姿。


並中が女子の野球部を擁していたり、現野球部に女子の入部が認められていたら、彼女は選手としてユニフォームを着て、誰よりも眩しい姿を披露していただろう。
けれど実際は、意気揚々入部届けを出しに行った部室で、入れるのは男子だけと双子の兄の届けしか受理されずに。
自分ではどうにもならない性の問題を乗り越えるのに沢山の涙を流したろうに、彼女は雲雀の前でだって、いつも笑っていた。こちらの方が泣きたくなるような笑顔で。
どんなに彼女が優れた野球センスを持っていても、グランドに立つ誰より野球が好きで、その上実力を兼ね備えていても、選手じゃないたけしが怪我をした部員の代わりに守備や攻撃に加わることは出来ない。
それでもマネージャーという立場を選んだたけし。
彼女がどれ程の思いで選手としてグランドに立つのを諦めたのか、どれ程の思いで影の立役者に徹するのを選んだのか、誰よりも近くで見ていた自分が一度よく解っていた筈なのに。


「・・・分かったか?」
「・・・うん」
「六道さんも」
「はい・・・決着がつかなかったのは何となく納得いきませんが、確かに僕達が暴れたせいで選手に怪我をさせてしまったのでは、せっかくの練習試合の意味がありませんでしたね・・仮にも生徒会長だというのに」
二人は手にしていたトンファーと三叉槍をしまいこんだ。
生徒たちに痛みばかり与えていた砂ぼこりも、漸く地面に落ち着いていた。選手たちは顔や手にいくつも絆創膏を貼っていたけれど、動けない程の大怪我を負った者は居なさそうで、今は早く試合が再開されるのを待つようにキャッチボールしている。
グランドのあちこちで、選手たちを避けて黒曜の一年生部員たちがトンボを手に手に、でこぼこした土を直していた。
「よーし、じゃ、喧嘩両成敗な!」
と、野球部仕込みの通る声がグランドに響いて、服にかかった砂やら小石やらを払っていたギャラリーの生徒たちの目が、一斉に注目したと思ったら。
ゴン!ゴン!
並盛中でなくても知らない人間などいない歌舞伎界の流し目王子の称号を持ちながら並盛最強の不良の肩書きを持つ雲雀&目を付けられたら最後徹底的に追い詰める、生徒会長は仮の姿実は影の番長と名高い六道は、衆人環視の中、野球部エース自慢のでっかい拳骨を落とされ、声すら出せずにその場に蹲った。
「・・い・・・!!」
「・・・た―――――!!」
悶絶しながら痛みに耐えている二人を前に、腰に腕を当てて武はニッカリ笑う。
「あとは自分たちのチーム、しっかり応援してくれよな!まだまだ2-0だ、分からないぜ!!」
大輪の向日葵のような笑顔を残してマウンドへ立ち去った武の後ろ姿を追い掛けるように、ギャラリー達の視線は審判のコールで試合に引き戻された。
「プレイボール!」
取り残されたように、ズタズタの芝生に胡座をかいた二人は、大きく振りかぶった一番の背番号を眺める。
その三塁側の並中ベンチには、救急箱を片付けながら兄の勇姿に自分を重ねて泣きそうな顔して微笑む妹。
「・・・良いですね、彼」
ぽつりと呟いた六道を見れば、なにかとても眩しいものを眺めるように目を細めている。
まさか、今度は幼なじみに的を移したのだろうか。
「・・節操無いね君。男でも女でもどうでも良いの?」
「人間性が良ければ、性差の壁など僕には関係ありません」
「・・・まあ、たけしに実害が及ばないなら良いけど」
それは本当。だけど、だからといって幼なじみがこんな男に要らぬちょっかい出されるのだって気に入らない。
「でも漏れなく底意地の滅茶苦茶悪いエロショタ魔神がくっ付いて来るから、その辺覚悟した方が良いよ」
珍しくきょとんとした顔を見せた六道の前に立てた指を、ついと金網越しに道路一本隔てた住宅街が広がる外野向こう側に差せば、電柱脇に寄せた車に凭れて煙草を燻らす長身の影。
つい先日の借り(パラ・パロ『いつの日も』参照)はこれで返したとばかり、雲雀は立ち上がる。
自分とザンザスそして武の姿を、口を半開きにして見比べている六道をその場に残して、三塁側のベンチにマイクを引っ張っている彼女の手からそれを引ったくるように奪い、耳元でさっきはゴメンと囁いた。


「バッターアウト!」
項垂れベンチに戻る黒曜の選手を他所に、三者三振に斬って捨てたエースは、ベンチに駆けて帰る際バシバシ背中を叩かれながら嬉しげに攻撃の気合いを入れ合う。
そして外野の選手に追い抜かれた所でちらり振り返り、帽子のつばに触れて笑った。


金網越しの恋人だけに見せる、特別な笑顔で。





おわり


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あきゅろす。
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