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それは幸福
前日譚


 『とても感動した。君は天才だ』

 ドラマを見て、映画を見て、演劇を見て。誰もが口を揃えてそう言う。そんな称賛の声を1人、浴びるのは齢20歳という若き青年、藤堂春臣(トウドウ ハルオミ)であった。
 “天才”それは春臣のために用意された言葉と言っても間違いではないほど、春臣の演技は素晴らしいものであった。春臣が笑えば、皆笑い、その端整な顔に涙を流せば皆泣いた。誰しもが春臣に引き込まれ、そして虜となる。そんな春臣にたてつくものは誰一人としていなかった。

 子役から活躍した春臣の顔を知らぬ者もいなかった。色素が薄く、白い肌に栗色の髪の毛。切れ長の目は長い睫毛で縁取られている。そのまま目線を下げていけば高い鼻にうすい唇、そしてシャープな輪郭が露わになる。それに加え細身ながらも均等に筋の付いた体は甘いフェロモンを放ち、世の女性は皆見惚れた。

 性格も明るく、常に人懐っこい笑みを浮かべていた。バラエティ番組に出てもその人気が冷めることはなく、出演者全員に好感を持たせる。そう、春臣は完璧だった...――― 完璧に演じていた。

 「はい、お疲れ様。春臣」

 ふと目の前に出されたカップ。その中には温かなコーヒーが入っており白い湯気を立ち昇らせていた。
 それを一口含み漸く春臣は一息ついた。仕事も終わり、自宅に帰ればこうして温かなコーヒーが出される。

 「京太、今日のプロデューサーのおっさん俺のケツずっと見てた」

 そういう春臣の顔に、爽やかな好青年の風貌はなかった。無表情だったその顔のまゆが嫌そうに顰められただけ。その様子にマネージャーである大月京太(オオツキ キョウタ)は苦笑する。

 「それだけ春臣に魅力があるってことだよ。さ、今日は何が食べたい?仕事はやめに終わったから何でも作ってあげるよ」

 「あんま食べたくない」

 「うーん、と...野菜ある...肉も、あるな。よし、ボリューム満点の作ってやるから腹空かして待ってなさい」

 春臣の意見はどこへやら。京太はてきぱきと料理を作り始めた。こんな生活も早数年。私生活が乱れていた春臣の世話を京太はマネージャーについて以来毎日行っていた。
 今では住み込みの方が何かと便利だ、と同居している。家事は全て京太が行い、春臣は家では何もせず全てを京太に任せていた。自分の生活に対して無頓着な点、それが春臣の唯一の欠点。オフの時の春臣はまさに観賞用の人形のようであった。

 どうすれば自分がよく見えるか、評判がよくなるのかがわかっていて、人の目があるところでは常に役になりきって過ごしている。それが春臣の日常であった。
 これも全て子役時代から活躍していた賜物。だが、それを続けるのも全て、今の仕事...俳優の仕事が好きだったからだ。

 大抵のことはどうも思わない春臣だが、俳優業にはプライドを持ち、一筋であった。

 だがそんな春臣にはある1つの秘密があった。それは...――― 春臣が暴力団の子どもであるということ。
 芸能でゴシップは禁忌。たったそれだけのことで、ということでも世間は面白おかしく話を膨らませていく。
 真実か否かは関係ない。大衆は他人の不幸を甘い蜜を吸うかのように楽しむのだ。



 「春臣、起きろ朝だ!今日は新しいドラマの打ち合わせがあるんだ、早く用意して!」

 「...あと1時間、」

 「せめて5分って言ってくれ...はぁ、朝ごはん用意するからその間にちゃんと起きてくるんだよ」

 「...。」

 「起きてこなかったら、今日の夜はピーマンたっぷりの肉料理にするからな」

 勝ち誇った京太のその一言に春臣は肩をびくつかせた。その雰囲気の変化に満足した京太は、「わかればよし」とだけ言い残し、春臣の部屋を後にした。
 まるで母親のようなその男に春臣は逆らえない。しかし、春臣はわかっていた、京太のまるで家族として春臣を見ているような深い愛情を。そして春臣もまたそんな京太にだけは心を開き、ひどく懐いていた。

 本当の親以上に、誰よりも。

 金さえもらえれば、あとはどうでもいいと春臣のことを放置していた両親。そんな2人も暴力団の抗争に巻き込まれ死んでしまった。悲しみは微塵もなかった。――― 春臣の傍には京太がいてくれたから。
 寧ろチンピラのように金を奪っていく汚い存在がいなくなってくれて清々しているくらいだった。

 自分の好きな俳優業を続け、傍で京太が支えてくれる。その生活に苦痛はない。あるのは幸福だけ。
 毎日が幸せだった。未来があった。輝いていた。...――― しかし、その生活はある日を境に脆くも崩れ去った。

 「こいつが、お前の子ども...?」

 春臣の視線は目の前の華奢な人間に向けられる。14歳という成長途中の小柄な体。春臣の頭何個分も低いその少年は不愛想な顔で春臣を一瞥した。

 ある夜の日。京太の元に一本の電話がかかってきた。それは1人の女の死を知らせるもの。そして、残されたその女の息子のことについても。行き場のないこの子供の面倒を見てくれ、そう京太は頼まれた。

 京太に息子がいたことなど知らなかった春臣だが、真摯な顔をした京太に詳細は後で話すから連れてきてもいいかと言われれば断ることなどできなかった。

 「でも京太、お前今29だろ...こいつが14なら一体いくつに子ども作ったっていうんだ」

 京太の息子だと名乗る少年...天宮千晶(アマミヤ チアキ)を風呂に入らせている間に春臣は呆れ半分に呟いた。

 「てか、なんで息子がいるって言わなかったの。仮にも一緒に住んでるんだからさ、こういうことを予想して話してくれててもよかったんじゃない?」

 いつになく饒舌な春臣。その心中はもやもやとした黒い感情が渦巻いていた。憧れていた家族の輪。その輪の中に入ってきた“息子”という存在が邪魔に感じていたのだ。

 「...っ、実は僕も知らなかったんだ。電話で言われて初めて知った」

 「...は?何それ、それだったらあいつがお前の息子かどうかわかんないじゃん。騙されてるんじゃないの」

 「いや、違う、違うんだ。きっとあいつは僕の子どもだ。...なぁ、春臣、お前知ってるよな...僕が女ダメだってこと」

 いつもは笑顔を浮かべる京太の顔に表情はなかった。瞳は揺れ動き、焦点が合っていなかった。

 「僕さ、ある女に逆レイプされたんだ。近所の人で水商売してる人だったんだけどさ、ある日突然監禁されて、何日間もずっと犯されたんだ。その時僕は14だった。...昼夜関係なく何度も何度も何度も。本当、怖かったよ。あの日のことは今でも覚えてる、あれから僕は女がダメになった」

 「まさか...っ、」

 「 その女が千晶の母親だよ 」

 そう聞いた瞬間、春臣は気持ちの悪さに身の毛をよだたせた。


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