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日課
目を開くと薄汚れた天井が目に入る。それと同時にカーテンの隙間から差し込む朝日が眩しくて、デンバットは開いたばかりの目をもう一度閉じてしまった。

(…朝か…)

僅かに開いた瞼で陽光を適度に遮りながら、軋む体を反転させ時計を確認する。六時。七時に家を出る彼には丁度良い時間だった。掛布団を捲りベッドを降りると、いつも通りの身支度へ向かう。

デンバットが現在の会社に通うようになって数ヶ月。入社当初のぎこちなさも消え、社員達とも打ち解けてきた。先行きの不安も上司との擦りきれた関係も無い。前の会社を自分に合わないと辞めてきたデンバットは、この会社を選んで正解だったと思うのだった。

着替え、洗顔、朝食、歯磨き。全て滞りなく済ませたら、鞄を手にして玄関へ向かう。

「…っと、いけね」

その前に、手にし忘れている物があったのだ。
テーブルの上に置かれた食パンの袋、その中から一枚だけをつまみ上げて別の袋へ。口を弛く結ぶと鞄の中へと滑り込ませた。

「これでよし」

口角を僅かに持ち上げると、今度こそ玄関へと向かった。

+

最寄りの駅に歩きついたデンバットは、改札に定期を滑り込ませ階段を降ると、アナウンスに次いで到着した急行電車に乗り込んだ。
人混みに揉まれながらも意識は降りるべき駅へ向いていた。
間に合うかどうかを心配しているのではない。デンバットの会社は、七時半に出ればある程度の余裕を持って間に合う距離にある。
…だから元は彼もその時刻に家を出ていたのだ。
あの日までは。

プシュウ、ダァンとドアが開くと大勢の人が溢れ出す。社内に取り残されてしまわないよう、デンバットも体を強く扉の向こうへ押し出した。

降りた人の流れから離脱すると辺りを見回す。日課となっている事を行う為だ。

自販機の横、階段と床の隙間を覗き込むと、それは居た。

「よ」

小さく挨拶するとふわふわの羽毛に包まれた体を持ち上げて、目をくりくりさせながら首をかしげる。都心の駅には似つかわしくない、真っ白な色をした鳩だった。
手を差し出すデンバットの方に歩いて来るが、片足を引き摺っている。


デンバットがこの鳩を見付けたのは一ヶ月程前。その時には既に鳩の右足は指が折れ曲がった状態だった。人波を避け切れず踏まれでもしたのだろう。只でさえ目立つ白色に加えその怪我では生き抜くことは難しい。そんな訳で大分弱っていた鳩を偶然目にし、何の気なしにこっそりとこの駅に居る他の鳩達に気付かれないように、手持ちのパンの欠片を与えてみたのが始まりだった。
すぐに次の電車に乗る為に歩き出したデンバットだが、振り返ると鳩がちょこちょこと付いてきている。思いの外人懐こい態度に「…だからお前踏まれんだよ」と苦笑しながら元の見付かりにくい場所に戻り、再びパンを千切っては投げ。
結局全て撒いてしまったのだった。

その後時刻を確認するとかなりのタイムロスで会社に間に合うか微妙な所で分からなかった。とにかく急がなくてはと、やはり付いて来ようとする鳩を酷なようだが走って振り払い、駅員の静止を申し訳なく思いながらも聞かず、発車間際の電車に駆け込んだ。会社に滑り込む時も、同じようにギリギリだった。

次の日、デンバットは少しだけ早めに家を出た。昨日の場所を覗いてみるとそこには相変わらず白い塊。鳩は彼に気付くと羽を少しだけ震わせて、側に寄ってきた。


以降すっかりなつかれてしまったデンバットは、毎朝餌を与えている。もふもふしたものというのはどうしてこう愛らしいのだろうかと、小さな欠片をつつく鳩を見る。毎朝鳩に構う事で一日頑張れる気力が湧く気がした。その動作に何度癒された事か。

「…疲れてんのか?俺…」

頭を掻くと、与えた分が既に無くなっている事に気付いた。
袋から新しく取り出そうと動いた手に、突然羽ばたいた鳩の重みが加わった。

「あーもう、焦んなよ」

のし掛かる鳩を地面に戻す。鳩はデンバットの前で首を傾げると、足元まで寄って身を刷り寄せた。
…かわいい。
と、思ってしまう。
もう手には乗って来ないようだ。物分かりの良さに感心させられる。
そういえば会って二日目の去り際も、もう追ってきたりしなかった。翌日もデンバットが来ることを確信している様子で、その場に止まって視線だけを向けていた。

「…賢いよなお前…」

確か鳥に知能は無かった筈だが。試行錯誤にしては早すぎやしないか?
疑問に向けていた意識はズボンの裾を嘴で挟んで引っ張る鳩に呼び戻された。

「、はいはい…」


これがデンバットと白鳩の朝の習慣。
餌をやり終えたデンバットはいつもの通り会社へ向かう。

彼の背中を見送りながら、鳩はくるる、と喉を鳴らした。


何処か微笑む様な、そして何かを決めた様な、しなやかな声だった。



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