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皇帝と皇后




 古の都、ルカルダ。そこに新たなる皇帝が誕生した。ルカルダでは千年に一度、刻印をもつ選ばれし神の子が生を受ける。懐胎する女は誰とも知れず、生まれいずるところ未知であった。
 おおよそ八百余年の平均寿命を誇る長寿国を統べる皇帝の席は、二百年ものあいだ、空いたままであった。民衆は久しい長の誕生に、歓喜の雄叫びをあげた。世界権力の最高峰、皇帝の誕生により、ルカルダは再び地位と名誉を取り戻したのだ。また発言権も、ルカルダの皇帝に並ぶ者はない。民衆の皇帝に寄せる期待は果てしなかった。
 ときを同じくして、もう一人、離れた地に生を授かった者があった。皇居の建つ煌びやかな街より遠く、枯れ果てた貧しい地に。

「皇后を探しに行く」
「ルバ様、どうかお考え直しを」
「少しばかり空けたところで問題は生じまい」
「后なら、美しい貴族の女性からお探しになられては。美しく聡明なルバ様でしたら……」
「皇后の刻印がある者は必ずいるはずだ。私はそれを探しに行く。もしくは心惹かれる者を」
 家臣の制止の声を振り切り、ルバは馬を出した。付き人は要しないというルバの強い希望により、家臣は納得のいかぬ表情で引き下がった。単身で始めた旅が、思わぬ拾いものをするとは微塵も考えずに。

 ルバは馬とともに千里を駆けた。しかし走れど皇后は見つからず、辟易するばかりであった。街から街へ、果てには異国へまでも右よ左に駆け走っていた。いよいよ決意も揺らぐかという頃、ルバは、ふとしたことに気づいた。今まで探し回っていたのは貴族や平民ばかりだということに。よもや貧民にまで頭が回らなかった。一縷の望みにかけ、貧困の地へとルバは向かった。
 貧しいものをルバは見たことがなかった。平民の女より生まれ、女とともに皇居での暮らしを続けてきたルバは、貧民たちとはまったくの無縁であった。実情も知らずに生きてきた。ただ、ルバは国政にかかわる歳となった頃合いであったので、致し方のないことでもあった。しかし、現実をありありと見てしまえば、ルバはその心を痛めた。何不自由なく煌びやかな生活を送る者がいる一方で、生きていくことすら困難な者がいる。ただ、今のルバには何もできない。皇帝の正体を隠し、単身で旅に出ているさなかであるのだ。皇居に戻り次第すぐにでも対策を立てねばならない、ルバはそう固く自身に誓った。
 貧民を目の当たりにしたルバは、皇后探しを止め、戻ろうと決意した。ただ、寸暇を惜しむものの、疲労のためすぐには発てなかった。森へ入り、しばしの休息を得ようと湖のほとりへと近づいた。このような森の奥深く、人などないように思えた。だが、違った。湖まで到達すれば、人が一人、水浴みをしている。ルバは目を見開いた。男と思しき逞しい肉体のその者は、ルバと同様に、誰もいまいと思っているのか、隙だらけであった。ルバは馬から降り、そっとその男に近づく。男はなおも気づかぬ様子であった。
「……そなた、傷が」
 男の身体には無数の傷跡があった。それも古傷ばかりではない。生傷だからこそ、目立っていた。突如として現れたルバの声に、男は大きく肩を揺らした。そしてゆっくりと振り向く。
「……あ」
 男は声すらも出なかった。ルバの容姿に驚いていたのだ。身なりこそ旅人のそれに扮してはいるものの、ルバの生まれもつ端麗な容姿と、醸し出される威厳に気圧されていた。
「我はルバと申す。そなた、名は」
「……街の者だな。皇帝と同じ名とは皮肉なもんだ。名をテオと申す」
「テオ。良い名だ。しかし我が皇帝と同じ名ではいけぬか」
「皇帝なんて口にも出したくない言葉だ。私は皇帝と同じ日同じときに誕生したというだけで、浴びせられるのは罵詈雑言、果てには暴力まで受けてきた。何故か分かるか? 妬みだ。私はこの通り、容姿に恵まれていない。体格だけは馬鹿にいいが、腕っぷしは強くない。おつむもからっきしだ。そんな奴が皇帝とときを同じくして生まれた。皆が皇帝を盲目的に愛し崇拝している。何故、皇帝と同じときに生まれたのが自分ではなかったのか、何故こんな奴なんだと皆が口を揃えて言う。皇帝のせいで私は虐げられつづけてきた。私は特別などではない。皇帝も言わば人間だ。神に選ばれたのだとしても、神ではない。私は今でも憎んでいる。皇帝主義のこの国、世界、そして皇帝と私自身を」
 堰を切ったように話すテオを、ルバは複雑な表情で見ていた。自らの知らぬところで、皇帝を理由に誰かが傷ついていた。ルバにとってそれは、看過できるものではなかった。そして生まれてから今にいたるまで、ルバは、自身を嫌う者など誰一人として見たことがなかった。皆がルバを愛し崇めていた。ある種テオは、ルバにとって新鮮にも見えた。好くも嫌うも誰かの評価など気にせずに言ってのける、正直なテオが。
「随分と辛い思いをしてきたのだな。申し訳ない」
「なんであんたが謝る必要がある。あんたが良い人だってのは何となく分かるんだ。悪かったな、今会ったばかりのあんたにこんな話して」
「しかし」
「それよりここで会ったのも何かの縁だ。一緒に水浴みでもどうだ?」
 テオが誘うと、ルバは小さく頷いた。皇帝への憎しみを語っていたときのテオの表情は、すっかり柔らかなものになっていた。
「テオはそのような表情もできるのだな」
「普段はこんなに笑わない。あんただから笑っていられる」
 ルバの心臓は激しく動いた。速く脈打つ鼓動を、ルバは知らない。惹かれていたのだ。初めて会った、ただの大男に。ルバがテオを一目見たときに、それは始まっていた。何か強く惹かれるものがあった。よもやそれが、運命によるものとは知らずに。
「水浴みなど初めてだ」
「あんた、育ちが良さそうだもんな」
 湖の中にいたテオが陸へとあがると、今まで水の中に隠れていた腰が露わになった。テオのすぐ後ろにいたルバは、テオの腰を見て目を見開いた。
「テ、テオ」
「なんだ?」
「その腰の紋様は」
「ああ。生まれたときからついてる痣だよ」
 ルバは固まった。テオの腰に刻まれた紋様は、まさにルバが探し求めていたものだった。血統や性別に関係なく生まれる皇帝であれば、皇后もまた、同じであった。ただ、皇帝の刻印は衆知であっても、皇后の刻印を知る者は多くなかった。テオの母親は、皇后の刻印を知らなかった。ただ、ルバの喜びは束の間のことだった。テオは皇帝を憎んでいる。ましてや自身が皇后であることを知れば、最悪の場合、自害に走ることも想定できた。
「どうした? あがらないのか?」
「……テオは、その紋様に疑念を抱いたことはないのか」
「ただの痣だろう」
 ルバは押し黙った。本当のことを言うべきなのか。それとも、言わずにテオが今の暮らしを続けていくのが良いことなのか。ルバには分からなかった。
「テオ」
 ルバの呼びかけに、テオは振り向く。ルバは決心した。真実を告げたところで、決めるのはテオだ。憎き国の皇后となるのか、それとも、虐げられる生活を続けるのか。
「そなたは住まいを移そうとは思わなかったのか」
「意地さ。いつか周りが気づくまでの、気の遠くなるような賭けをしている。皇帝のすべてを条理なく正しいと崇めることが間違いなのだと、奴らが気づくまでのね」
「テオ、ならばその皇帝が、もしもそなたを娶りたいと申し出たならば、そなたは如何する」
「……有り得ない仮の話だ。でもまあ、断るだろうな。ただ、皇帝の没した後も貧民すら幸せに暮らしていけて、決して盲目的ではない国家にしてくれる、国民を心から思うそんな皇帝なら考えないでもない。そんな皇帝はいるわけがないけどな」
「いるとすれば、そなたに、国民に誓うのだとすれば」
「私は強い皇帝がいいんだ。痛みを知るそんな――そうだな、例えばあんたみたいな。あんたになら娶られてもいい」
「テオ」
「なんてな。冗談だよ」
 ルバは湖からあがると、黙ったまま、軽く笑うテオをまっすぐに見つめた。神妙な顔つきとなったルバに、テオは思わず怯んだ。
「テオ、そなたの腰の紋様は皇后の証。そなたは皇后として生を受けた」
「は……」
「そして我は」
 ルバはテオに、背を向けた。テオの目は驚愕に見開く。テオと同じ腰の位置に、似たような紋様が刻まれていた。紛れもない皇帝の証であった。
「ルカルダの皇帝ルバ・リオス」
「あんた、ルバって……皇帝……」
「皇后を探しに旅に出ていたのだ。我は赤子より非力で無知であった。自らの目で、この国の現状を知った。悪しき面も知らず、のうのうと皇帝の座に甘んじていた。決して許されることではないであろう。ただ気づきし今より、そなたと国のため、皇帝の名に恥じぬ指揮を誓う。ゆえにテオ……」
「待ってくれ。嘘だろ。私が皇后だって? 何かの間違いだろう? あんたが皇帝ってのはまだ分かる。でもこんなに醜いやつが皇后のわけがない」
「そなたは紛れもなく皇后の刻印をもつ選ばれし者。我はそなたとともに、この国を変えていくことを望む。しかし望まぬそなたに強いることはせぬ。決めるのはテオ、そなただ」
 テオには受け入れがたい現実であった。あれほど憎んだ皇帝が目の前にいる。そしてしまいにはテオを皇后だというのだ。ただ、テオはわかっていた。それらが全て真実であることを。しかしそのように突然つきつけられた現実は、たとえ真実だとしても、受け入れるに易しいものではない。テオの心中は、まるで嵐の荒ぶる海のように混沌としていた。ただ、テオにとってルバは、皇帝という要素を抜けば、ともに生きても良いほどの者だった。
「我は皇后としてのテオに惹かれたのではない。そなたの強い心に惹かれた」
 テオはぴたりと動きを止め、ルバを見やった。「テオとともに生きてゆきたい」
 真摯なルバの目が、テオの目を捉えた。決して戯言などではない。心から訴えていることが、ルバの目から理解できた。テオの心は次第に静まりはじめてた。やけに穏やかな波が、テオの心に染み込んでいった。
「国を変えると言ったな、ルバ」
「誓おう。そなたと国民に」
「私は嘘を最も嫌う。何事にも正直であることを誓うか」
「この心にかけて誓おう」
 テオは深呼吸をした後に、ルバをまっすぐに見つめた。
「痛みに気づけ。痛みを忘れるな。心より感じろ。私はルバ、あんたについていこう。数多の人間の一人として、国民の一人として、そして皇帝の一部である皇后として」
 決意したテオに迷いはなかった。ルバはテオの手を取ると、戯れの一切がない所作で、その甲にキスを落とした。皇帝が皇后を迎える際の、正式な儀式であった。あたりはしんと静まり返り、湖に差す光は水面をすり抜け海底にまで届いていた。風すらも刹那のときを止んでいる。それはまるで、ルカルダのすべてが、新しい国の始まりを祝福するかのようであった。




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