高校生 七 「幹田、一体どうしたん」 純は驚いて伊於に声をかけた。彼は体を揺らして顔を上げ、純のことを眠たげな目で見返した。 するとにこりと緩んだ笑みをこぼし、純はどきりとした。純の姿だと確認したことで、無意識にこぼれた彼の笑みは言い様がなく優しかった。 「あー、寝てた」 伊於は猫のごとく体を伸ばして欠伸した。 「誰か待ってたんか」 「誰って...佐原のこと待ってたんだけど」 考えてもいなかったので純は驚くばかりだった。そんな約束すらしていなかったのに。 「なんで」 「なんか、今日は一緒に帰らないかなあって思って」 伊於は機嫌よさげに言った。単純な気紛れで、こんな長い時間を一人きりの教室で待っていたと言うのだろうか。 純一人のために。 しかし純は一人じゃなかった。 堺が戸口で純の名前を呼んだ。伊於もそちらへ目を向ける。 堺は目立つ立場の生徒なので、大体の生徒は彼の顔くらいは知っている。集会か何かで彼が演壇に立っているのを必ず一度は見ているはずだ。 だが伊於は堺を見ても見覚えなど無かった。 「優紀さん」 「純、彼が...」 「あ、そうです。さっきの」 二人の会話についていけない。何故純が三年生とこんなに親しげなのだろう。名前で呼ばれるほどに。 堺は無表情で伊於を見た。伊於は関心なさげに彼に注意を払わなかった。 「俺は堺優紀。委員で純と一緒なんだ」 堺は思い立ったように笑みを浮かべ、愛想よい態度を示した。 伊於は彼を一瞥して、少しの間黙った。 「佐原、俺帰る」 「えっ、ひとりで?」 「一人で。じゃあまた明日」 純が呆気にとられている内に、伊於は堺の横を滑るように去っていった。堺は暫し伊於の背中を無言で見送り、純に 向かって肩を竦めて見せた。 「どうして急に...?」 「さあ、気紛れな奴みたいだな」 堺は伊於のことを知っていた。伊於は異色の存在なのでよく目立っている。しかも神内の隣にいたこともあって有名だった。 「純、あいつと友達なの?」 堺は真っ直ぐ純を見た。 「友達...というか......、結構好きなんです。あいつといるの」 「そうか」 すると堺はそれだけ言って校門を出るまで何も喋らなかった。 校門を出ると、普通に会話しながら並んで歩いた。純は伊於のことが少し気になっていたが、大したことだとは考えなかった。伊於が気紛れなのは今に始まったことじゃない。 それより堺のことが気になった。彼は会話の折々で、伊於のことを訊ねた。 堺は、実際独占欲が強いほうだ。だとしても伊於のことなんて、気にしなくていいのに。 伊於は一人で帰路を歩きながら、胸に残るもやもやが一体何であるのか分からずに考えていた。 あの三年生が純の名前を親しげに呼んでいた。純も、「優紀さん」と呼んだ。普通先輩後輩同士はそんな呼び方しない。 人が持つ感情に敏感な伊於は、堺が抱く純への感情が普通ではないことをすぐに覚った。 普通じゃない? 一体なにが? その場でどうしようもない不快感が募った。 そして、どうしてこんなに不快なのか全く思いつかない。ただ、堺を見ている内不快になっていく自分の心に気がついた瞬間、逃げたいと思った。 こんな心の動き方は今までに知ったことがない。 何から逃げようと思ったのだろう。 そう考えると、すぐに純の顔が浮かんできて、その度に思いを掻き消すのだった。 前次 [戻る] |