紅と麦の物語



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十二国記小説
棚からぼたもち
体が重く熱い。
おそらく熱があるのだろう。
先ほどから感じる寒気に、まだ上がるだろう熱を煩わしく感じる。

仙となって風邪などよほどのことがない限りこじらせはしないのに、
連日続く激務と睡眠不足、不摂生に肌寒い下界への出張で体調をくずしたのだろう。


筆を走らせ、ずきずきと重く痛い頭を我慢しつつこっそりと溜息をつく。

女性のように化粧をできれば顔色も隠せるだろうが、
なんせ自分は男なので青白い顔色は隠そうにも隠せない。

浩瀚をよく知る者ならば、具合がよろしくないことには気が付くだろう。
しかしだからといって簡単に休めるほどの余力がこの国にはまだないことを、周りの者も知っている。

だから気の毒そうに見守るしかない。
今はそれすら煩わしい。



本日何度目かの溜息をつき、体の熱を少しでも外にだそうと試みる。

そろそろ薬でも飲もうかと、腰を浮かせた所にザワザワとした音が耳に入った。

トントンと扉がなり、官吏が勢いよく駆け込んできた。


「何事だ?」

特に焦った風もなく尋ねる。
昔から、焦った人間や怒りに満ちた人間を前にすると、
不思議と冷静になれる性質だった。

「主、主上が!!!」

ゼエゼエと息を切らしながら話す官吏に、浩瀚は眉をひそめた。

主上がどうされたのか?

さすがに気になる。

「主上が猫を助けるとおっしゃって、木に登られたのです!!!
ですが枝が折れかけていて、しかもかなり高い木ですから落ちたら骨折するかもしれないと助けようにも助けられず!!!」

眩暈がひどくなりそうだ。
ほんの少し吐き気もしてきた。

何もこのような時に限って・・・

なんせ今は景麒は瑛州にいるうえ、使怜は冗祐しかつけておられなかったはず。

「で、私ならうまいこと下ろしてさしあげられると?」

冷たく問うと、いらだちを隠していることに気づいているのかいないのか、
こくこくと勢いよく首を縦に振る官吏にますます眩暈がしそうな気分だった。





「浩瀚様!良かった、何とかしようと思ったのですが、
俺や虎ショウが登ると折れてしまいそうで・・・」

心配そうな顔の二人を軽くいなし、静かに木を見上げる浩瀚は、
小さく首を傾げた。

「随分と貴重な眺めですね。」

視線の先にはどうやったらそれほど高くまで登れるのかと思うほど高い枝に座り込んだ少女の姿。

「うるさい。折れそうでおりづらいんだ!!」

と叫ぶ少女の腕には灰色の猫がいる。

やれやれと首を振り、木に手を這わす。

頑丈な幹に見えるが、不運にも主のいるあたりが腐って、
太い枝の根元が心もとない。

猫を助けるあまりにそちらにまで意識が向いていなかったのだろうなと、少し呆れた思いで見上げる。

「うぅ。すまない浩瀚。」

弱弱しく謝る少女に、思わず仕方ないなと思う。

「危ないですが、強硬策にでましょうか。」

まず手始めに・・・

「猫を手放してください。」

さらりと言い放つ浩瀚に、陽子は目を丸くした。

「だ、だめだ!
落ちたら死んじゃうじゃないか!」

「猫は柔軟性がありますし、三半規管の働きで頭部を水平にするための修正角度を割り出すことができます。
前脚を顔のあたりに持ってきつつ、上半身を地面に対して水平になるように捻るので、次に脊髄の神経が下半身
に修正角度を伝え、下半身を捻り全身を水平に戻すことができるのです。
加えて・・・・」

「長いよ!!!」

長々と説明を始める浩瀚。
延々と続きそうになる説明を何とか制す。

周囲の者達も大きく首を縦に振っている。

「要するに、この程度の高さでしたら猫は無傷で着地できる可能性が高いということです。」

「本当だな?」

「信用なりませんか?」

しれっと聞き返す浩瀚だが、この男がこのような状況で嘘をつくとも思えない。

「分かった。ごめんな。ちょっと我満しておくれ。」

ぎゅっと猫を抱き寄せる陽子に、恐らく心配げに様子を覗っていた官吏や女官達は
「おい猫、そこ代われ。」
と思ったことだろう。

ふわりと宙に浮いた猫は、途中で体を捻り、
尻尾でバランスを整え見事着地した。

浩瀚がすかさず猫を拾い上げ、足の状態を確認するが、
とくに問題はなさそうだった。

「大丈夫ですよ。」

陽子に告げると、ほっとしたように息を吐く。

「では主上、両手が空いたのでもう大丈夫でしょう?」

桓タイが安心したように言う。
虎ショウもようやく笑顔を取り戻した。

「ほら、
とっとと降りてきなさい。」

妙に威圧的に言う浩瀚に、陽子は、というより、
周りの者達皆冷汗をかいた。

「お、怒っているのか?」

その言にはにこりと微笑んで黙止を決め込む。

正直恐ろしい。

ゆっくりと幹に手を伸ばし、別の枝を掴む。
冗祐が付いているから、体は自然と動いてくれる。

だいぶ地面が近づいてきたとき、「危ない!」と頭の中で冗祐が叫んだ。

「え?」

と思う間もなく体は宙に投げ出されていた。
太く頑丈と思っていた枝は、風化して中身もボロボロだったのだ。

悲鳴が聞こえる。
スローモーションのように目の前が反転した。
思わず身を丸め、衝撃に備える。

地面に激突した割には痛みは少ない。
おそるおそる目開ける。

しっかりと支えているのは太い腕で、
茫然と目を見開く虎ショウと目が合う。

桓タイは中腰で制止しているし、女官や官吏は口をあんぐり開けたまま呆けている。


この時一番不幸だったのはこの国の冢宰だろう。

「浩瀚!?」
痛そうに呻く声に皆が冢宰を、いや、地面を見下ろした。


「こここここうかん様!!!!」
桓タイがものすごい勢いで駆け寄り、顔を覗き込んだ。

「浩瀚!大丈夫か!?」

地面に倒れこんだ浩瀚を、皆が心配そうに見つめる。

起きる気配のない浩瀚。
大変だ!医者を呼べ!と声がする。

桓タイが腕に抱え、近くの仮眠室へ運び込む。
陽子は虎ショウの腕からぴょんと飛び降り、急いで後を追った。

未だ呆然としていた虎ショウは、肩に件の猫がよじ登っているのにも気が付かずにいた。





「俺が、俺の腕が浩瀚様に当たってしまったんです。
俺が悪いのです!!!!!」

悲嘆にくれ、地面に額を打ち付けながら涙を流す桓タイを誰も攻めはしなかった。

医者の診断では、気を失った原因は脳震盪だが、
今もなお寝込んでいるのは風邪のせいだという。

「いえ、俺が悪いんです。
腕がぶつかるなんて!
浩瀚様にもぶたれたことなんてなかったのに!
俺はどう詫びたら良いのですか!!!!」

「とりあえず、静かにしたら???」

祥瓊の冷たい突っ込みにも気にする余裕はないのだろう。

オンオンと泣き崩れる桓タイを、陽子は煩げに見つめる。

「お前は悪くないよ。
助けようとしてくれて浩瀚が巻き込まれたんだろ?
事故だよ事故。」

「なかなか見ものだったわよ。
大の男が三人も、馬鹿みたいに驚いた顔して貴女を抱きとめようと見上げて。
ほんと、少しは反省なさい!!!!」

ドカンと落とされた雷に首をすくめる陽子。


おまけに、
「・・・じゃじゃ馬娘。」


と、苦し気な息使いの合間に聞こえた言葉に、陽子はピキンと固まった。

「じゃ、じゃじゃ馬で悪かったな!!!」

ようやく目を覚ましたのかと浩瀚を見やるも、
未だ苦し気に眠り続けている。

「「寝言?」」

皆の言葉がシンクロした。

「浩瀚様が寝言!
ああ良かった。生きてらっしゃる!」

桓タイは今度はオイオイとうれし泣きだ。
もうそっとしとくわよと、その体を無理やり引きずる祥瓊が、実は一番強いのではないだろうか?

皆が一様に退室した後、残ったのは虎ショウと陽子と猫だった。

猫は浩瀚の腹の上で大あくびしている。

虎ショウは陽子に本当にけがはなかったのかと何度も確認し、
部屋の外へ出た。

残った陽子はそっと小さな掌を額に乗せた。
ひどく熱かった。

ひんやり濡れた布巾をのせてやり、頬を撫ぜる。

「主上?」

かすれた声に、陽子はほっとした。

「ああ、ようやく目が覚めた?
水飲むか?どこか痛むか?」

矢継ぎ早に問う陽子をじっと見据え、
「お怪我は?」
と尋ねる浩瀚に陽子は呆れた。

「平気だよ。本当にすまなかった。」

良かったと、裏表のない笑みを浮かべる浩瀚に陽子はドキリとした。

「そ、それより、水飲む?
薬もあるからついでに飲んだら?」

思わずつっけんどんな言い方になったが、浩瀚は素直に頷いた。

苦し気に身を起こすのを手伝う途中、ぴたりと動きを止めた浩瀚に陽子は訝し気な表情をした。

「猫・・・・。
無事で良かったな。
だが、何故私の腹の上に?」

不思議そうな視線は猫に向けられている。

「温かくてちょうど良かったんじゃないの?」

ツンツンと頭を撫で、仕方がないと苦笑いする。


「ほら、薬を飲まないといけないからお前はこっちにおいで。」

陽子の腕に抱かれた猫を、ほんの少し微妙な表情をして見つめる浩瀚。


「主上、猫とて油断なさいますな。
もし桓タイと同じ半獣の男でしたら、貴女は今男を抱きしめていることになる。」

急に意味不明なことを言う浩瀚に、これも熱のせいかと、
何やら面倒なことになっていると焦る。

「半獣ならこんなに小さくないだろ。
これはどう見ても猫だよ。楽俊だって大きいネズミだったよ?」

「いえ、それは人間に違いない。
こちらに寄越しなさいませ。」

にゅっと手を伸ばす浩瀚に、陽子は早く逃げろと猫を解放する。

素早く浩瀚の口に薬をねじ込み、むせている瞬間に思いっきり水を飲ませた。

うぐぅと、らしくない声を出してゲホゲホと身を丸める。

そのまま胸を押して布団に寝かしつける。
それでも身を起こそうと抵抗する男に、今度は陽子がその腹の上に跨った。

これには浩瀚も驚いたように目を見開いた。

「まったく、人をじゃじゃ馬などと言えないぞ。
早く寝ないとここをどかないからな。」

「これは、貴重な体験をしているのでしょうか?」

にやりと笑う浩瀚に、はあ???と答える陽子。

「もう少し前に、いえ、違います、座る場所はそのままで、腕はこの辺りに・・・」

何やら細かく注文する浩瀚に、きっと体に乗っかったせいで痛むから、こういう恰好をしてほしいんだと、
無理やり納得する。

腹の上に座り込んだまま、手は浩瀚の顔の真横あたりについているため、
顔が近い。

いいですね、うんとてもいい。

ぼそぼそと呟く浩瀚の体は、異様なほど熱をもっていた。

「どうでもいいけど早く寝ろよ。」

乱暴に冷たい布巾を額に乗せ直し、ヒョイと飛び降りる陽子をつまらなさそうに見つめる浩瀚。


「手、つないでやろうか?」

にやりと笑ってからかう陽子を、ぼんやりと見つめる浩瀚の目は、充血していた。
息遣いもまだ苦し気で、やっぱり熱が出てしんどいのだろうなと思った。

答える代わりに浩瀚の手は陽子の手をとらえ、弱弱しく握る。

意外な行動に驚いたが、先ほどから意外なことだらけだからあまり気にならなかった。

側にあった椅子を引き寄せ、大きな手をぎゅっと握って、
「早く良くなれ。」と囁く。

その声が届いたのか届いてないのか、すでに目を閉じた男は静かに眠りの中にいた。







おまけ


何故ついてくるのだ?

おまけに足元にすり寄られて官服が猫毛だらけだ。
女官にも笑われた。



少し距離をとってじっと観察する猫。
男が歩けば大きく伸びをして、数歩離れた後ろをトコトコとついてくる。

仕方ないと思い、女官に頼んで餌を見繕う。

皿にいれて差し出すと、嬉し気に頬張る姿は、
甘いものを食べて喜ぶ子供のようで可愛らしかった。

ふわふわの頭をちょいちょいと撫でてやり、仕方がないと苦笑する。

こうして見ると、瞳の色や自由気ままかと思えば、
浩瀚のやることなすことをじっと観察する真面目(?)さが陽子に似ているような気がする。

「お前、冢宰府つきの猫になるか?」

猫に話しても仕方がないだろうなんて、浩瀚が一番よく分かっている。



後に桓タイはこう語ったという。

「浩瀚様は俺も拾ってくださったんだ。
あれしきの小さな猫ちゃんなんて、朝飯まえさ。」

何故か自慢げに話す桓タイだが、虎ショウは少し残念そうだったという。

「俺、ああいう小さくてふわふわした生き物好きなんだがなぁ〜
何でうちに来てくれなかったんだよ。」

大きな体をしょんぼりと縮めていたという噂だ。


「浩瀚、これはどういう意味だ?」

猫を撫でながら問う陽子に浩瀚は、猫に会いに来たのか質問しに来たのかどちらだろうと思った。

よりわかりやすく、より覚えやすく注意しながら説明を始める。

少女と猫。
両方に見つめられ、その一人と一匹の目が面白いほど似ていて、
浩瀚は思わず吹き出しそうになった。

「やっぱり浩瀚の説明は分かりやすいね。
ありがとう。」

にっこりと笑ってもう一度猫を撫でる少女の、
その赤くて柔らかそうな髪の毛を撫でてみたいと、
不謹慎な欲求を必死で押し殺した。

「その猫、私の腹の上で寝ようとするのです。」

「きっと温かくて心地よいんだよ。」

ふわりと笑む少女を、浩瀚はじっと見つめた。

「私に乗っかって良い存在は貴女一人だけです。」

「はは!寝言は寝て言え。」



これは恋なのかそうではないのか。
分かりづらい思いが少女に届くはずもなく、
二人をつなぐ猫はじっとこの成り行きを見守るのだった。


fin.



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あきゅろす。
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