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さくら




「もうだめだよ、もう諦めようよ。ねえ、痛い、痛いよ」
「どうしてそういうこと言うの! 一緒に生き延びようって言ったじゃない!」
 燎原の火が覆う焼け野原の片隅に、二人の女はあった。ひとりはトキコ、ひとりはサキといった。二人は手負いながらに、傷だらけの足を引きずり歩いていた。もはやサキは歩くのもままならなく、トキコの肩を借りている。トキコは弱音をはくサキを叱咤しつつ、自らも諦めかけていた。二人の目に映る惨禍は、ただ、二人から希望を奪っていく。もはや二人の望みはかけらほどにしか残ってはなかった。
「人が人を憎み殺し合う。この再びおとずれた戦国時代は、もう、私たちを、人間すべての一切を消してしまうのよ」
「だから私たちが生き残って、新しい時代を築けばいいじゃない!」
「トキコも本当は分かってるんでしょ? もうだめだって。私たちもこの世界も終わるんだって」
 サキは虚ろな目で、トキコを見据えた。トキコの目にともる僅かな希望が、かすかに揺らぐ。トキコは何をも言い返すことができなかった。
 今や全世界での死者数は七十億にのぼり、世界人口の二割強ほどがすでに命を落としている。まさにこれは異例であった。殺戮と化した世界を、もはや誰しもが止められはしなかった。憎み、殺し合うその様は、地獄に等しい。戦争というにはあまりにも滑稽なほどに、無秩序かつ惨たんたる光景であった。
「トキコ、ねえ、最後にあの桜の木を見にいこうよ」
「桜の木? なに言ってるの。もう焼けてなくなってるよ」
「私たちの思い出の場所じゃない。ね、焼けて灰になってても、きっと私たちには満開の桜が見られるよ」
 望みなどとうに手放したであろうサキの目は、かすかに輝きを取り戻していた。
「サキがそこまで言うのなら」
 トキコはよろめく足を必死に引きずりながら、再び歩き出す。ほとんどトキコに身を委ねていたサキも、自分の足を引きずりながら、歩き出した。
「トキコ、覚えてる? 桜の木の下で、いっぱい喋って、仕事の休憩時間にそこでご飯食べて、デートのときは待ち合わせの場所にしてた」
「うん、覚えてるよ。そういえば、けんかもしたね」
「……楽しかったなあ」
 そう言うと、サキは小さくよろめいた。瞬時にトキコがサキを支える。サキは小さくトキコの手を握り、わずかに笑ってみせた。
 サキの目はほとんど見えなくなっていた。いつ失明するかもわからないほどに、状態は悪い。トキコはそれを知っていた。桜の木を見ることすら危ういそんなサキを、見ることができないかもしれないというのに連れて行くことは、トキコにとっていささか苦しくもあった。だが、壮絶な痛みをたえながら、トキコを頼りに必死に歩くサキを見れば、連れていくしか道はなかった。
 死体で埋もれる道を必死でかきわけながら、二人はただひたすらに、桜の木のみを目指して歩き続ける。もはやたどり着くことすら難しかった。ただ気力だけを頼りに、二人は真っ直ぐに歩いた。
「サキ、ね、もうすぐで着くよ」
「うん……うん、早く見たいね」
 今にでも倒れてしまいそうなほどに、サキはふらついていた。せめて桜の木が立っていますように――ただそれだけの願いをこめて、トキコはサキを支えながら歩いていた。

「――あ」
「トキコ、着いたんだね」
「……う、うん」
「ね、桜の木、立ってる?」
 トキコは思わずサキへと目をやった。すでにサキの目は潰れていたのだ。何をも映さないサキの瞳には、期待と希望が込められている。それだけが、それだけは、トキコにも分かった。
「うん……立ってるよ。大きな桜の木が」
「よかった……よかったね、トキコ」
 トキコはサキの肩を抱き、桜の木が立っていたであろう場所に、静かに腰を下ろした。二人の目からは、とめどなく温かなものが流れ落ちる。この場所が、二人の最期の場所になることは、二人にもよくわかっていた。
「トキコ、私、もうそろそろだめみたい」
「そう、だめなのね」
「うん。ねえ、トキコ、本当は桜の木、ないんでしょ?」
「え?」
「私、分かるよ。目が見えなくても、ちゃんと分かってる」
「じゃあ、サキ……」
「でもね、しっかり見えてる。ここでのたくさんの思い出も、トキコも。トキコも目を閉じてみて。桜の木が、見えるはずだから」
 トキコは目を閉じ、そしてしっかりとサキのからだを抱いた。
「――見えるよ、サキ。大きな満開の桜の木が」
 サキの返事はなかった。トキコはひときわ大粒の涙をこぼし、もう力の入らなくなった手をぽとりと落とした。トキコが静かに息を引き取ったのは、それから数時間後のことだった。
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