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ドラゴン

黒蝶が訪れたその日の夕方。
夕飯の買い出しを終えてホテルに帰ってきたエス達の部屋に、その訪問者はやって来た。

ドスドスと強い足音が近づいたかと思うと、ノックも無しに突然ドアが開いた。
全身で憤怒を表しているその若い男性は、大声で侮辱の言葉を吐いた。

「詐欺師!」

突然の事でアキアとハルは唖然とするしかなかったが、リュウは咄嗟にエスを背にかばった。

「正体を現したな!何が聖女だ、いい気になりやがって!雨の一つも降らせやしねぇペテン師が!」

黒蝶を通してあの依頼をしたのは彼だったのかと、リュウ達は思った。
ハルをガキ扱いしているアキアだが、十五と十七の違いでアキアもまだ未成年だ。
我慢すべきとわかっていても、怒りで握り締めた拳が震えている。
今にキレて殴りかからないかエスは心配をした。
ハルはその怒りを外へ吐き出してぶつけるより内に向けてしまうから、それも心配だった。

「青薔薇だか聖女だか知らねぇが聖人気取りで偉そうに!その奇妙な髪もペテンの力も、ぜーんぶあの鎖国してる不気味な国のもんだってな!」

リュウの背中まで怒りで強張るのがわかった。
ブレーキをかけなければ。

「ドラゴンはこの国の神話では邪悪なものだ。わかるか?神話の昔からお前の国は邪悪なんだよ!国は実態を知ってるから付き合わない」

エスは祈った。
どうか三人が傷付かないように。

「締め出された国の邪悪な宗教で洗脳しようとしてる!つまりお前は悪だ!悪を消滅させようと国が努力してきた事を、歴史は証明してる!聖人面した邪教の信者が!太陽十字に磔になっちまえ!」

アキアとハルが口を開くより先に一歩踏み出したリュウの手を、エスはすかさずとった。
指先は優しく。足取りはゆっくりと。
口調はやわらかく。微笑は優雅だった。
拍子抜けするほどに。

「確かに。僕は、聖人でもなければ、まして聖女でもありません」

男は勝ったというように嘲笑を浮かべた。
アキアは何を言うのかと瞠目し、ハルは悲しげに目を伏せた。
リュウは相変わらずぎゅっと眉間にシワをつくる。

「僕は、何も無い。空っぽな人間なんです」

ハッとして何か言いかけたリュウに首を振り、言わせてもらった。
アキアとハルはリュウが動揺を見せた事に驚いている。

「僕には、小さな頃の記憶も無いし……。だから自分の正確な年齢も、誕生日も、本当の名前さえわからない」

エスはコートの襟をくつろげて、チェーンを引っ張ってそれを取り出した。

「今の名前はね?最初にリュウが呼んでくれたんです。これ。『S』」
「ふんっ。何を……」
「僕にはこれしか無かった。そしてこれを始まりに、皆が僕に“僕”を与えてくれた」

苦痛は伴ったけれども、それは空っぽな自分のアイデンティティーになった。

「皆が、僕をゼロからつくってくれたんです。だから……」

エスは微笑を浮かべながら、そっと胸に手を当てた。

「僕は皆様のもの。貴方達のものです。この命も。貴方のものだ」

そうして無防備に、男の前で両手を開いた。
男は狼狽え、顔を引きつらせて後退った。

「気味が悪い…!」

そう吐き捨てると、男は行ってしまった。
エスは落ち着いてネックレスをしまい、コートの襟を丁寧になおした。

「びっくりしたね?」

エスは何事も無かった様に平然と笑って、開けっ放しの扉を閉めた。

「何で……。何で笑ってられるんだよ!」
「アキア…!」

怒りに震えるアキアを、涙ぐんだハルが止めた。

「あんな風に言われて悔しいと思わないのかよ!?」

困ったように笑うのも、アキアの怒りを煽った。

「俺達はエスを信じて、エスだからついてきたのに…!侮辱されてヘラヘラ笑ってるなんて!見損なった!」
「アキア。お前……本当にそう思ってるのか」

リュウに睨まれても怯まず、アキアは負けじと睨み返す。

「ハル、お前もか」
「だって……」

リュウは溜息をついて、ベッドの端に腰を下ろした。

「俺はお前達に失望した」
「リュウ。二人は…!」
「いい。黙ってろ」

間に入ろうとするエスを制して、リュウはアキアとハルの二人を睨みつけた。

「お前達は、今の何を聞いてたんだ。エスの言葉を聞かなかったのか」
「聞いてた!」

リュウは、首を振った。

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