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それは幸福
取引


 「はーい、カット!」

 監督のその一声で俳優陣の緊張は一気に解けるがその中で1人だけ、春臣はいつもの通り仮面をつけた演技が続いている。
 今日で春臣が主役としてやっていたドラマがクランクアップとなった。盛大な拍手の中、大きな花束を渡された春臣は普段プライベートでは滅多に見ることのできない満面の笑みを浮かべる。

 「ドラマの撮影はとても大変でしたがここまでこれたのはスタッフの皆さん、監督、そして俳優陣のみなさんの支えがあってこそでした。そんなドラマの撮影もあっという間に終わってしまい...終わってしまった今となっては寂しさが込み上げて...−−−」

 スラスラと口から出てくるのはお涙頂戴もののありきたりな“セリフ”だった。
 この場にいる全員がそれが演技だとも気がつかないで聞いて涙ぐんでいる。

 −あぁ、やっぱり俺の演技は完璧だ。...なのに、なんで主役降板なんかされなくちゃいけないんだ。

 思い浮かぶのはつい先日知らされた主役降板の件について。いまだに春臣は納得がいかなかったが、それをぶつけることも叶わず心の中に蟠りだけが残っていた。
 あの後、家に帰れば心配した京太に無言で抱きしめられた。そんな京太を見てしっかりしなければと春臣は胸に誓うが、だからと言って不満が解消するわけもなく。

 今のドラマも終わり、わずか1週間後から春臣が助演となった映画の撮影が始まる。
 子役の頃から長くこの業界に携わってきたがこんなにも最悪な始まりは初めてだった。

 春臣の挨拶も終わり、ヒロインや他の俳優陣が挨拶していく中、ふと春臣の瞳に異物が映り込んだ。

 −千晶...。

 この蟠りの全ての元凶である千晶は撮影現場の隅で壁に凭れ掛かりこちらを見ていた。

 「なんであいつがここに...」

 京太ならば今は春臣のクランクアップに合わせて今後のスケジュールを埋めるための打ち合わせを行なっておりここにはいない。そうなると、用があるのは春臣ということになる。
 顔も見たくはない気分なのだが人目がある中で無視するわけにもいかず春臣は大きなため息を吐き出した。

 「お疲れ様、春臣」

 案の定、撮影陣がばらけ始めた頃に千晶は春臣の元へと歩み寄ってきた。スタッフたちは今ブレイク中の千晶の出現に色めき立ち遠慮のない視線が向けられる。

 「お疲れ様。急にどうしたんだ?天宮君が来るなんて珍しいね。今日は快晴のはずだけど雨が降るのかな」

 愛想よく、いつもの演技は続けられる。憎々しい相手にもしっかり笑顔が作れる自分にあっぱれ。

 「あんたにちょっと用事があるんだけど。このことについて」

 しかし、それに対する千晶の態度は相変わらず愛想の1つもなく、ぶっきらぼうに写真を一枚渡された。
 
 「誠太、親の跡を継ぐって...これで俺の言いたいこと、わかるよね。こういうの、週刊誌の人たちは大好物でしょ」

 「...っ、」

 それは先日、連れて行かれた喫茶店での一時の写真であった。2人の顔はしっかりと写っている。千晶の意図することを察した春臣はこれは放置できるものではない、と目を見張り千晶に目を向ける。

 「今日このあと、事務所のあんたの部屋で集合。鍵開けて中で待っててよ」

 それだけ言うと千晶は振り返りもせずにその場を後にした。

 「...くそっ、」

 あぁ、本当に最悪なこと続きだ、と春臣は爪が白くなるほどに強く拳を握った。

 空も暗くなり、事務所の人間は皆帰り静まり返る。
 春臣は千晶に言われた通り事務所の隣の一室、仮眠室の鍵を開け中で待っていた。部屋にあるのはベッドとサイドテーブルのみ。ベッドに腰掛ける春臣の呼吸は僅かに浅く、緊張の糸が張り詰めているのが見て取れた。

 思い出されるのは千晶が見せてきた1枚の写真。あれは春臣にとっていい脅し道具だった。
 千晶は誠太が組の跡を継ぐと言っていた。そうなると事は重大だ。あの写真を週刊誌が見たらどう思うだろうか。

 −俺と裏の人間に繋がりがあると記事を書かれてしまう。

 そうなれば、もう芸能界で生きていくことが極端に難しくなってしまう。弁解すればするほどに疑惑は深まり悪評がつくことを逃れるために皆、春臣に仕事を回さなくなる。

 「最悪だ...っ、」

 演じることができなくなった自分に一体何が残るというのだろうか。
 千晶が何を考えているのか。昔の千晶への仕打ちを考えれば何が起きてもおかしくはない。

 走馬灯のように過去にあった出来事が頭の中を流れていく。あの時、こうなることがわかっていたら関わりなどしなかった、と。

 「おまたせ。遅くなってごめんね、春臣」

 「千晶...と、なんで誠太まで」

 いつになく機嫌の良さそうな声。そちらへ顔を向ければ千晶と誠太の2人が視界に映る。

 「春臣君、こないだ振りだね」

 誠太は感情の読めない瞳で春臣を見下ろす。誠太には先日、喫茶店で釘を刺したばかりだ。...この状況、嫌な予感しかしなかった。

 「まず、来て早速だけどさ...服脱いで全裸になってよ。話はそれからにしよう」

 「...はっ、え?」

 和かに笑う千晶の口から言われたことがにわかには信じがたく、春臣は珍しく素っ頓狂な声が出てしまう。

 「裸になってって言ったの。普通の話し合いで終わるわけ、ないじゃん」

 「お前...馬鹿じゃねぇの。なんで俺が脱がなきゃいけないんだよ。誠太もそうだけど千晶、お前も何気持ち悪いこと言ってるんだよ」

 そう、虚勢を張るがこれが冗談でもなんでもないことは千晶の目を見ればわかることだった。
 ツゥ、と冷や汗が背中を流れる。

 「馬鹿...そうだね、俺も誠太も馬鹿かもしれない。でもあんたは...ただのクズ野郎だよ。なぁ、教えてよ。自分よりも体格も小さくて年齢も離れた男の子をおもちゃにする良さをさ」

 「そんなの、好きに楽しんで何が悪い。俺は...−−−」

 「あのさ、わかってる?あんたはさ、」

 春臣の話を遮るようにして千晶は言葉を重ねる。そして近づいてきて耳元で囁いた。

 「少年愛者の変態なんだよ」

 「...っ!」

 あれ、自覚なかった?と千晶はケタケタと笑い声を上げる。
 春臣は急に羞恥心を感じ、頬を赤く染めた。咄嗟に千晶を殴ろうとするがつい1週間後にともに映画の撮影があることを思い出し被りを振った腕は宙で浮いたまま固まった。

 「...あんたも馬鹿だね」

 「い゛っ、てめぇ」

 その隙をついて千晶は春臣の背中を蹴って床に這いつくばらせた。一瞬のことで春臣は耐えることができずにあっさりと倒れてしまう。

 すると、そんな春臣を見て扉の前で立っていた誠太は徐に近づいて顔の前で蹲み込んできた。

 「誠太、お前もふざけんなよ!俺にこんなことして絶対に許さねぇからな!」

 「...春臣君」
 
 「がっあ゛、いた...ぁ、」

 優しい声で名前を呼ばれた刹那、強い力で前髪を引っ張られ喉が仰反る。

 「いいから早く裸になってその可愛いおちんちんを俺に見せてよ」

 千晶と同じように笑う目の前の男は最早、春臣の知っている誠太ではなかった。



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あきゅろす。
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