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case 8-1

チリンチリン

「お早うございまーす」
「おい、遅刻だぞ!」
眼鏡をかけた年老いた教師はいつものように校門を過ぎる生徒に声を掛ける。チラチラ時計を見遣り、制限時間を過ぎるとガラガラと音を立てながら門を閉めた。

「荒木も佐賀も、来なくなったな」
奏都が近づいて来ると、教師は振り返って話しかける。相変わらず制服のズボンをだらしなく下げた奏都は、つまらなそうに欠伸をした。
「だって、辞めちゃったじゃん」
「は?」
「あーちゃんもまやちゃんも」
二人の教科を担当をしていない為、その事実を知らなかった教師は目を丸くする。
やがて大きな溜息を吐くと、職員室へ入って行った。


******

『決めポーズをしてみよう!』

「決めポーズだって!」
「そんなのないよ」
「じゃあ顎ピにしよっ」
「あごぴ?」
「顎にピース♪ほら、時間なくなっちゃう」
「あっ」

―カシャッ

「アハハハハハハ!」
画面の中に写る二人は顎にピースをしようとした途中でシャッターを切られ、ブレてしまっていた。その写真に荒木は思いっ切り笑う。
「そんな笑わなくったって…」
「だって、まやちゃんのこんな表情なかなか見れないよ」

『じゃあ次は、仲良く手を繋いでー』
機械音声が次なる指示を出す。
「よし、今度は大丈夫」
まやは荒木の手を握り、画面を見つめた。
「えへへっ仲良し♪」
荒木も握り返し、二人は微笑む。
カシャッと撮影の音がすると、二人の笑顔が画面に映った。



「わ〜これ超写り良い♪まやちゃんちょー可愛い」
「舞ちゃんこそ可愛いじゃん」
「えー本当にー?」

ゲーセンを出て、二人はファミレスに入った。さっき撮影したプリクラを半分に切って二等分し、眺めている。

あれから二人は学校を中退した。
サボって援交ばかりをしていたら単位が足りなくなり、留年が決定してしまったのだ。荒木はそれが両親にバレ、行く気が無いなら辞めろと言われて辞めることになった。
まやもまやで学校に行きながら金稼ぎをするくらいならそれだけやってた方が楽だと思い、結果辞めてしまった。

「明日はアキバ行こうよ〜」
「アキバ?」
「そ。あたしアニメの同人誌欲しいんだ」
テーブルに並べられたポテトをフォークで刺し、荒木は口に運んだ。
「舞ちゃん、腐女子ってやつ」
「そー!BLって面白いよ〜今度まやちゃんにも見せてあげる!」
モグモグポテトを食べながら、取引相手の詳細をメモしているノートを鞄から取り出し、最後のページに絵を描きだした。少女漫画のような可愛い絵に、まやは思わず見入る。
「上手いじゃん」
「あたし漫画家目指してたんだ〜♪声優にもなりたかったけど」
確かに、荒木は一般人とはちょっと違った声をしていた。声優っぽいと言うか、変わったアニメ声は声優に向いてるかも知れない。
誰だって幾つか夢を見たことはあるだろう。だが、まやは夢を見たことがなかった。
貧乏な家庭だから上は目指せないし、ただ金さえ稼げればどんな仕事だって構わない。寧ろ夢なんかより、稼げる仕事の方がよっぽど重要だ。

「…あ」
荒木はふと外を見た。
店のガラス窓越しに遅刻した女子高生三人が歩いている。荒木やまやと同じ学校、同じクラスだった生徒だ。
女子高生たちは荒木を見るなりひそひそ話しているが、向かいにまやが座っているのを見ると目を丸くする。

「やな奴ら」
フイ、と顔を逸らした。

荒木は女子に嫌われていた。
元々馴れ馴れしく、軽い性格の所為か男友達が多く、また声や話し方、仕草が"ブリっ子"と世間では言われる。
関われば関わる程女子は荒木から離れ、周りは男ばかりになった。そうすると女子はまた荒木が男子に媚びてると噂し、離れていく…正に悪循環。
だがまやはそんな事は気にしない為、まやだけは傍にいてくれた。

逆にまやは女子から人気が高かった。女ながらクールな生き方や言動が格好良いと言われ、遠巻きに女子のファンも多かった。
そんな二人が学校をサボって一緒にいるなんて、妙な光景なのだろう。
女子高生たちは暫し二人のことを話していたが、角を曲がるとまやの視界から消えた。


「…そう言えばさ、昨日奏都たちに誘われて夜飲み行ったんだ」
嫌な映像をかき消すように、荒木は首を振ると人差し指を立ててまやを見た。
「飲み?」
「そう。うち門限うるさいから夜中に窓から抜け出してさ、公園でチューハイパーティー」
楽しそうに話す荒木にまやは溜息を吐く。
「何人で?」
「五人。奏都とセイジ君と、タカユウとマサ君」
「…」
「そしたらねー、セイジ君がさ、ヤろうって言ってきてさ」
「…」
「セイジ君って彼女いんじゃん?だからあたしも彼女に恨まれたくないし、無理って言ったんだけどしつこくて…」
「ヤったの?」
ギロリとまやの鋭い目が荒木を睨む。
荒木は怯みつつ、左右に首を振る。
「ううん。じゃあゴム買って来て!って言ったら買いに行ってさ、その間に帰って来ちゃった」
荒木はヘラヘラ笑った。

荒木、奏都、セイジ、タカユウ、マサの五人は同じ中学校の仲間だ。荒木がよく連む連中で、奏都とセイジは同じ高校でもあり、一緒にいるのをまやは何度か見たことがあった。
女である荒木が、そんな夜遅くに男たちとチューハイを飲んでいるなんて大問題だろう。未成年と言うこともあるし、大体"何か"が起きたっておかしくはない。

「もう飲み行くのやめな」
「え?」
「犯されたって文句言えないよ」
「そんな大袈裟…」
「大袈裟じゃない。寧ろ犯してくださいって言ってるよーなもんじゃん」
不機嫌そうにまやはポテトをフォークで刺す。
「それとも、ヤられたいの?」
冷たい瞳を向けられ、荒木はブンブン首を振った。
「違うよ!」
「じゃあやめな」
「…うん」
まさか怒られると思っていなかった荒木は悄げ、携帯電話を開いた。相変わらず取引のメールは来ていない。鞄から煙草を取り出すと、透かさずそれはまやに取られた。

「え?」
「え?じゃないでしょ。未成年なんだから。大体煙草は体に良くない」
取り上げた煙草をまやは鞄にしまう。
苦笑した荒木は化粧ポーチを取り出して化粧直しを始めた。
「まやちゃんママみたい〜」
ちょっとうざったいながら、自分のことを考えて注意してくるまやは、まるで母みたいだった。
まやは言われながら、自分も鞄から化粧ポーチを取り出し、鏡で自分の顔を見つめた。

確かに母親みたいだ。
荒木を心配してしまう。いや、気になって仕方がない。
目の届かないところには行って欲しくないし、悪い虫からは遠ざけたい。
いつからだろうか、こんなに執着するようになったのは。
今まで友達なんか要らないと独りで生きてきたのに、荒木に懐かれるうちに自分も荒木を離したくないと思うようになってしまった。

境遇が似ているからかも知れない。
稼ぎの悪い父と愛情の薄い母。荒木の家の収入はまやの家よりはあるが、リストラされて現在父は求職中だ。
家が苦しくて居づらくて…この重さも、どこか共通のものを感じる。


二人は夜遅くまでファミレスに居座り、それから店を出た。
今日は掲示板を見て、取引したいとメールしてくる奴はいなかった。これで最後の取引から一週間が経ったことになる。
最初は下着売りや食事だけでも数人からメールが来たが、やはりもっと過激なことを望む奴らが多く、最近は会う約束をしても来ない奴や、メールだけして来て、取引する気は無い冷やかしばかりが多かった。
二人は稼ぎが無くなり、掲示板に書き込むパケット通信料金だけが膨らむ事態。

肌寒い秋空の下、二人は公園のベンチに座っていた。荒木の横顔が赤くなる。寒いのだろうか、そっと頬に触れれば、荒木が微笑む。

ギュッと胸が締め付けられる。

これは、恋だろうか。
荒木に対する思いが何なのか、まやには分からない。キスをしたい、抱き合いたいとは思わない。
だけど荒木が他の男と付き合うのは見たくない。ずっと傍にいたいと思う…。

「好き…」
「…え」
「あたし、舞ちゃんのこと、好きかも」
まやは真剣な眼差しで荒木を見つめた。
どういう意味だろう、荒木はまやの告白をすぐには飲み込めず、首を傾げる。
「うん…ありがとう」
だが頷き、その言葉を受け入れると向き直った。

「家帰りたくないな〜。パパが家にいるから口うるさくてさ、バイトは何やってんだとか友達と何処行くんだとか、そんなん言う暇あったら仕事探せっての」
荒木は溜息を吐く。まやは苦笑いをした。
「うちもおんなじだよ」
すると荒木は目を見開き、立ち上がった。
「ねぇまやちゃん、バックレする?」
「え?」
「バックレ。もう本番とかその手前くらいの要求メールしか来ないじゃん?だから何でもしますーって書き込んでさ、メール来たら会う約束して、会って先払いでお金貰って、それから逃げんの」
「危なくない?つーか先払いなんて上手くいく?」
「逃げればいいんだもん大丈夫!信用したいから先払い出来る人限定って書き込んでさ。だってキモイ奴らに本番とか有り得ないじゃん?」
ね!と悪戯っ子のようにウインクする荒木に対し、まやは少し考えた後、渋々頷いた。



**********

「キキちゃん、リリちゃん、今日は宜しくね」

午後七時過ぎ。
ニヤニヤと笑いながら、肥えて脂っぽい男が駅前で並んでいた二人に近付いてきた。
「宜しくねー」
リリこと荒木は男に微笑み、先頭に立ってカラオケ店に進む。男は後ろを歩くキキことまやに話しかけた。
「今日はお口でしてくれるんでしょ」
「まぁね」
馬鹿な男はこれから何が起こるのかを知らない。カラオケ店に着き、三人は個室に入ると適当に選曲してボリュームを上げた。

「じゃあ先払いね」
「あ、ああ」
男は嫌々ながら、荒木に二人分の二万を渡す。
「トイレ」
するとまやは席を立つ。突然のことに男は不信感を抱くが、荒木がいるので咎めたりはしない。

「じゃあ、リリちゃんからお願い出来る?」
一息つき、男がファスナーを下ろそうとすると、タイミング良く荒木の携帯が鳴った。
「ちょっと待ってね…もしもし」
荒木は携帯片手に男に謝りながら、個室を出て行く。
そしてドアから見えない位置まで移動すると、勢い良くダッシュして店を出て駅に向かった。



「はぁ…はぁ…はぁ…」

膝に手を付き、肩で息を繰り返す。
そんな荒木の肩をトントンと叩き、隣にやって来たまやはニッと笑った。
「バックレ成功」
「イェーイ!」


******

『二人共どこ行ったの?
まさか騙されたんじゃないよね?』

「アハハハ!ダッサ!コイツ騙されたの分かってないし〜♪」
男を騙した場所から二駅離れたファミレスにて、二人は雑談していた。
「サブアド変えればもう連絡取れないしね」
「うんうん!また掲示板に新しい名前で書き直そうよ。もし又こいつっぽい奴からメール来たら無視すればいいしさ。万一こいつだったとしても、会う前に遠くから確認すればいいし〜♪」
荒木はカチカチ携帯でメールを打っている。
「…ねぇまやちゃん、本番目当ての奴からメール来たんだけど、こいつもバックレない?先払いでお金貰ったらさ、待機中の片方がまた電話するの。それでちょっと友達に渡す物あるから待っててって鞄預けてさ。鞄預ければ相手も絶対戻って来るって信頼するじゃん?でもその鞄はダミー、みたいな」
「…うん」


程なくして、二人は地元の駅に戻って百円均一で適当な鞄を買った。軽過ぎては胡散臭い為、錘となる缶詰めも買う。

ノリノリの荒木に危機感は無いらしい。まやは不安を抱きつつ、約束の時間まですぐ傍で待機を決めた。



******


「はぁっ…はぁっ…」

三万を握り締め、荒木は走る。
ホテル街で鞄を持ち、佇む男。荒木は一度も振り返らず、まやが待つカラオケボックスまで走りきった。

「舞ちゃん!」
「まやちゃんー!」
二人は抱き合い、急いで個室に入る。
10分、20分…経過するうちに、メールが増える。

『まだ友達と会ってるの?』

『いい加減戻って来てよ』

『桜ちゃん、騙したの?』

『鞄の中見たよ。騙したんだな』

『テメェふざけんじゃねぇクソガキが!』


男のメールは怒りを増していく。
カラオケ店から見下ろせば、怒った男は暫く駅前をうろうろして荒木を探していたが、やがて諦めたのかゴミ箱に鞄を捨て、駅に入って行った。

きっと帰るのだろう。
わざわざ仕事の後に離れた駅までやって来て、三万を払って要らない鞄を貰うなんて、惨め過ぎて笑いがこみ上げる。

荒木は直ぐにサブアドレスを変え、男からの連絡を絶った。

「あ、こいつ掲示板に"桜ってガキには気をつけろ"とか書き込みしてるよ〜馬鹿じゃん、名前なんて変えるのにさ」
携帯電話の画面を見ながら、荒木は口元に笑みを浮かべる。
「バックレって稼げるね〜!もう二万五千円稼いじゃった!これからもバックレしようねまやちゃん!」
「…うん」
まやも掲示板にメニューリストを書き込み、パタンと携帯電話を閉じた。







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