「嫌いだ」とぽつり零すとあいつは笑みを深くする。
「俺は好きだけど、ネ」
その射るようにジと見つめてくる視線、まるで蛇に睨まれた蛙のように、身体が硬直する。
あいつは壁に手をつき、私に顔を近付ける。部屋に連れてこられた時壁際にいたらしく、知らず知らずの間にあいつと壁の間に挟まれてしまっていた。
「…名前」
耳元で擦れた音を出すあいつに思わず背中が震えた。甘い吐息は恋人同士の情事の際のようだと錯覚させるのだ。
心音がばくばく音を立てるが、これは所詮偽りで、偽物だと自分に言い聞かせる。そうしなければ出会ったばかりで、好きでもましてや恋愛感情など抱いてもいないあいつのペースに、雰囲気に呑まれてしまいそうな気がしたから。
「ネ、俺の名前呼んでよ」
「ふざけ……っ!」
甘ったるい雰囲気の中、何を言いだすのかと思う。グと先程よりやや強く捕まれた両腕に、ふざけるなという言葉は思わず口を噤んでしまい静かに消えた。
「顔がッ、近い!」
まじまじとあいつの顔を見たのは初めてだった。私の中であいつはにこりと微笑んでいるのが大部分を占めていたので、思わずその深海のような瞳に魅入ってしまった。
のもつかの間、魅入っている自分に気付きすかさず顔を背けた。
「ひっ」
首筋にざらりと何かが触れる。そこは空気に触れてひんやりと染みた。
視線を向けると、案の定そこにはあいつのサーモンピンクの髪がさらりと私の肩に流れていた。
何がしたいんだこいつは、と硬直が解れてきた身体で睨み付ける。
「あんたの名前なんか、知らないッ!」
ありっきたりの言葉で叫ぶとあいつはそっかあ、そりゃそうだよね。と私の首から離れて一人納得する。
「俺はここ春雨の第七師団団長、神威。
今日から名前は俺の僕ネ。それに…俺は阿伏兎みたいに優しくないから。命令に背いたら迷わず殺すよ?」
分かった?とあいつはケタケタと笑った。
「で、名前早く呼んでよ。神威さまでいいよ」
「誰が呼ぶか!」
「…まァいいか。徐々に、ね?」
あいつはあっさりと私から離れていく。
「あ、料理作っといてね」
「は?」
「簡単な料理くらい作れるでしょ?」
よろしく、と言ってドアに消えていった。ぽつんと残された私はあいつに振り回されるばかり。はぁとため息を吐き出して立ち上がった。
この時既に、私はあいつの毒牙にかかってしまっていたのだ。
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