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翠色の日々
翠色の日々I


* * *


前の日は本降りだった雨が止み、曇り空の日曜日の昼下がり。



ピンポーン。

インターホンの音が響く。


『はい』


インターホンの向こうから、若い男の声が聞こえてきた。


「あ、イリスです」


イリスは、インターホンに向かって名乗った。

『イリスちゃん!来たんだね。玄関開いてるから、どうぞ入って』

「あ、はい」

インターホンがぷつりと切れるのを確認し、イリスは見るのも慣れた扉を開く。


がちゃりと音を立て、家の中に入る。
そこにはインターホンの男とは別な、馴染みのある少女が立っていた。


「おー、良く来たね、イリス!」
「お邪魔します、れなちゃん」


イリスは靴を脱いで揃え、笑顔のれなの後について行った。






「ようこそ、イリスちゃん」



廊下からリビングに入ると、そこにはさっきインターホンに出た、陸が笑顔で待っていた。


「どうもです陸さん。お邪魔します」

イリスは丁寧にお辞儀する。もう何度もこの家には訪れているが、イリスの行儀の良さは変わらない。

「はい。ふふっ、いつも思うんだけど、もっとリラックスして良いんだよ?」

陸はおかしそうに微笑む。

「あ、いえ。こんな感じが一番わたしにとっては楽なので……」
「そう?なら良いんだけどね」


「……あ、これ、クッキーです。わたしが焼いたので、たいしたものじゃないんですけど」
イリスは小さく微笑み、小さめの洒落た鞄と一緒に持っていた紙袋を陸に手渡す。
どうやら中には手作りのクッキーが入っているらしい。

「あ、良いの?来るたびに何か持ってきてくれて、いつも本当に有難う」
陸は少し申し訳無さそうに言って、その袋を受け取った。そして台所へ入っていく。



「今、紅茶と貰ったクッキー出すから。ちょっと待っててね」

「うん、お願いー。イリス、いつも有難う!イリスが作ってきてくれるお菓子、凄く美味しいよ!」
れなは明るい笑顔を見せる。
その笑顔につられたように、イリスもまた微笑んだ。
「ううん。わたしも美味しいって言ってもらえて嬉しい」

「そう?でも、本当に羨ましいなぁ。料理も上手で、編み物も得意なんてさ!」


イリスは今日も編み物をれなに教えに来た。


どうやられなはクリスマスプレゼントに陸へ編み物を渡したいらしいのだが、梅雨の時期の今からその練習をしている。早すぎるのではないかと思うかもしれないが、れなはこういった女の子らしいことが大の苦手のようで、イリスが「練習し初めるには早くない?」と問いかけても、返ってくる答えは「ちょうど良いよ」のみだった。



「イリスちゃんに色々教えてもらうんだよ、れな。料理とかもさ」



少女二人の会話を聞いた陸が、台所から皮肉めいた言葉をかける。

それを聞いたれなは、一気に不機嫌そうな表情に変わった。



「料理が出来るようになったら、一緒にご飯作ったりしようね?」


「うるさいなぁ!」
「いやぁ、今のれなの料理は凄まじいよ、ほんと」


ふふふと笑いながら、陸は言葉をかけることを止めない。

イリスはそんな二人を見て思わず噴出してしまった。
その様子を見たれなは、少し恥ずかしそうにイリスへ向かい、「は、始めよっか!」と声をかける。


リビングには、テーブルが一つあり、その周りをソファが囲み、前にあるテレビを気楽に観られるような家具の配置になっている。
れなはイリスにソファに座るよう言い、自分もイリスとテーブルを挟んで向かい合うように座った。




「陸さんに料理教えてもらえば良いのに。陸さんとの距離も縮まって良いんじゃない?」




イリスは自分が持っていた鞄を自分の脇に置くと、れなに少し顔を近づけ、台所に居る陸に聞こえないよう小声で話した。


それに対し、れなも小声で返す。

「そんな恥ずかしいことできるわけないよぉ!そんなん頼んだら、何て言われることか……」


どうやら、れなにとっては、恋心を抱く相手に『女の子らしいことを習う』ということはとても恥ずかしいことのようだった。


イリスは落ち込むれなに、苦笑いを向ける。



「小さい頃から色々やっとけば良かったのかなぁ……。プロレス観戦が趣味の女の子なんて、普通男の子なら引くよね……」

「そんなことないよ。だって陸さんもプロレス凄く好きなんでしょ?ぁ、あの爽やかな外見からはちょっと予想できないけど……。あの、共通の趣味があるっていうのは良いと思うよ。それに、れなちゃんは可愛いよ?」
「またまたそんなお世辞を……」
イリスはさらに落ち込むれなに「まぁまぁ」と声をかけた。


そこで、そういえば、と、れなは何か別のことを思い出す。


「ずっと聞きたいと思ってたんだけどさー、イリスって、料理とか、編み物とか、色々作ってるけど、やっぱ誰かにプレゼントとかしてるの?そういう相手、いるんじゃないかとわたしは考えてるんだけどさ!」
にやにやと楽しそうに笑みを浮かべながら、れなはそう言い切った。


その問いかけにイリスは、一瞬、脳内にある人物を思い浮かべる。

しかし、浮かび上がったその人物には、一度もプレゼントなどしたことも無い。そもそも、まだ会って話したことも二度しかないのだ。



――敬太くん、元気かなぁ……。



イリスはその人物を想う。しかし、彼に対する感情は複雑なものだ。


れなは俯いて黙り込んでしまったイリスを見て、思わず小声で話すということを忘れる。

「や、やっぱいるんだ!?」

どうやら、イリスの俯きを、れなは『プレゼントを渡すような相手がいる』と捉えてしまったらしい。


そのれなの声が響いてきて、イリスは我に返った。


「あ、い、いや!ううん、いないよ。料理とか編み物だとかは、好きだからやってるだけで……。出来たものはプレゼントとかじゃなくて、料理だったら自分で食べたり……」
あはは、と苦しく笑顔を作った。

「あ、そうなんだ……。そっかぁ。なんか意外だなぁ」
「え?」
「イリスみたいな女の子を周りが放っておくなんて、信じらんない。わたしが男だったら完全に惚れるのに!」

どこか確信めいて言うれなを見て、イリスは少し驚いた。
「そ、そんな大袈裟な」



そんなこと無いよ!とれなが声をあげたところで、陸が紅茶とクッキーを持ってきた。


「はい、どうぞ」



トレイからテーブルの上へとクッキーが盛り合わさった皿を置き、次に紅茶を、二人の前に静かに置いた。


「あ、どうも有難うございます」
「ありがとー」



「あれ?今日は編み物をやるんじゃなかったの?」



休日、たまにれながイリスを誘い、編み物をやっていることは陸も知っていた。


しかし、二人が先ほどソファについてから少し時間が経ったにも関わらず、テーブルの上に何も広げていないのを見て、彼は少し不思議そうに尋ねた。



「ん?やるよー。さ、始めよっか!」
「そうだね」


二人はその言葉を聞き、少し慌てる。そして、用意していた、自分の編み途中のものを袋からそれぞれ取り出した。


「そう?頑張ってね」


陸は特に疑問を感じなかったのか、それだけ言うと台所へ戻り、トレイを置いた後、リビングを出て行き自分の部屋へ行った。



れなとイリスは気を取り直し、編み物を始めた。

れなはまず、練習としてマフラーを編んでいる。


そしてイリスは、何となくニット帽を編んでいた。
真っ白なニット帽。特に作りたいものが無かったので、本当にてきとうにこれを選んでしまった。



「……わたし、違うのを編みなおそうかなぁ……」



マフラーを途中から編み始めていたれなが、顔を上げる。



「えっ?止めちゃうの?それ」


「うん……なんかわたし、真っ白じゃ無くて、黒いのが編みたいなぁって……」


少し間を置いてから、呟くように言った。



「……黒と、緑の……セーターとか…どうかなぁ…?」



それを聞き、れなは顔を輝かせる。
「セーター!?そんなのも出来るの!?凄く良いと思うよ!!」

「じゃぁ、そうしようかな……まぁ、とりあえず今日は、これを編むけど…毛糸も持って来てないし」

「そうだね!」



イリスは小さく微笑んだ。








「イリスちゃんと敬太さんは、あれから再会出来てないみたいだったなぁ……」



陸は、ふふっと怪しげな笑みを漏らし、彼が知るはずの無いことをひとり呟いた。

自室に戻った陸は、机から椅子を引き出して腰掛ける。



何か考えているのか――目を閉じた。



そのまま、少し時間が流れ――。




ふと、机の上に置かれていた彼の携帯電話が鳴り出した。



陸は瞼を開き、携帯を手に取る。


電話だった。誰からかと画面を確認すると、そこに示された名前を見て、陸はらしくも無く取り乱した。
慌てて携帯の通話ボタンを押し、耳へ当てる。



「もしもし」



陸の顔からはさっきまでの微笑みが完全に消えていた。
しかし、相手の声を聞くと、一瞬元の微笑みが戻る。


「……うん。元気だよ。そっちは?……そう…で、どうしたの?何か……」


すぐに真剣な顔つきになり、どことなく潜めた声を出した。


「…うん、うん……あ、あぁ…そう。わかった……」


電話の向こうの相手の言葉を聞き、気を緩めたようで、途中からまた微笑みを取り戻した。


「いや、そんな……ふふ、わかったよ。近いうちに行くから、うん」


会話が終わったようで、陸は携帯を閉じ、机の上に放り出した。


そして、椅子から立ち上がり、今度はベッドへ全身を預ける。

はぁ、と重い溜息をひとつ零すと、ゆっくりと瞼を閉じた。



「……進展無し、か……」










その頃、何も知らない敬太は――


郊外の、とある場所に来ていた。

寂れた、ただ土が固められた地面ばかりが続く、何も無いところ。周りは樹で囲まれていて、小さな林の中でぽっかりと地面が露になっているような空間。
人気などあるはずもない。


しかし、ここは確かに何も無いが、敬太にとっては大きな意味を持つ大切な場所であり――

敬太は、およそ二年前から年に一度だけ、必ずひとりでここに来ることをしている。


その片手に、菊などの仏花が束ねられた花束を握って。





この場所は誰にも知られてはいない。家族や真にはもちろん、過去に色々と世話になった浪枝にも。



土を踏みしめ少し歩いていくと、やがて、小さく盛られた土と、そ土の上に立てられた小さな木の棒が見えてくる。


敬太が以前作った、墓のようなものだ。


その木の棒には女性と思われる名前が刻まれていた。



敬太は、自分の服が土で汚れることなど気にせず、その場に正座する。
そして、目を閉じて掌を顔の前で合わせた。



この墓を作ったのは敬太だが、
――実際にこの土の下に、敬太が葬った者の遺骨が埋まっているわけでは無い。
土の下にはしょせん土が続いているばかり。
敬太はそのことをわかっているが、それでもこの墓の前で手を合わせ、目を閉じる。



――自己満足のための墓だな、まるで。



毎回、自分に嫌悪感を抱きながら。


そしていつも思い出す。

まるで遠い夢のようで、しかし脳内に深く刻み込まれた鮮やかな記憶を。


それはおよそ二年前のこと……。

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