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愛し君




 世は安泰の都に、照る日は衰えを知らず、御神は陰にありなんとす。詔を賜ひて、男女の逆さを受ける。しからば世は和平を覆し、天は燎原の火のごとく朱に染まらん。


「苑姫様、戦況が芳しくごさいません」
「兵の残存は」
「すでに半数が落ち、残るは手負いの者ばかりです」
「さようか……。この城もやがては攻め落とされるだろう。そなたは残りの兵を引き連れ龍のもとへと下れ」
「私は苑姫様とともに最後まで戦いとうございます」
「世を変えることはもはやかなわぬ。戦乱の世は長く続くであろう。愛し想った者は敵となる世を、我はもう歩く気力すら残ってはおらん。せめてそなた達が生き長らえることが我の望み。そしていつか世を安泰に導いてはくれぬか。お龍もきっと道を開いてくれるだろう」
 お苑はそれだけ言い残し、刀を自らの腹に突き刺した。女はただ、まっすぐにお苑を見ていた。その目はしかとお苑を映し、そして強い光をもっていた。


 世は現代の日をかざす。苑子は夏の日差しに辟易しながらも、熱心に剣道へと打ち込んでいた。その姿を、友人である龍子はじっと見ている。とうに他の部員は帰ったというのに、苑子はいつ終わるかすら知れない。道場には二人以外に、誰もいなかった。
「もう終わろう、その」
「だって大会が近いもの」
「あんまりがんばりすぎてもいけないわよ」
「そう……」
 龍子に言われ、苑子はしぶしぶ練習を終えた。まだ足りぬとでも言いたげな不服そうな苑子を後目に、龍子は片付けをし始めた。それに従い苑子も片付けをしだす。外より暑い屋内にいたからか、二人の身体には汗が滴っていた。片付けをしながら、龍子はちらりと苑子を見やった。額から首筋にかけて流れる汗。疲労の見える表情。龍子の心臓はうるさいほどに動いていた。
「ねえ、その」
「なに?」
「ちょっと最後に私の相手してくれない」
「ええ? 龍子の相手はなんか嫌なんだよね」
「そんなこと言わないでさ、手合わせお願い」
「……うん、いいよ」
 片付けを中止し、二人は向かい合う。そして動き出した。
 苑子は、龍子と竹刀を交わすことが苦手だった。理由は何故か知らないが、ただ、胸が痛んだ。ゆえに二人が、今までに向かい合ったことはない。しかし苑子が、わけもなく龍子を拒むことが、龍子にはいささか不快だった。同じ部員、ましてや友人なのだから、練習の相手ぐらいしてくれてもよいのではないか。龍子は常々そう思ってやまなかった。それに、龍子は友情以上の感情を苑子に抱いている。好いた相手から拒まれることを、誰が快く思えるだろう。龍子はただ純粋に、そう思っていた。苑子と剣を交えるまでは。
 二人はエースともいえるほどの実力を有している。にもかかわらず、開始直後の機敏な動きはまったくといっていいほど失せていた。じりじりと、嫌な空気を二人は感じていた。背中を冷たい汗が流れたのは、苑子も、龍子とて同じだった。やがて二人はらちがあかぬと、動きだす。最初に攻撃をしかけたのは、苑子の方だった。
「えっ……」
 だが、その攻撃は龍子には当たらなかった。苑子がぴたりと動きを止めたのだ。龍子はその理由がわかった。何故か理解できた。苑子が今までに龍子との手合わせを拒んでいた理由も、龍子には、そのとき理解できた。
「……ごめん龍子。私やっぱり無理みたい」
「うん……いいよ、わかったから」
 ――苑子と龍子の脳裏には、見たことのない、だが、何やら懐かしい記憶がよぎっていた。鎧をまとい、血を浴び、阿鼻叫喚の地獄絵図を、二人はともに見ていた。瞳はうつろで悲しみに染まり、無力な自分に歯を食いしばる。二人は重い鎧に身をつつみ、血のにおいが満ちるその焼け野原で、対峙していた。
「私は修羅の道に足を踏み入れてしまった。もう後ろはない。愛することもかなわぬ身は、切り裂かれるかのような痛みを伴う。苑、そなたはまだ引けるのだ」
「そなたが修羅に入り修羅と戦うのならば、その痛みは我とて同じことよ。傷つき泣き悲しむ者がある限り、我は龍と共に戦おう。たとえ旗は違えども、我は常にそなたのそばに」
「いつぞ生まれ変わるなら、平和の世で、そなたと共に老いたいものよ」
「万里を駆けても会いにいこうぞ。きっとそなたを見つけよう」
 二人は涙を流し、決意した。戦乱の世に再び平和をもどすため。愛する者に刃を向けなければならない世を変えるため。“変えたかった”ただその悔いだけを残し、二人は違う場所で同じように命を絶った。


「ねえ龍子……いつか黙って私から離れていかないでね」
「何、急に」
「なんかさ、龍子とは“やっと会えた”って感じなんだ」
「小さいときから一緒じゃない」
「ううん。なんかもっとずっと前から、私は龍子を探してたんだと思う。会いたくて会いたくて、やっと会えたって感じ」
 苑子の言葉を聞いて、龍子の顔は真っ赤に染まっていた。嬉しさと、同時に、何か言い知れぬ懐かしい感覚が龍子を包んでいた。そして龍子の中で、ふいに、何かがはじけた。
 戦乱の世を共に戦ったあのとき。血にまみれ、涙を流し刀を振っていたあのとき。愛する者を失ってなお、契りを果たすために戦いつづけた。いつかまた、二人で笑いあえるときがくることを信じ、命を落とした。龍子の目には、お苑が映し出されていた。
「……やっと見つけてくれた」
 龍子でありながら少し違う様子の龍子を見て、苑子もまた、刹那にすべてを理解した。ときを経て、お苑とお龍は再び会うことがかなった。幾千のときを越え、二人は出会えたのだった。
「平和な世の中に生まれることができたのね」
「また会えるなんて思ってもみなかった」
「来世でも必ず見つけると言ったのは苑子でしょう?」
「……うん。やっと会えたんだね、龍子」
「もう悲しまなくて済むのね」
「ずっとそばにいるもの」


 世は安泰の日を掲げ、再び天は青に帰す。荒涼たる修羅の道なれど、進撃の末は日のさす獣道が示されん。さすれば光にあたらんや。





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