牙狗
天下人豊臣秀吉が死に
豊臣政権を維持しようとする石田方と
天下を我が物にしようとする徳川方が
数年前に分け目の戦を行ったらしい。
結果西軍の多数の裏切りにより徳川方が勝利した。豊臣家の根は絶やされた訳ではないが大幅に石高を減らされての赦免であった。
未だに豊臣は徳川の政権を認めようとはせず、田舎町の民ですら近々彼らが反乱でも起こすのではないかと囁き合っている。
近頃また豊臣方に不審な動きありと報告があった。己のような若造ですら徳川は欲しているらしい。探れとのことだ。情報収集ならば伊賀忍らがいるであろうに、奇妙なものだ。
己は今徳川に雇われているが忠誠心を捧げた覚えはない。只、食うのに困らなければそれで良い。天下のゆく末など己のような下賤の身には関係ないのだ。
こんな状況でもなければ、収入が良ければ豊臣でも良いが圧倒的不利な奴らにつくのは阿呆であろう。
―先程報告を受けたものの、報告を終えた部下の苦労を労おうとしても既に冷たい。大方あちらで刃に毒でも塗られていたのだろう。傷が無数にある。
別段己は何も感じないはずだが何となく、胸が空いたような感覚を覚えた。
色々と考え込んでいると、何やら知らぬ気配が近づいてくる。…気配を隠そうともしないのは、どういうことだろう。
「…何者」だ、と言う前に。
…何だか顔が凄く近い。考えろ。今己の前には何がある。…人の顔(というか狐の面と赤いモサモサ)。
…ちょっと顔を見てから蹴ってみるかと思っていた矢先にこれか。
「…近いぞ貴様」
…面のせいで表情が分からない。何を考えているのやら。
「おい」
「?」
…首を傾げても可愛くも何ともない。むしろ怖い。
「貴様は何故己の顔を見とるのだ」
「……………(ジィー)」
沈黙か。いい度胸だ。
「…とにかく離れろ」
「……………(フルフル)」
「…楽しいか、己の顔など見て」
「…………(ナデナデ)」
「撫でるな(ペシッ)」
「………………(シュン)」
「落ち込むな」
「……………(ジィー)」
「…こっち見んな」
こんなやりとりが数十分ほど過ぎ、苛々してきた己は一発殴って狐(仮名)を放置しておいたが…
翌日、そいつが新しい部下だと知った。
『牙狗と申します(ペコリ)』
「…貴様な」
「?」
「口があるのなら喋れ。そしてせめて上司には面を外して挨拶せよ」
『無理ですね。そんなことしたら飯が食えなくなりますよ(はあと)』
(………誤魔化したな)
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