眠り姫は伽の夢を見る 御伽噺では眠り姫は王子の口付けで目が覚めたという。 しかし、姫の夢の方が彼女の現実だとしたら? 姫が夢の中にいたいのだとしたら? 王子はそれでも彼女を目覚めさせようとするのだろうか? カラカラと真っ白な引き戸を開く。 全てが真っ白な部屋の中に、唯一色を持っている彼がベッドに横たわって静かに寝息をたてていた。 今では痛々しいくらい細くなってしまった腕に栄養剤が流し込まれている。 僕はそっと近づき、伸びてしまった髪を撫でて、いつもこう呟く。 「キョンくん…。おはようございます、もう朝ですよ…?」 呟いた所で、彼は相変わらず固く目を閉ざしたままで。 …僕は何度この行為を繰り返したのだろうか。 北高のすっかり馴染んでしまったブレザーを来ていた頃。 ある日を境に彼が朝を迎えても、眠ったまま目を覚まさなくなった。 最近、気が付くとどこでも眠りこけていて何だかよく眠っているなとは思っていたが、目を覚まさないと聞いた時、以前聞いていたまた別の世界に行っているのかと考えた。 しかし、そんな兆候も世界の変革も見られないそうだ。 医師側も外傷も何も見られない彼の状態にお手上げのようで、過度のストレスではないかと言う。 本人が目覚めようとしない事には何にも出来ないという見解だった。入院させて様子を見る事となったが…、過度のストレス? 今は涼宮さんの思い付きにもSOS団の活動にもどこか楽しそうにしていたのに? 僕たちは何も見いだせないまま、悪戯に時だけが過ぎていった。 そしてその一週間後、ちょうどSOS団で見舞いに訪れていた際、彼は静かに目を覚ました。 しかし皆が喜ぶ中、彼は虚ろな瞳で天井を見つめたまま、眠いと小さく呟いて再び目を閉じてしまった。 そんな状態が何回も続き、徐々に彼が目を覚ますまでの感覚が長くなっていった。 そして、今日も僕はこの病室に訪れる。真っ白な空間は彼の時間を止めているように思えて。 キョンくん…、早く起きないと僕たち先に大学まで卒業しちゃいますよ…? 微かに震える手で、ほっそりとした手をギュッと握りこんだ。 ふと、僕の手を握り返す感覚を覚えた。 顔を上げると、呼吸だけしていた身体が小さく身じろぎをする。そして、静かに瞼が開かれる。 いつものようにぼうっとした瞳で天井を見つめていたが、ゆっくりと彼がこちらに視線を向けた。 今まですぐに眠っていた彼には初めての兆候だった。 「…っ!…おはようございます、キョンくん。もう朝ですよ…?」 「…こぃ…ずみ…?」 小さく呟かれた声は、久しぶりに発せられたせいで掠れていて。 しかし、紛れもなく聞きたかった彼の声だ。 「はい…、早く起きないと学校に遅れてしまいますよ…?」 僕は平静を装いながら、高校生の頃に培った笑顔を浮かべた。そうでもしないと今にも泣いてしまいそうだったから。 しかし、彼は状況が掴めないのか僕を見たままぼうっとしていて。少し経ってからうっすらと唇を開いた。 「…俺、古泉の夢…見たんだ…。部室で…さ、2人でオセロしてて…。…なんかさ、すげー、楽しかった…」 「そうですか…。それは良かったですね」 薄く笑う表情が本当に幸せそうで、僕もつられて笑顔を浮かべた。 彼は言葉を続けようとするが、心なしか不安そうにしていた。 「それで…、側には女子がいたんだが…。…誰だったっけ…?」 「…女子?」 「あぁ…、黄色い…リボンをしてた…。俺、知ってる…?」 僕は彼に気づかれないよう唇を噛み締めた。…まさか…、彼は…。 「…その人も、あなたが学校に行けばわかりますよ? ですから、もう…起きましょう?」 これ以上眠ってしまわないように、僕は内心動揺しながらもできるだけ穏やかに話しかける。しかし、彼はうん…と小さく返答したが、瞼が段々落ちてきていた。 「ごめ…、俺…ねむ…ぃ。…おかしい、な。さっき…起きて…」 既に眠気で口を動かす事も辛そうなのに、彼は一生懸命僕に話しかけようとする。 「あと…な、おまえと、女子と…映画撮ったり…、山に、行ったり…。…なんか、たのし…かっ…たな…」 語尾が弱々しくなりつつも、彼は嬉しそうな表情を浮かべていた。 「わかりました…。一度眠って、再び目を覚ましたら、また聞かせてください。あなたの夢の話を…」 「…あ…ぁ」 約束な、と唇だけで言葉を紡いで、再び目を閉じてしまった。 穏やかな寝息が静かな病室に響く。 …彼が夢だと思っている内容は、彼の記憶なのだろうか。 このまま少しずつ忘れていって、最期にはこの病室のように真っ白な彼になってしまうのだろうか。 いつか、彼が目を閉じたまま二度と目覚めないのではないかと思ってしまい、怖い…。 …ねぇ、あなたは夢の中では幸せですか? 僕はまだそこに居ますか? 答えが返る事は無く、僕の瞳からは涙が溢れて止まらなかった。 眠り姫は伽の夢を見る * 眠り病のキョンです。何だか古泉がかわいそすぎる…。 ←→ [戻る] |