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結論


指では消えない涙の跡は、口付けを落としたところで消えないけれど。
軽く触れて離れた、その一連の行動に早苗はもちろん、私も驚きを隠せなかった。

…一体なんのつもりだ、立花仙蔵?

己に問うのは形だけだ。
心の奥で、冷静な自分が『認めてしまえ』と囁いていた。

「…な…な…なーーーーーーっ!?」

言葉にならない叫びを上げて、早苗が右手を振り上げる。
甘んじてその掌を左頬で受けようかとも思ったが、一瞬の迷いの後で彼女の右手を受け止めた。

「ちょっ、あんたっ!」

また何かをされると思ったのか、早苗が警戒の色を見せる。
それに構わず、掴んだその手を己の胸へと押し付けた。

「…え…?」

きっと早苗の掌には、意外な程に強く、早く響く鼓動が伝わっているだろう。
それを思うと顔に熱が集まるが、今は気にしてはいられない。

伝えねばならない事がある。

驚きの表情を浮かべて私を見る早苗。
その視線から逃れたい衝動を理性でねじ伏せ、私はその瞳を見つめ返した。

「…どうやら、私は本気のようだぞ?」
「…なんで疑問型なのよ…」
「こんな事は初めてだからな、自分でもよくわからんのだ」

だが後先考えずに口付けをするなど、今までの自分では考えられないことで。
おそらく、それが答えなのだ。

「こんな衝動にかられた事など、ない」
「そ、そう…」

掴んでいる手に力を込めれば、早苗の頬がほんのりと染まる。
どうやら嫌がられてはいないようで、内心で安堵の息を吐いた。

相手の顔色一つで安堵するなど…それすらも、今まではなかった事だ。

戸惑いは一瞬。
認めてしまえば、些細な事に過剰に反応する自分を楽しむ余裕も生まれてくる。
私は小さく笑うと、彼女の頬に再び指を滑らせた。

「さっきまで、私は確かに不機嫌だったはずなんだがな…」
「…へ?」

私の指の動きと、距離の近さで余裕などないのだろう。
早苗の視線が、私の顔と指を行ったり来たりしていた。

「ここで、こんなに良い気分になるとは思わなかった」
「それは…良かったわね…」

撫でられることに慣れたのか、それとも拒むことを諦めたのか。
されるがままの早苗に、愛しさが込み上げる。

「お前のおかげだ」
「………私の方が、話を聞いてもらってたはずなんだけど…」

釈然としない、しばらくそんな表情を浮かべていた早苗だったが、やがて諦めたように息を吐くと私の顔を覗き込んだ。

「ねぇ、名前は?」
「名乗っていなかったか?」
「名乗られてたら、聞かないわよ」
「それはそうだな。立花仙蔵だ」

くすくすと笑いながら告げれば、彼女は確かめるように私の名を呟く。
聞き慣れたはずの自分の名がこんなにもくすぐったく感じられるのかと、私はまた新鮮な驚きを感じていた。

「…立花、さん」
「仙蔵だ」
「いや、いきなりは…」
「慣れてから変える方が面倒だろう」
「いや、でも…」
「いいから呼んでみろ」
「せ、せん…」
「……せん?」
「………ぞ」

言いにくそうに、此方の様子を窺いながら呼んだ早苗を見る限り、全く脈がないわけではないのだろう。
口角が自然と上がるのを感じながら、私は上機嫌で彼女の頭に手を置いた。

「まぁ、今はそれで許してやろう」

彼女は機嫌を悪くしたように、つい、と私から視線を逸らす。
だが実際は照れているだけだという事は、疑うべくもない。

「私、普段はそこのうどん屋で働いてるんだけどさ…」
「…ああ」
「今度、食べに来てよ。奢るから」
「いきなりだな」
「お陰さまで、ちょっとは元気になれたから」

やられっぱなしは性に合わないのよ。

そう告げた彼女は立ち上がり、にっこりと微笑ってみせた。
始めて見たその笑顔は、文句なしに美しい。
思わず見とれる私の頬に、柔らかい物が一瞬触れる。
驚きに目を見開くと、早苗の笑顔が得意気なものに変わっていた。

「これも、洗って返すから」

手拭いをひらりと振って背を向ける彼女に、私は思わず呟いていた。

「なるほど、な…」

『やられっぱなしは性に合わない』

手拭いは洗って返し、
話を聞いてやった礼はうどんで、
頬への口付けもやり返す、というわけか。

クツクツと喉がなる。
目は弧を描き、口角は上がっているだろう。

「面白い。お前がその気なら、受けて立とうじゃないか」

やり返させはしない。
仮にやり返されたとしても、動じてなどやらない。
だが、それ以前に…

「やり返す余裕など、なくしてやろう」

ああ、心が弾む。

私は立ち上がり、策を練る為に学園へと急いだ。

いつ会いに来てやろうか。
早苗は、果たしてどんな顔で私を迎えるのだろうか?

そんな事を考えながら、ふと最初に目にした泣き顔を思い出し、またクスクスと笑った。

強烈に記憶に残る、あの泣き顔。
どうやら、私はそれが気に入ったようだ。

『その泣き顔に一目惚れ』

厄介な奴に見初められたと、後悔してももう遅い。
逃してやるつもりなど、私にはないのだから。

覚悟しておくんだな、早苗。




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あきゅろす。
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