高校生 十三 その日の堺は、何か沈んだ様子だった。偶然廊下ですれ違った純は、挨拶を交わしながら堺の様子に気がついた。 「どうしたんですか、優紀さん...」 「どう、って?」 「なんか、元気が無いから」 堺はふっ、と笑った。その目元は疲れているように見える。堺が笑った顔を見た純は益々心配になった。 堺がこんな顔をするなんて珍しい。 ちょっと黙って純を見た後、 「少し、つきあってくれないか」 と堺は言った。純は何も言わず頷いた。 静かな所へと無意識に足が動き、いつの間にか図書室に来ていた。人気は少なく、しんとしている。一番後ろの方の窓辺に二人は寄り掛かった。 堺は暫く外を眺めていた。彼は普段大体人に囲まれているような少年だが、たまにこうして押し塞いだ雰囲気でたった一人でいる時がある。こうしていても、彼が話し始めるまでは時間がかかる。 純は声をかけることもなく、彼が話すのを待っていた。 「暑いね」 堺が言った。 図書室の窓は開け放たれ、微かにカーテンが揺れるものの、少しむっとする感じがある。激しい日射が堺の顔を照らしているが、彼は目を細めることもしなかった。 「俺はね、休みの前はちょっと落ち込むんだよ」 視線を下へ向けながら彼は話した。 そういえば、確かに堺は休みの前必ず元気がない。委員の仕事が忙しくなる時期だから、ただ単純に疲れているだけなのかと今まで思っていた。 「どうして...?」 「さあね。あまり家にいたくないのもあるし」 堺は自嘲気味に笑った。 彼が家族とあまりうまくいっていないということは、少しだけ知っていた。両親と折り合いが悪いらしく、何度か家出をしたこともあると言っていた。 はじめそのことを聞いた時は、意外ではあったが驚きはしなかった。堺を知っている者は、きっと堺が家出をしたことがあるなんて聞いたら驚くだろう。 だが純は、真摯に、堺のことを知りたいと思っていたのだ。 「休みってさ、一区切りつくことだろ。なんだか憂鬱になるんだ。特に、今年が最後だしな」 堺はぽつりぽつりと言った。 「...きっと、寂しくなる。優紀さんが卒業してしまったら」 にわかに、純にも寂しい気持ちがした。堺はこちらに静かな笑みを一瞬見せた。 「本当に?」 「本当に」 「嬉しいな」 純は僅かに顔が熱くなった。 しかし、堺の顔は暗くなり、また視線は下へ戻される。 「俺は、少し恐いんだよ。時間が経つことが」 「恐い?」 「今の時間が好きで、愛しくて、俺の全てだ。でも大人になれば、今ここにある事柄から、ずっと離れたところに俺は行ってしまう。 忘れてしまうのが、恐いんだ」 堺の手が純の手に触れた。純が咄嗟に身を揺らすと、「少し貸して」と堺は言って、指先を柔らかく握った。 純は握り返すこともなく、指先を緊張させる。堺の指は純の指先と絡み、純の爪を撫でる。彼の手は乾いていた。純は自分の手が汗ばんでいくような気がした。 「優紀さん」 「純、俺はね、今感じている全てのことを、忘れたくないんだ。 俺が美しいと感じたものや、俺が愛しいと感じたもの...... 君を、こんなにも好きだと思うこの気持ちを、いつか忘れてしまうのが恐い。 ...君が好きなんだ」 切実で、今にも泣いてしまいそうな酷く悲しげな顔をした。純はひたすら胸が苦しくなった。 好きだと言われることの、切なさと苦しさ。目の前の美しく慕わしい少年の、ひたむきな感情に押し潰されてしまいそうだ。 どうして、そんな顔ができるのだろう。 すっと堺の手が離れていった。 「ごめん、俺少し変みたいだ」 彼は再び窓の外を見た。純は握られていた指先をそのまま動かせなかった。 暫く二人は黙ったままだった。蝉が哭いている。どこで、そんなにも悲しい声を震わしているのか。姿の見えない声は、純の耳をせつなげに突いた。 「優紀さん...俺......」 純の口が止まった。正確には、塞がれていた。堺の唇によって。 前次 [戻る] |