翠色の日々
翠色の日々B
* * *
体調の優れない日がかれこれ一週間ほど続いていた。
雨がたくさん降った。
けど――公園にイリスは現れなかった。
だるい体を引き摺って、学校帰り雨の降る公園の横、毎日立ち止まった。
古びたベンチに彼女の姿を見つけることは無く、アホらしさと空しさが積っていくだけ。
そんな都合良く物事が進むわけが無いのだ。
日を重ねる事に体調の悪さは増していく。
――あーこりゃ久々に重症だわ・・・・・・。
自分でも信じられないくらいに心に影響される体だ、と考えてまただるくなる。
家でも調子悪いのと訪ねられたのについに昨日、クラスメイトから顔色が悪いぞと心配されてしまった。
だが敬太は学校に行く。家で眠っていてもさらに親が心配するだろうし・・・・・・何より、最近ろくに眠ることも出来ない。
家に居ても憂鬱が募るだけ・・・無理矢理にでも別のことをしているほうが気が紛れる。
どうにかならないだろうか、と考えイリスにまた会えば何か変わるんじゃないかと思っても肝心の彼女は居ない。
一応彼女のメールアドレスは教えてもらってあるが――メールをする勇気はまだ無い。
あちらからもしてこないということは忙しいのかもしれないし、なんとなく彼女を自分から誘うのは悪いと思った。
そう考えて、自分を誤魔化した。
――あいつにまた会うことも・・・・・・俺は、怖がってる。
きっとあいつがこの不調の原因だから――。
また会って、さらに心が抉られるかもしれないから――・・・・・・。
「・・・・・・最近は調子良かったのに、忘れてたのに、何で、いきなり・・・・・・」
何で、イリスなんて、現れた?
ぼーっとする頭の中で思考をめいいっぱい巡らせる。
学校。昼休み。
敬太は昼食である弁当を、食欲など無かったが無理矢理半分ほど食べ雨の降る窓の外を見ていた。
梅雨真っ盛りな最近は毎日冷たい雨が降る。
「梅雨終われば・・・・・・体調良くなるかな・・・・・・」
か細い声で呟く。
教室に居るクラスメイトたちには聞こえなかっただろう。
「敬太!」
「!」
途端、よく会話する友人の一人に少し大きな声で名前を呼ばれ、我に返った。
慌てて友人のほうに振り返る。
「何?」
「浪枝先生が呼んでる」
友人は教室のドアのほうを指差す。そこには確かに今出た名前の教師が立っていた。
「ほんとだ。さんきゅ」
軽く礼を言って教師のところへ歩いていった。背中には体調を心配する友人の目線を感じたが、振り返らなかった。
「・・・・・・どうしたんですか?」
自分を見下ろす長身の男教師を敬太は見上げならがら訪ねた。
「ついて来い」
それだけ言い教師は敬太に背中を向け歩いていく。
無言のままついて行った。
――生徒相談室。
「・・・・・・」
ただ沈黙を保ちながら二人はその小さな部屋の中に入っていく。
「座れよ」
教室の中に置かれている丸いテーブルと向かい合わせに並べられた二つの椅子の片方に座って、やっと教師は口を開いた。
それでもたった一言素っ気無いもので――しかし敬太は言われたとおりもう片方の椅子に座る。
敬太はこの男はこういう奴だと既に良く知っている。
浪枝 煉矢。(なみえ れんや)
若干目つきが鋭くスーツを着こなし、カッコイイだとかクールだとか印象を受ける。
この高校の国語教師で、教師の中敬太が最も信頼出来る男。
ぶっきらぼうで素っ気無い。だが、色々と頼りになる良い教師だと思っている。
敬太の調子が優れないとき、何気に察して声を掛けてくれたり。
敬太に迷惑とは感じない範囲で接してくれる。
さすが大人だな、と思う。
何も言わずに浪枝の顔から視線を外す敬太を見て、こうなることを予測していたように話し出した。
「最近また調子悪いだろ」
「・・・・・・別に、ちょっと風邪気味なだけです」
通用しないと解っていてもつい誤魔化してしまう。
「下校時刻まで此処で休んでろ。午後の授業の先生には俺から言っとく」
敬太の誤魔化しを無視する。
浪枝は敬太がストレスにかなり弱い体の持ち主だと知っていて、他にもある程度のことはお見通しのようだ。
早退して親に心配掛けたくないことだとか。
だからといって無理に帰らせないことを選ぶのが正しいのかどうかは別だが。
「・・・・・・嫌です。授業、出ます」
敬太は少し下を向きながら、だがちゃんと相手に届く声で言った。
「ひとりで居ると余計考え込んで寝ることも出来ない、とかか」
いきなり核心を突いてくる彼。
どうしてこんなに見透かされてしまうのだろうとたまに思う。
「・・・・・・そうです」
素直に頷く。
――あぁ、この人にはいつも甘えてる。
苦しくなった。
少しだけ、沈黙が流れて。
「じゃぁ俺次授業ねぇし、お前が寝るまで此処に居る。それなら寝れるだろ」
何処か確信めいた風にいつも言うから・・・・・・つい、この男の言うことは正しいことだと無理にでも思えてしまう。
「・・・・・・はい・・・・・・」
それだけ呟いた。
浪枝にはその一言だけで十分だったようで、椅子から立ち上がり部屋の片隅の壁に設置された各部屋と通信が取れる電話に手をかけた。
「あぁ、浪枝です。3年の鳳峰なんですけど、調子悪いようなんで相談室で…」
浪枝が、職員室だろうか、何処かへ電話をかけ敬太のことを伝える声が聞こえ始めると――敬太は体から力が抜けていくような感覚に陥っていった。
浪枝のおかげで少しだけ眠れることが出来、ほんの少しだけ楽になった――それでもまだ大分辛い――体を引き摺り、傘を片手に帰り道を歩く。
――俺の体、明らかに異常じゃね?
普通ストレスくらいで此処まで調子悪くならないだろう、と疑問を持つ。自分へのこんな疑問、持つのは何度目かなんて数えていない。
「まじで風邪ひいてっかも・・・・・・」
念のため額に手を押し当ててみる。
「・・・・・・ぶっちゃけこれやっても熱あるのかどうかわかんねぇ・・・・・・」
独り言をぶつぶつ言いながら歩くこの道は細くて人気が無いので、いくら独り言をしても恥ずかしい目に合うことは少ない。
公園に差し掛かる。
「・・・・・・」
思わず立ち止まり、雨に打たれる遊具たちを見つめた。
――何度目だよ、此処で立ち止まるの。
公園内の片隅、屋根のあるところ。
古びたベンチが目に入る。
今日も敬太の期待を裏切っているのか裏切っていないのか、そのベンチには誰も腰を下ろしていない。
はずだった。
「!?」
はずだったのに――・・・・・・。
頭に浮かんでくる、金色は無かった。
――代わりにあったのは、茶色。
雨のせいか・・・・・・濡れた体を気にする様子も無く、空を見ている茶色。
その行為自体は暇潰しで、まるで誰かを待っているかのような。
「つっ・・・・・・」
何故かその姿に敬太は酷く動揺し、思わず息を漏らす。
距離がけっこう離れさらに雨音が煩いこの状況下で、その茶色は・・・・・・敬太の存在に気付いたようだ。
雨空に向けられていた視線が――敬太へと。
笑顔。
茶色の彼は――笑う。
途端敬太は激しい眩暈に襲われ、意識を失い倒れた。
差していた傘が転がる。
茶色の男は微笑みを崩さぬままベンチから立ち上がり、雨など気にせず敬太の近くに歩み寄る。
まず敬太の差していた傘をたたむ。
それを片手に持ちながら、自分より大きいであろう敬太の体を器用に担ぎ――雨の中歩き出した。
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