幼い相思相愛
朝靄もやっと晴れたかと思う早朝の庭で、***は一呼吸置いた。
はぁーっと息を吐けば、まだ少しだけ白く残る吐息がキラキラ光る。
すっと舞扇を構えると、後ろから呼ばう声がした。
「おはよう、***。」
少し幼さを感じさせる良く透き通った声。
几帳面に纏められた髪が朝日を受けて綺麗な光沢を帯びた。
「敦盛!おはよう!!」
***は振り返って、嬉しそうにあいさつを返した。
その笑顔がとっても可愛らしくて、敦盛はほんのりと頬を染めた。
「今日は早いな、いつもより。」
「うん、最近は昼間暑いでしょう?だから朝の時間に舞をすることにしたの。そうすればあまり汗もかかないし、
それに..」
「それに?」
ちょっぴり言い難そうな***を見て疑問に思った敦盛は、何気なく先を促す。
すると、***は顔を真っ赤にして悩んだあと、決心したのか敦盛を見て…
「あ、敦盛に..一番、最初に逢えるから・・・」
とだけ言った。
確かにどこにもありうる至極平凡な言葉だと思う。
でも好き同士の会話なら話は別。
だからこの言葉は敦盛をも真っ赤にするのには十分過ぎるもの。
案の定、敦盛は俯いて黙ってしまった。
「迷惑..かな?」
そんな様子の彼に不安を覚えた***は敦盛の顔を覗き込むようにして聞いた。
:迷惑:と云う単語を聞いた敦盛は、そんな事あるはずがない!と云うような感じでばっと、顔を上げた。
「そんなことはない。私も朝早くから***に逢えるのは嬉しい..」
「本当!?」
「あぁ」
「良かった。」
彼の言葉を聞いて***はみるみるうちに顔を輝かせ、敦盛の手を取って笑った。
そしてその時の敦盛の気持ちなど露知らず、赤くなる敦盛を尻目に***は安堵の言葉を洩らした。
『敦盛が嫌でなければ舞を見て貰えない・・かな?』
そう言われた敦盛は舞い始める***を見ていた。
ひらりひらり
花びらが舞うように
ふわりふわり
宙を歩くように
さらりさらり
流れるように
綺麗な線を描きながら
憂い顔。
その優雅な動きは
まるで揚羽蝶の飛ぶ姿
髪から指先から
何もかもが
ただひたすらに美しい
ぱちんと舞扇を閉じて一礼する。
その動きさえも見惚れる程で
『どうだった?変なところなかった?』
そう問われた敦盛だけれど、直ぐに反応出来なくて
「ぇ..あ、あぁ...とても」
「綺麗でしたよ、***。」
「え..?」
突如現れた声の主に2人は驚く。
敦盛は「綺麗だ」と云う言葉を紡ぐ前に先に言われてしまった。
***は大きな瞳をまんまるにして、彼の人を見れば、端正な顔に銀髪の青年がふふっと笑っていた。
「あ、重衡殿..おはようございます。」
「おはようございます。***、敦盛。」
重衡はにっこりと笑って挨拶を述べた。
この重衡と呼ばれた銀髪の青年は、その端正な顔と優しい性格から平家一門の宮中の的な人物である。
それと、***の義理の兄なのだ。
「重衡兄様!?何故こちらに?」
「花の舞が見えたのですよ。」
世間一般で綺麗な顔立ちとして有名な重衡に、たとえ兄妹だったとしても、頭を撫でられながら誉められたら誰だって少しぐらいは頬を染める事もあるだろう。
でも照れながら楽しそうに話す***と重衡に、敦盛は胸にチクっとするものを感じた。
「っ!!まだまだ兄様の足元にも及びません。もっと練習しないと..」
「では稽古をつけましょうか?」
「え、あ..えーと」
流れで稽古をつけるか、つけないか、と云う話になってしまったらしい。
重衡と敦盛の間で決めかねているのか、右往左往している***。
そんな姿に敦盛はまたチクっとしたものを胸に感じた。
そして2人のやり取りを見ているのが何故だかとても苦しくて、自分は居てはいけないような気がした。
「それならば私は先に戻っている。先生が重衡殿であれば上達もするだろう..」
「ちょっと待って!敦盛!!」
ふいっと身を翻してしまった敦盛に***は焦りを感じ、名前を呼ぶものの振り返ってはくれない彼にどうしようもない不安に駆られた。
「稽古は?」
「兄様、ごめんなさい!また今度お願いしますっ!!」
そう言って***は敦盛の面影を追って走っていった。
一方重衡は、姿が遠くなって行く***を見ながら
「ふふ、早く気付くといいですね..」
と、幼い2人の不器用な恋心に笑みを零した。
***
***は敦盛が消えていった屋敷内を一生懸命に叫びながら探した。
家臣の人達には何やら白い目で見られていたし、***付の女房は叫ぶ彼女に悲鳴を上げていた。
でも当の本人は:敦盛が居なくなった:と云う目の前の事実しか見えていなくて、そんな事も構わず探し続けた。
「敦盛〜あーつもりー!どこー?」
屋敷内はもうほとんど探したのだけれども、いっこうに見つからなくて、最後の部屋を見たらもう一度庭に行ってみようと思い襖を開けた。
「あつ、きゃー!?」
「ーーー!!***!?」
庭に隠れていた敦盛は***の悲鳴を聞くなり、慌てて声のした方へ駆け出した。
***の方はと云うと、襖を開けた瞬間に腕を捕まれ、無理矢理部屋の中に引き込まれた。
いきなりの事だったので足元が厳かになって、堅い胸板に倒れ込んでしまった。
顔を確認する前に頭上から声が聞こえてきた。
「くっ可愛い姫さん。それほどまでにこの兄が好きか?」
この人は***のもう1人の義兄で、重衡と同じ銀髪の綺麗な青年。
性格は怠惰でなんというか…***をからかって遊ぶのが好きらしい。
「っ!?離して下さい、知盛兄様!敦盛が来ちゃいます!!」
そんないつもいつも不意打ちを付いてくる知盛を***はちょっぴり苦手としていて、今回も腕から逃れようとじたばたするのだけれども、それは無駄な抵抗&煽る効果があり。
「なら、見せ付けてやろうじゃないか..」
「何いっ!?」
何言っているんですか!そう言いかけた***を知盛は腕の中に閉じ込めた。
そこへタイミング悪く息を切らした敦盛が駆け込んできた。
「***っ!どうしたんだ!?」
「よぅ、敦盛..そんなに急いで何をお探しかな?」
知盛はわざと見せつけるように、腕の中に居る***をさらに強く抱きしめる。
***はそんな予測不可能な行動に顔を真っ赤にして固まっていた。
抵抗することなく抱き留められている彼女を見た敦盛は、また胸の奥の痛みを感じた。
「...いえ、何でもございません。失礼しました。」
「敦盛!待って!!」
部屋から出て行こうとする敦盛の袖を引き止めようと試みたものの後少しのところで届かず、手が宙を掴んだ。
立ち上がろうとするも知盛の手がそれを許さなくて、
「離しはしないさ。」
「離して下さい!敦盛に誤解されるのは嫌っ!私が好きなのは敦盛だもの!!」
気付いた時には***は怒鳴っていて、それを聞いた知盛はくくっと笑う。
***は訳が解らなくて、先ほど自分が発した言葉を思い出すーーーと、
「えぇっ!?」
自分で言った言葉に驚いた。
敦盛を好きだって言った。
「お前もやっとそう云う年になったのか..」
「そうですよ。***だっていつまでも私達の可愛い妹姫では居てくれません。諦めて下さい、兄上。」
遠い目をして言う知盛の背後から、弟の重衡が顔を出した。
当の知盛は重衡が居た事を知っていたのか全く動じず、***はというと、いつもいきなり現れる兄達に驚いた。
「そう云う重衡、お前こそ意地悪はやめにしたらどうだ?」
「兄上程ではありませんから。」
意地悪に笑う2人を見て、***はやっと思考回路を働かせた。
兄達の会話の意図が解ってしまった彼女は抵抗も止め、黙って俯く。
「「***?」」
兄2人に名前を呼ばれるも、嫌な予測ばかりが頭に過ぎていく。
そんな感覚に、***は大きな瞳に涙をいっぱい溜めた。
「お二人して私をからかわれたのですね!
〜っ敦盛に嫌われてたら私、どうすればいいんですか!!..大っ嫌いです!」
緩んだ知盛の手をすり抜けて、そう残し走っていった。
***
「....。」
庭の隅で溜息混じりに悩んでいると、後ろから声を掛けられた。
「***?」
「経、正さま..?」
「泣いておられるのですか?」
経正――敦盛の兄に図星をつかれて***は慌てて目を擦る。
そして誤魔化せないとは解っていても、泣いている事を事実と認めたくなくて嘘を吐いてしまう。
「えぇと..ごみが入っただけです。」
無理に笑うと、経正は優しい顔を少しだけ曇らせて、身を屈め、頭を優しく撫でてくれた。
「..私には話せない事のようですから聞きませんが...あぁ、敦盛に話してみては?」
「絶対に無理です。」
きぱっと言う***を前に、原因が敦盛であると確信した経正は何とか2人を話させようと思案した。
「では私から話しておきますね。」
「ぃ、いいです。敦盛、には..多分、嫌われちゃった、から...きっと話したくないって言われる..」
弱々しく、途切れ途切れに紡がれる言葉は不安でいっぱいで、震える声は涙が流れる前兆。
「..***さんは敦盛を慕ってくれているのですね?」
「でも、目も合わせて貰えなくて..だからもう諦めます。聞いて下さってありがとうございました。経正さま..あの」
まだ心の整理は出来ていないけれど、決心した***は経正に何かを言いかける。
が、経正は屈めていた体制を直し茂みに向かって怒り出した。
「敦盛!!そんな所に隠れていないで出てきなさい!***にこんなこと言わせておいていいのか?」
「え、経正さま!?」
経正の予想外の行動に驚く。
そして彼の向いた方を向くと見慣れた彼の人が立っていた。
何も言わない雰囲気に耐えられなくて***は名前を呼んだ。
「敦、盛..?」
「...その、すまない..***。不安にさせてしまったようだ。」
「....。」
何故だか敦盛の声と言葉を聞いたら凄く安心できて、直ぐに返事が出来なかった。
敦盛も何も言わない***に、愛想をつかされたのではないかと言う不安でいっぱいになった。
「***?」
「敦盛を許してあげて下さい。」
「違います..許すとかじゃなくて、私が勝手にしたことですから。」
***は、はにかんでそう答えた。
それを聞いた敦盛は安堵して、***に謝罪をする。
「私も勝手をしてすまない..***が重衡殿や知盛殿と居ると何でか解らないが、その..」
心が痛くなるんだ。と言いかけたものの、***の兄に焼きもちを焼いた事が恥かしくて、中々最後まで言う事が出来ない。
そんな様子の敦盛を見て、経正は直球にまとめた。
「つまり、やきもちと云うことでいいね?」
言われた瞬間、敦盛はかっと顔全部を朱にした。
「あっ兄上!そんな事を言っては***が困るでしょう...」
「そう思っているのは敦盛だけだよ。では私はこれで。」
そう言い残すと経正はそそくさと去っていった。
「...ごめんね。」
「え..何も***が謝る事はない。」
突然謝られた敦盛は、何に対して誤られたのか皆目見当がつかなくて首を傾げた。
すると***は少しだけかすれた声で言った。
「兄様達のことは誤解だから。確かに私は養女だけど、でも私が好きなのは..ううん、何でもない..」
「***!」
やっぱりいいと首を振る***を敦盛は抱きしめた。
その直後***の体が硬直したのがわかった。
「あつ、もり..?」
やっとの思いで***の口から紡がれた言葉は敦盛の名前だったから、彼はほっとして、
「わ、私は***が好きなんだ..あんな態度をとって、信じて貰えるかどうかはわからないが。」
敦盛からの告白に***は目を見開いて驚いた。
そして嬉涙が頬を伝った。
「..信じる、私も敦盛が好き、大好き!」
満面の笑みを浮かべ、今度は勢いよく***から敦盛に抱きついた。
「ありがとう。心から***を愛している..もう少し時が経ったら、私と共に歩んでは貰えないだろうか?」
「うん..約束だよ。」
未来の約束が1日でも早く来ればいいのにと、***も敦盛もそう思って手を繋いだ。
近すぎて、幼くて、
互いに気付く事の無かった相思相愛。
今やっと分かり合えた喜びに祝宴をーー
END☆
2006.05
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