日記ログ
E
玄関の引き戸の硝子部分を雑巾で拭いながら、スチールの枠に触れた手が凄く冷たくて、ひさしを支える柱にくくりつけられた寒暖計を見れば−2℃。
今頃雲雀はどうしているだろうか?朝5時、彼は人影の消えた並盛の町並みを、愛しさを以てバイクで駆け回っているかもしれない。頭はヘルメットを着けているから良いが、手にもグローブをはめていてくれるといいな、と思う。
白くけぶる吐息の向こうには、山々が、そびえる影をまだ明けない朝の空に黒く映し出している。山本はその空に向かい、大きく一つ背伸びをした。
「山本〜っ、便所掃除終わったぜ〜」
「お〜う!じゃあ朝ごはんの支度手伝うか」
まだまだ眠気をたっぷり含んだ仲間の声に返事をして、沸騰したお湯で割ったバケツの水で雑巾をすすいだ。
連休を利用した三日間の山中合宿。お寺の本堂で朝ごはんの後は座禅から始まる練習は、今日で二日目。
リードされても食らい付いて行く、決して最後まで諦めたりしない―――精神的に強くなること。それが今年の山本ら野球部の抱負。


今年こそ、県大会優勝を。







頑張ろう。な、みんな。



―――――――――――――

ヒバ山叔父×甥



 君が教えてくれたこと




布団の中で見た体温計のデジタル表示が、にわかに信じられずにいた。
38・6℃って、人間の体温じゃないだろう、自分の平熱を振り返り枕に突っ伏す。
隣にはまだすやすや安らかな寝息を立てている甥っ子。暗いとはいえもう朝、目覚ましを見れば7時になろうというところだ。
完全に寝過ごした。雲雀は毎朝6時の目覚ましが鳴る前に起床する。
鳴り響くベルなど聞こえただろうか?けれど目覚ましのアラームを確認したところ、セットは解除されていた。もしかして朦朧としながらも、自分で消したのだろうか。
ああそんなことよりも、会社に行かなくちゃ。今日は朝一で会議があるはず。
いやそれよりまず、武を保育園に送って行かなきゃだろう。確かスモックに穴が空いたから新しいのを買ってと言われていたっけ。
そうじゃない!まずは朝ごはんの支度が先だろう!!!




そんなところで、雲雀の思考力はショートした。
あとはもう、ふわふわ波間を漂っていたような、そんな気分。
時折冷たい感触を覚えたり、パタパタ軽やかな足音が聞こえたような気がしたが、それは現か幻か―――。




「あ、目がさめた!!!せんせーっせんせーっ恭おじちゃんおきたよーーーっっ!!」
「はぅっ・・・!? 」
耳を切り裂いた武の声が頭にガンガン響いて、雲雀は思わずしかめっ面を手で覆った。
痛い痛い。まるで中国雑技団の太鼓みたいな丸い銅鑼とかいうアレが耳元でこれでもかと鳴らされているよう。
「大丈夫ですか?」
「・・・え」
自分と武以外は誰もいない筈の家に、第三者の声。雲雀が痛むこめかみを指できつく押しながら目を開ければ。
「・・・保育園・・の」
武の通う保育園の園長先生が、にっこり微笑んでいた。武はその先生の後ろから恐々こちらを覗いている。
「驚きましたよー。武君が泣きながら電話掛けて来たものですから〜」
穏やかに笑い皺を深くする園長先生からは、動じた様子は余り伺えない。が、その園長先生のエプロンの裾をしっかり握りしめてこちらを心配そうに見つめている武の目許が擦れて赤くなっているのに気付いて、雲雀はまだ幼い甥を手招きした。
「・・・ごめん。心配かけちゃったね」
「・・・・・ううん」
「すぐ、善くなるから」
「・・・・・・・・うん」
小さく返事をした途端きゅう、と眉が下がり、またパタパタと透明な粒が武の桃みたいな頬を伝い落ちた。
驚かせてしまっただろう。どんなにか、心細かったに違いない。
「たけ」
「恭おじちゃん・・死なないで・・・・死なないで」
「・・・武」
「俺を、置いてかないでよぉ・・・」
武は独り言でも呟くかのように泣いていた。留まることのない涙は、幼い子供の感じた恐怖や悲しみをこれでもかと雲雀に突き付ける。
「俺、いい子でいるから・・・俺、言うこときくから・・・おねがい、おねがい・・・」


しなないで 俺を一人にしないで


雲雀は頭痛と熱でぐらつく体を叱咤しながらベッドに起き上がり、小さな体を抱き締めた。
「死なないよ・・」
死んでなるものか。だって君が、こんなに僕を必要としてくれているのだから。
「えへへ・・・うん、恭おじちゃん・・」
甘えたみたいに武が雲雀の胸辺りに涙を擦り付ける。泣いていた幼子は、安心した今、もう嬉しそうに笑っていて。
「そうだよ。武、君は笑ってなくちゃ」
熱い手で頭を撫でてやれば、その手を取り、今日はあったかいのなーなんてずれたことを言った武の首根っこが掴まれ、引き剥がされた。
「ただの風邪だと思いますから、温かくしてゆっくり休んでください。武君は保育園に預かって、夕方お送りしますから心配なさらないでしっかり食べてしっかり眠って下さいね」
「やだあっ俺恭おじちゃんのかんびょーするんだっ!」
「沢山眠らなきゃ風邪は治らないのよ。元気な武君は元気に保育園で園長先生と遊びましょーっ」
じたばた暴れる武なんてなんのその。流石は子育ても年期が入っていると思われる園長、雲雀に静かに養生できる環境を作った上で、釘をさすのも忘れてはいなかった。
二人が去った後の部屋を見渡せば、園長先生が作ってくれたのだろう。お粥と、それから市販の風邪薬が置いてあった。
余り食欲は感じられなかったが、薬を飲む以上は空腹では胃が荒れてしまう。ひとさじふたさじ口をつけ、申し訳ないが半分も食べないうちに蓋をした。
三錠を水で流して再びベッドに潜り込めば、すぐに体は重くなり、ゆっくり目を閉じる。



一粒、誰にも知られたくない涙が零れた。


『俺を置いていかないで』


手を伸ばされて、救われたのはどちらだったのだろう。



誰にも、そんな風に言われたことなど無かった。人との関わりを避けてばかりいるのだから、それで当たり前だし、それは死ぬまでそうなのだと思っていた。


自分を必要としてくれている誰かがいる。
それが、こんなに胸が震えるほど嬉しいなんて。


不謹慎と思いながらも、祈らずにはいられなかった。



義兄さん、姉さん、ありがとう。武を僕に遺してくれて。





僕はあの子の為に生きていく。誰かに求めて欲しかった僕の自分でも気付かずに居た孤独な心を、気付かせ、気付き、手を伸ばして触れてくれたあの子の為に。




おわり

―――――――――――

(※下ネタですから、お気をつけ下さい)
 




 How to Love





僕の可愛い一つ違いの彼山本は、時々面白いことをする。それは大概許容範囲を越えない(彼に関しては僕は随分寛容のはずだ)程度の馬鹿馬鹿しさを含んでいるのだが、たまにトンファーでかち割って頭の中身を覗いてみたい衝動に駆られる時だってあるのだ。
さあ彼が顔を上げた。果たしてその凛々しくも常に誘うような笑みを湛える唇から、今日はどんな発言が飛び出して来るやら。
「なあなあひばりー、六十九って知ってっか?」
昼休み。弁当片手に応接室に来た山本が珍しく悩んでいるような顔つきをしているなと思えば、エビフライをごくんと飲み込んで、どこか怪訝そうな顔で尋ねて来た。
「六十九?」
「おう!昨日部活終わってからさ、先輩に捕まって〜」
・・・ふうん。ここで待っていたのに中々来なかったのは、そういう訳。あいつ等には一度じっくり話をつけとかなきゃ。
雲雀は同学年の野球部五人の顔を思い浮かべた。山本の周辺人物ならば、顔は勿論春に計った身長体重座高100メートルのタイム遠投の距離に前屈何センチ果ては自宅で飼っているハムスターの歳までインプット済みである。
「でな?部室にバーッって連れ込まれて、ガーッ!て机に倒されてなに俺何かした?!って心臓すっげーもうぎゃーって、ってひばり?!」
まだ説明途中の山本の向かいのソファーから、雲雀の姿が消えた。と思ったら、机に片腕着いてヒラリ軽やかに弁当の広がるテーブルを乗り越えたかと思うと、ソファーに着地した瞬間すぐさま伸びて来た腕が突然山本の制服を捲り上げた。
「ちょ?!わーわーっひばり何してんだよ!!」
静かに話を聞いていた筈の風紀委員長が突然豹変し、何故か自分の制服(シャツ+ベスト)を捲り上げたかと思うと、空気に晒された肌を眺め回している。恥ずかしいと言うよりも、なんじゃいきなりー!!な行動に、山本は止めて良いのか悪いのか、それすら判断しかね、ただあわあわするばかり。
「どこ?!何されたのさそいつらに?!あんの性悪ども・・・僕の山本をよくも傷ものに!!!」
「何?何言ってんだひばり!?なあ性悪って、つか傷ものって俺別に殴られたりとかしてねーよっ!?」
鋭い目付きに殺気まで加えた並盛最強の不良にして風紀委員長の剣幕に慌てる山本を他所に、雲雀の手は既にズボンのバックルを外していて。
「ぅぎゃーーーーっ!?な、何なにっ!!!お前が何してるんだよひばりーーーーっ!!」
「うるさい!あんな奴等に輪姦されたら君のあそこはギッタンギッタンじゃないか!!!見せろ!!ちゃんと処置しないと大変なことに」
しかし雲雀の手が勢いズボンを引き下ろしにかかった所で、敬愛する野球部先輩を貶められたせいか、はたまた単に恥ずかしかっただけか、これ以上無いくらい真っ赤になった山本は、怖いものには本能的に武者震いし食らいついていく本領を発揮?し、雲雀の鳩尾を思い切り殴りつけた。
「り、り、り、輪姦なんてされてねーーーーーーーっっっっ!!!!」



「・・・・・・え?」



山本の拳が入る瞬間、体を僅かに後ろへ引いてまともに打ち付けられるのを回避していながら、強かに胸の真ん中を殴られて痛がるような振りをしつつ、山本から鶏の唐揚げなんかを箸で運んでもらいながら、雲雀は未だに顔を赤くして口を尖らせている山本に、じゃあ話を続けなよと促した。
「・・・話の腰折ったのひばりのくせに、エラソーなのな」
「君がおかしな言い方するから、勘違いしちゃったんでしょ。あ、この唐揚げカレー味」
「も〜・・・大体ひばりじゃあるまいし、野球部の先輩が何で俺を襲うんだよ。それなあ、ひばりカレー好きだろ?だからカレー粉まぶしてみたのな」
「――じゃ最初から今日はここでご飯食べる気だったの?・・・美味しいよ」
「ははっ!だって昨日帰り待っててくれたしな!一緒に帰れるの久しぶりで嬉しかったし、お礼?」
はい、最後の一個と唐揚げを摘まんだ箸を持つ山本は、もう機嫌が直ったらしく朗らかに笑う。まずい、なんて可愛いんだろうこのでかい男。
あー唐揚げだけじゃなくて、この箸を持つ男ごと食べたらさすがに不味いだろうか、まだ昼休みだし。
何となく悶々し始めて来た雲雀をよそに、山本は綺麗になった弁当箱の蓋を閉めた。
「でな?さっきの続きなんだけど」
そう言ってどこからか取り出したお茶を、応接室の湯飲みにあける。
その湯飲みは後で洗って行くんだろうなとか考えつつも、下心を抑えるべきか、このまま勢い突っ走るべきか軽くだが悩んでいる雲雀の前、おもむろに人差し指をぽちゃりと浸し、水分でテーブルの表面をなぞるようにして数字を書き始めた山本の長く節がある指が文字の終わりを告げる頃には、隣に腰掛けている風紀委員長の目はどっかり据わっていた。


テーブルに浮いたのは、数字の69。


「・・・・これ、ああ・・・確かに六十九だねえ」
「だろだろ?何かな?先輩たちも知らなくて、お前早熟そうだから知ってんだろーとか詰め寄られたけど、は〜?って感じなのな。先輩は兄ちゃんに『これ知ってっか〜?』って69を見せられたらしいんだよな。つーかさ、体でかいから早熟って、酷くね?それに六十九が早熟と何の関係があるんだろな?」
少々憤慨しつつ、雲雀に力説する山本の顔は、やや興奮気味。そうして脱力感一杯な中カレー味の唐揚げを飲み下そうとしていた雲雀の耳に、コソッと。
「あのな、これその先輩の兄ちゃんがくれたヒントらしいんだけど、エッチな数字なんだって!」
どこかドキドキわくわくしている山本が、可愛いというか無知も甚だしいというか野球部は揃ってあっちの知識もこっちの知識もないのかとか瞬時に駆け巡った雲雀ではあったが、自分の今の状態をかんがみ、これ幸いとばかりごくんと最後の唐揚げを飲み下し。
「そう、そんなに知りたいなら教えてあげるよ。―――実地で」
にーっこり。
滅多に無いくらいの満面な笑顔は、しかしなぜか山本の背筋を凍らせる。これ以上そばにいると何か良くないことが起きるぞと、どこかで警鐘が鳴り響いている。
「え?っとぉ・・・?」
じりじり迫り来る雲雀から逃げの体勢を取ろうと背中を向けたが、時既に遅く。
「はい、じゃあやろうか」
「い・・・・」




いーやーだーーーーーー!!!!




雲雀により防音効果抜群の材質に換えられた応接室の壁は、山本の悲鳴をしっかり吸収し、雲雀は5・6時間目をフルに使って、まだまだそっち方面の知識にうとい山本に、質問以外も色々教えてあげたとか(人、これを言葉攻めと言う)。


その日、口や体よりも頭の方がいらん知識を詰め込まれ疲弊し、ぐったりした面持ちで野球部に顔を出した山本の前には、細長く青紫になったそれはそれは痛そうな跡をくっきり顔に付けた五人の三年生がとぼとぼ歩いていたとか。
そして山本と目が合うと、床から数センチ飛び上がり、口を揃えて『ごめんなさいもう何も聞きません!!!』と手を合わせ泣きながら走って行ってしまったそうな。



―――――――――――――


久しぶりに顔が見たいなと思って訪れた竹寿司二階の窓の向こうには、炬燵に置いた天板の上で頬杖ついて教科書とにらめっこしている山本の姿。
いつもならすぐに窓を開けて招き入れてくれるのに、じっと眺めていても全然視線に気付く気配がない。これは相当追い込まれているようだ。そういえば高校はもうテストが終わったけれど、中学は今頃だったろうか。
こうしていても埒があかないようなので、自分で窓を開けた。無用心にも鍵は開いていて、雲雀が入った途端、冷たい風にうとうとしかけていた目が覚めたらしい山本が、『ぎゃっ!び、びっくりした』と物凄く可愛くない声を上げた。


「テスト中?」
「そう、テスト中」
明日は初っぱなから数学だそうで、教科書には爆弾男が山本と沢田の二人にしてくれたのだという水色のラインが要所要所に引かれていた。
「ふうん・・・」
現在午後11時。いつも早寝早起きの山本が、この時間まで頑張っているということは、一応やる気を持ってやっているということで、粘ってみたたところでイイコトには及べやしないだろう。
一応先週は自分がテストだったのもあり、電話も我慢していたので(声を聞けば話していたくなるし、話していれば触りたくなるからだ)今日こそはと思って来たのだけれど。
「・・・そんな顔すんなよ」
「そんな顔って?」
「いかにも不満、て顔」
ほんの少しだけ眉根を下げて笑った山本は、手にしていた教科書を置いて雲雀の頬を人差し指でツンと突いた。
そんなに不満は顔に出ていただろうか、不満というなら欲求は確かにかなり・・・いや物凄〜く不満ではあるが。
「しかたねえじゃん、テスト中なんだから」
何が楽しいのか、己れの白い頬をプニプニ押している山本の硬い指を、雲雀は無下に払いのける。
「解ってるよ、だから何もしてないだろ?」


炬燵に向かい合うように足を入れていた雲雀は、行儀悪く背中を丸めると顎を天板にくっ付けて口を尖らせ、目を閉じる。
解って欲しい。
我慢だったら、自分だって随分しているのだ。
本当は毎日だって顔を見たいし、毎日だって話したいし、毎晩だって抱きたいし、毎日山本の作ったご飯が食べたいし―――。


不意に瞼の裏に影が差して、唇に柔らかい何かが触れた。思わず目を開けた雲雀の前には、教科書に顔を隠している山本。
「――今」
「テスト中」
「知ってるってば、だけど」
「だから、テストちゅう」
「、え」
「こうしたらひばりがどうなるのかな、って。テストチュー」
ちらり、教科書から片目だけ覗かせた山本が、イタズラが成功したみたいな顔で笑う。
その頬は、嬉しさからか恥ずかしさからか楽しさからか、薄く染まりながら綻んでいて。


こんなことで心臓が跳ねるなんて、どうかしている。こんなことで脈が速くなるなんて、ホントにホントにどうかしている。だって、だってだよ?もう、彼とは何度となく―――。


雲雀は熱くなった頬を冷たい天板に押し付けるように顔を伏せた。
何が『テストちゅう』だ。ふざけるな。
いいかい?もしもここで押し倒したって、文句なんか聞いてやらないよ?だっていずらする方が悪いんだから。


そうさ、絶対悪い。


キスという魔法で、僕の理性を打ち破ってしまった君が。





[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!