日記ログ
A
※ 続々月影に隠れて





ひたり閉じられた窓から月を見上げ、山本はまだかのひとの指の感触が残っているように感じられる肌に、触れるか触れないかの距離で指先を滑らせた。



突然の抜き打ち検査に、生徒玄関前で顔を合わせても、移動教室の際、廊下ですれ違うときでも、何の素振りも見せない彼。
なのに、今夜きっと来る、そう確信じみた思いで夜空を見上げた日は、まるで自分の気持ちが無数に交錯する電波の一つに乗って雲雀の元へ届いたかのように、鍵を開けておいた窓から必ず忍び込んで来る。
抱いている間、抱かれている間、二人は決して声をたてずにいた。
どこにどう触れたら山本が悦ぶのか雲雀は熟知していたし、声を上げなくとも山本が酷く感じているのは荒い息遣いと意図せずとも揺れてしまう腰付きで十分理解できているはずだから。
視線が交われば唇が重なり、深く深く侵食される。
幾度となく抜き差しは繰り返され、目蓋の奥が白く焼かれると同時に、山本の腹部に二人分の欲望が撒き散らかされる。
そして雲雀は最後の最後に鎖骨の下にたった一つの愛の証を残し、夜の帷へ消えて行くのだ。
綱吉辺りが聞いたら目くじら立てて怒るのではないだろうか。ただ抱くのが目的で来るのではないか、と。
(いいんだ)
だってそれは、自分も同じだから。雲雀に触れたい、触れて欲しい。確かめたい、この体が雲雀を忘れてしまっていないか、雲雀が山本をまだ求めているか。
何も言わなくて良い。繋がる体から、伝わるものが一つでもあるから。



カーテンが開きっぱなしの窓ガラスの向こうには、ようやく顔を出す事を許された白い月。
不思議と雲雀が訪れる日は雲が架かっている。まるで重なりあう二人の影を覆い隠すように。
もしかしたら、月でさえ雲雀は従えているのかもしれない。
「・・・ぷ」
そんな想像をしてしまう自分は相当可笑しいかもしれないけれど、あながち間違いじゃないんじゃないのかと思うと、山本は布団を被った肩を揺らした。


笑える。


―――笑えている


会話なんて無くても、ただ雲雀を思うだけで、こんなに温かい。




雲雀 雲雀





やっぱり俺、アンタが好きだよ。






おわり


―――――――――


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雲雀は色が白い。元々色白だから具合が悪いとすぐ分かる。今日は真っ赤。
いつもキツいと言われがちの切れ長の目の縁は更に色を増していて、ついでに今にも微睡みに身を任せてしまいそうな感じ。


時刻は6時を過ぎていた。
雨降りで筋トレしか出来なかった野球部は早々に部活を切り上げられた為、山本はその後からこうしてソファーに腰掛け、正面で上がり来る熱と闘う雲雀を待っている。
帰ろうと誘ってはみたのだが、まだ今日の抜き打ち持ち物検査のデータを打ち込んでないとかぶつぶつ言って、全く腰を上げる素振りを見せない。
例え恋人であろうと――それがきっと両親や兄弟であっても、素直に話を聞き入れる人間じゃないのは知っているから、作業の終わりを待っている分には山本に何ら支障は無いのだけれど、いかんせん雲雀の指が先程から同じ場所から動いていないのが気になる。
打ち込むはずのデータとやらも、一枚として減ってはいなかった。
「ひばりー?」
「・・・なに」
「目ぇ、見えてっか?」
「・・・当たり前でしょ」
「じゃ俺の顔も見えるよな?」
「・・・知らないよ」
パソコン画面から上げた視線が、山本やソファーや応接室のドア辺りをふらふらさ迷っている。
山本は一つため息を着くと、大きな掌をパアンと打ち鳴らした。
「な・・・!?」
物音に驚き肩を揺らした雲雀の前のノート型パソコンは、既に山本により折り畳まれていた。何時もの雲雀なら瞬きの間に次の行動に移られるなんて有り得ないのに、相当熱が高い証拠だ。
「わり。強制終了な!」

にか。

熱で指先が覚束ない雲雀が、いつの間にかバラバラに散乱させてしまっていたらしい紙類を、山本は鼻歌混じりに一纏めにし、整えた。
しかし山本がどこか本気で笑んでいないことは雲雀の朦朧とした頭でも理解できた。
山本の笑顔が心からのものか、そうでないかなど、とうに自分は見抜く術を身に付けている。
静かに怒りを溜めている。
爆弾男のように怒鳴り散らすような手合いは案外楽だが、何も言わない相手の感情を推し量るのは結構疲れるものだ。
こんな日は特に。
「俺に担がれて帰るのと、自力で病院行くの、どっちを選ぶ?」
やはりそう来たか。
腕組みし、上から視線を送る男を雲雀は上目遣いに見てから、おもむろに体を椅子の背もたれに預け、重い頭をその上部に投げた。いつもさらさら流れる髪は、額の部分が汗で張り付いていた。
「・・・タクシーで病院に行く」
「オーケー」
山本は言うなり雲雀の左腕を取り、椅子から立たせた。ふらつく体を支えながらカーテンを閉め、電気を消す。
「鍵」
寄越せと開かれた手の上に、雲雀は応接室のそれを渡した。
ドアノブを二〜三回捻り鍵がちゃんと掛かっているか確かめ、山本は雲雀のズボンのポケットに、それを押し込んだ。
帰宅ラッシュを過ぎて道路が空いていたと見え、校門で既にタクシーは待っていた。
雲雀一人を乗せ、山本は窓ガラス越しに親指と小指を立て、電話の合図を送る。
タクシーがゆっくり動き出すと同時くらいに頷き了承の意を示せば、開かれた指が走る窓にそっと触れ、こんこん、と、さよならの合図を送って来た。


(病院で診察終わったら電話して)

(分かったよ・・・ごめんね)

(ちゃんと診てもらえよ―――バイバイ)


タクシーの中、段々重くなる目蓋を抑えきれず、雲雀は目を閉じた。
彼が押し黙るとき。それは多くの感情を押し留め、爆発させまいと自らを抑え込んでいるとき。
判断を見誤ると大変なことになるから、やっと最近は寸前で回避できるようになって来た。こんなに熱が高くても気を回せるなんて、それは恋の成せる技なのかな。熱でとけているのか、山本にとけているのか。
もうどうでもいいか、そう思った時、ブレーキの振動が病院の到着を告げた。



インフルエンザって診断された。
そう電話で伝えた後、お泊まり看病セット一式抱えて山本はやって来た―――らしい。
なぜ“らしい”かといえば、高熱でうなされていた3日の間に、自分ではした覚えの無い着替えや、イオン飲料のペットボトル、そしてひえぴたの山が築かれたゴミ箱があったから。
じゃあ何で僕の目が覚めるまであの義理堅い山本が居なかったって?


それは多分。







『おー雲雀くんじゃねえか!武?ああ武なあ、今病院行ってんだわ。昨日の夕方から熱出ててなー。あれじゃねえか?今流行りの』



おわり

―――――――――


 可愛くなくて可愛い君を




何だか寒いし喉が痛い。先日の寒さが一転して朝から気温も高く、天気予報では日中も9月の陽気になると気象予報士が告げていたのに。
あーこれはとうとう貰ってしまったようだ。
山本は座骨辺りから背中を這うようにして登って来る寒気に、座る主のいない教室の空き机を数えた。
並盛中学で猛威を奮っているのはインフルエンザという名の暴君。人の気持ちなどお構い無しにくっついて来て、ぐだぐだにさせ、挙げ句病院送りだ。
冗談じゃない、1日だって野球の練習が潰れるなんて。けれど既に一年生では学級閉鎖になるクラスが2つ出ていて、先週が1‐B、今週頭から1-Aが三日間ずつ休みに入っている。
(という雲雀情報だ。風紀委員て一体生徒の何処までが管轄なんだろ)
朝起きた時は何とも無かった。朝練の為に学校に来て、Tバッティングが終わる頃、外気に晒されている襟足に風を感じるなあ、なんて思ってはいたのだが。
ジャージから制服に着替え、授業に滑り込むように椅子に掛けたら途端普段感じることなどない重力で、体が沈みこんだ。
それからだ。
ぞくぞく ぞくぞく。ああやな感じ。
昨日から綱吉は学校を休んでいる。獄寺に至っては『10代目が登校なさらないのに、つまらねえ学校なんざ用はねえ』なんて、綱吉が休みの間はサボりを決めているようだ。
雲雀が知ったらアパートまでトンファー片手に行きかねないから、黙っているけれど。
(ん、なんか熱くなってきた)
四時間目の授業は音楽で、その音楽教師自身がインフルエンザで休んでいるため、教室で自習を余儀なくされていた。けれども音楽の自習など地理が専門の担任にどうしてみようもないらしく、わら半紙に好きなクラシックの作曲家について書け、なんてアバウトな問題が一行書いてあるだけ。A3のこんなどでかい紙に、どれだけ書けば埋まるだろう。野球のことなら、この用紙が10枚あっても足りないかもしれないけど。
視界の中で印刷された文字が踊り始めた。早退しようか、でもそうしたら部活は休まなきゃならないし。そんなの嫌だ。今日は天気が良く、水捌けの悪い並盛中のグランドにしてはコンディションがすごくいいから、思い切り投げたかったのに。
授業の終わりのチャイムと共に、山本は弁当一つ抱えてふらふら歩き出した。
目指すは怖くて優しい風紀委員長のいる、あの部屋。


「だからって、ここで寝ていたって具合が良くなるとは思えないけど」
ソファーに寝かせる代わりに、そう言って差し出された弁当を頬張りながら、雲雀は先程自ら淹れたお茶を手にした。
「・・・どうせ明日は休まなきゃならねーもん・・・だから今日は野球してから帰りてえのな・・・見逃して・・・?」
“見逃して”というのは、要するに自分がこんな状態の山本を放っておくわけがない、というのが前提の台詞なのだろう。・・・よく判っているではないか。
ソファーの上、窮屈そうに身を縮め、雲雀の学ランを毛布代わりに引っ掛け眠る山本の顔は見るからに赤い。
保健室に行けば、強制的に帰宅を促されてしまうから、ここに来たのだそうだが。
(と、言われてもね)
大きな弁当箱の、米の一粒すら残さず食べ終えて、雲雀は綺麗に包みを縛ると、向かいあうように座っていた一人掛けソファーから移動し、山本のくの字に曲げた足の部分に腰を降ろした。
まだ汗ばんではいない額に掌を当ててみる。
「・・・はは、冷たくて気持ちい・・・」
触れるだけでも、相当熱の高さが窺える。本来ならば「さっさと帰りなよ」そう、追い出すところだけれど。
「そんなに熱があったら、まともに投げれないんじゃないの?」
「・・ひばり知らねーな?球を持った山本武は最強無敵なんだぜ・・?」
「そんなこと言って、この間の練習試合負けたじゃないか」
「あ〜・・・じゃ、またそーゆーのがあった時今度は負けねえように練習しなきゃだな」
「ああ言えばこう言う・・・可愛くないね君」
「・・・んなこと言って、ホントはそんな俺が好きなんだろ〜?」
「・・・・・ほんっと、可愛くない」
はあはあ荒く息をつく口は、頑固に『帰る』の一言を飲み込み笑う形に歪んでいる。
そんなにまでして野球がしたいのか―――それとも。
「主将になったからって、少し気負い過ぎじゃないの?」
今度は返って来ないところを見ると、図星のよう。
チームでたった一人のピッチャー。エースで四番、更には主将という重責を担ってしまったからには、1日でも練習を休みたくないのだろう。そんな気持ちが判らなくはないが―――。
「・・・・・だけじゃない」
「え?」
「だけじゃ、ねーの」
学ランの下の目蓋が重そうに持ち上げられ、雲雀を手招きする。上半身を乗り出すようにして覗き込めば、熱があるとは思えない素早さで伸びてきた両腕に絡め取られて。
「・・・だって、明日からひばりに会えなくなっちまうだろ・・・?」


ワォ とんでもないこと言ってくれちゃうよねこの子。普段僕の方が何倍も彼に夢中になってるみたいに感じさせておきながら、突然恋心を突き付ける。
インフルエンザと診断されたら、約1週間は自宅に拘束されてしまうから。だから。
(その間、僕に会えないから、今のうちに――って?)
困る。というか、参る。あーいいよもう降参降参。
そんな風に、素直な君も頑固な君も丸々預けて来るなんて、嬉しすぎて両手と白旗揚げるしかない。
そんなだから僕は、君をますます手放せなくなってしまうんだよ。


「・・・仕方ないね、そこまで言われたら帰れなんて突き放せないじゃないか」
出来る限り平坦に。この心を見透かされて相手を図に乗せないように。
「ひばりは優しいから、突き放したり、しねえよ・・・」
けれど山本が返す言葉は、雲雀をどこまでも喜ばせるだけで。
「君は僕を買い被り過ぎ」
「・・ホントだもん」
天然男はこれだから困る。頬に熱い息を感じていると自分まで何だか赤くなってしまいそうで、雲雀は力が入りきっていない山本の長い腕を外した。ずっと覆い被さるような姿勢でいて疲れたのもあったが、どんなに雲雀が山本より細身であろうと病身には重く感じるだろうと、少しは思ったりもしたから。
「譲歩案」
寝息が聞こえて来たが構わず雲雀は山本に囁きかける。
熱に浮かされているときは、眠りと覚醒の狭間をたゆたっているから、声だけは届いている筈だ。
「放課後までここでしっかり休養取って、部活が終わったら必ずここに戻って来ること。一球でもらしくない球を投げるようなら、すぐ切り上げること。――明日から毎日お見舞い行ってあげるから、窓の鍵は開けておくこと」
言い終えて、必ず約束を守るように、指切りの代わりに口付ける。
「・・・ぅん・・」
それは返事なのか、寝言なのか。
それでも何となく幸せそうに見えたから、雲雀は眠りを妨げないようそっとソファーを降りると草壁に電話を掛けた。
もう少ししたら顔だけは厳つい部下が、心配そうに大きな体に毛布を二枚くらい抱えてやって来るだろう。
温もりに包まれたら、この頬がきっともっと幸せそうに綻ぶに違いない。
そんな顔を放課後まで堪能する日があっても


たまにはいいだろう。



おわり


―――――――
※続続々月影に隠れて





タタタタ バタタタ
風の音がやけに耳につくと思っていたら、どこからか飛んできた新聞紙が、二階だというのに、丁度窓と窓が重なるその隙間に見事に嵌まり、風に煽られ捲れたり閉じたりを繰り返している。
(うるせえな・・・)


いつも元気が取り柄の山本は今、学校に蔓延しているインフルエンザを御多分に漏れず頂いてしまったらしく、昨日の帰宅後から床に臥せっていた。
今朝、父に保険証と診察券を出してもらい、商店街を出て数十メートル先の、住宅街へ入る手前にある昔馴染みの内科・小児科へ行ってみれば、もうお爺ちゃんの域に入っている医師が、熱で苦しそうだなあ、そう言って何故かイチゴ味ののど飴をくれた。
インフルエンザの診断を受け、薬をもらい代金を払って外に出ると強い風に短い髪が靡いた。
来るときは何も感じなかったから、行きは追い風だったようだ。
向かいから吹き付ける暖かくはない風に、雨が降っていなくて良かったと思った。


山本の枕元にはペットイオン飲料が三本、ミネラルウォーターが三本、冷えぴたが二箱に体温計という『風邪の三種の神器』がきっちり揃えられていた。それら体温計以外全て、医者からの帰り道に山本が買ったもの。
頭の下に敷くアイスノンも、自身で冷凍庫から出してタオルを巻いた。
父一人子一人の生活。その上父は自営業。風邪をひいたら何をどうしたらいいのかなど、もう充分心得ている。
新聞紙が奏でる耳に優しくない音に混じって、店で客の相手をする父の笑い声がする。
客商売なのに、こんな病気を貰って来てしまうなんて。早く治して安心させてやらなくちゃ。感染さないよう気を付けなくちゃ。
酷い喉の乾きを感じて、側にあるペットボトルに手を伸ばした。水でもイオン飲料でもどちらでもいい、とにかくカラカラの喉を潤したい。
伸ばした指にひんやりした何かが触れ、山本はそれを掴み取った。早く飲みたい。早く。
だが引き寄せたそれは、冷たいけれどプラスチックの感触ではなかった。それに、自分はこの硬さを知っている―――?
「水?」
瞬間、うるさかった新聞紙や父の笑い声が周囲から音を消した。
硬質な、けれど低く甘く響くテノールは。
「・・ひ、ばり・・・・」
霞む瞳に映り込むのは、黒い艶やかな髪を風で少し乱した並盛最強の風紀委員長。彼は山本が掴んでいた指をやんわり外すと、ミネラルウォーターの口を捻る。
呆然としながらも、手渡された水を山本は喉を鳴らしながら飲んだ。喉から落ちて行くばかりの水は、けれど渇ききった体内を隅々まで潤すようにじんわり駆け巡る。
「・・・は」
ボトルの三分の二を一気に飲み、山本は息をついた。
隣に胡座をかいて座る雲雀は、そんな様子を無表情に眺めている――ように見えるが、山本は知っている。彼の切れ長の瞳が、他人には向けることのない慈しむような穏やかさを持って自分を見つめてくれていることを。
「・・・何で?」
沢山の意味を込めた疑問の一言。何でここにいるの?何で寝込んでるって分かったの?いつの間に座ってたの?見回りはどうしたの?バイクで来たの?ご飯食べたの?
「君、一気に色々考え過ぎ」
まるで顔に書かれた文字でも読んだみたいに、雲雀が呆れ顔で笑う。
ああ、この顔大好きなんだ。
「・・・君がいないのなんて、すぐにわかるよ」
それも、多くを含む答えだった。
いつも気に掛けているから。いつもその姿を探しているから。――好きだから、目が自然と探してしまうから。


嬉しい。嬉しい。・・・もう充分。


「・・・ありがとひばり。いいよ、ごめんな見回りの最中だろ?」
壁に掛かる山本の好きな野球選手が写し出されたポスター並の大きさの板の下方には、たった10センチ四方くらいの時計。小学生の頃誕生日にどうしてもこれが欲しいとねだったもの。その選手の踏み出す足元に印刷されたサインの上、申し訳程度に付いている文字盤と針は、今6時37分を指していた。
並盛の治安維持を信条とする雲雀だから、心は急いているだろう。早く彼を、彼の居場所に戻してあげなければ―――。
「・・・そう、じゃあ」
素直に従うところを見ると、やはり気に掛かっていたのだ。こんな風に気遣わせてしまうなんて、雲雀に悪いことをした。父に、雲雀に心配かけて・・・うん、ホント早く治さなきゃ。
カラリと乾いた音がして、風が籠った室内の空気をかき混ぜる。
肩から靡く学ランが窓に手を掛け、足がさんを跨ごうとしている。


  ああ、行ってしまう



山本は姿の消えた窓を見ていたくなくて、思わず布団を頭から被った。
電話をしたわけでも、人伝に教えた訳でもないのに来てくれた雲雀。父に見つかれば只では済まない、そんな危険を冒してまで。それだけで嬉しいのに、充分なはずなのに、どうしてこんなに自分は欲張りなのだろう。


側にいて欲しい――なんて。


「・・・ばか、ワガママ者、自己チュー・・・!・・・」
きつく瞑った目頭が熱くなる。あんなに優しい雲雀を一度は振ったくせに、何を今更寂しがっているのか。こうして会いに来てくれるだけで、何を他に望むというのか。


帰らないで欲しいなんて、行かないで欲しいなんて、思っちゃいけないのに。


「それが子供の特権だよ」
急に掛け布団が胸の辺りまで捲り上げられて、山本はきつく閉じていた目を見開いた。その反動で目尻から溢れた物がこめかみの下を伝う。
「ひ・・・ばり・・・」
「泣くくらいなら、手を伸ばしなよ。・・・こんな時くらい、年相応でいいじゃないか」
雲雀のひんやりした指先が涙を拭った。泣きたくなんかないんだ。だけど、熱のせいで感情のコントロールが効かない。一つ、また一つと目尻から落ちて行くものは、全て雲雀の指で拭われた。
「言ってごらん。どうして欲しいの?」
優しく。だけど有無を言わさぬ雲雀の強引な瞳。ワガママになって良いと告げている。自分もそうなのだから、君も、と。
枕元には山本に覆い被さる体を支える雲雀の手。
硬くて冷たくて気持ちよくて、山本を最も惑わせるくせに、大切に扱ってくれる手。
「・・・行かないでひばり」
絞り出した声はどこか震えていた。両手を広げすぐ目の前にある首にしがみつくように腕をまわせば、肘が折れて山本の首の下にも同じように力強い腕が回される。
「ここにいて」
「うん」
「俺を置いてくな・・・」
「うん」
「・・・一緒にいてえよ・・・・・!・・」
「・・・・うん」


明日は――ううん、今夜月が現れる頃には、またバイバイしなきゃならないから、お願い神様今だけは二人に目を瞑って。


かちり、橙色の豆電も消して、真っ暗になった部屋の布団に潜り込んで、真っ暗な中お互いの吐息だけを頼りに頬を擦り合わせ、睫毛で触れあい、髪を撫で、ひっそり探りあった。
誰も傷つけたくない、誰も悲しませたくなんかない。だけど今だけ子供になって。


愛のままに、わがままに、君を求めるよ。




おわり




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