結局のところ、 教室の湿度が高い。 今は十月で梅雨の季節なんかじゃないのに。 チャイムが鳴ったのと同時に、高橋諭はうんざりとした面立ちでi-diceを閉じた。 湿り気が鬱陶しく、シャツが擦れて背中全体がむず痒い。 湿気に反応して悪化する自身の天然パーマも諭を苛立たせるのに一役買っている。 窓を見ると硝子の向こうでジトジトと勢い遅く降る嫌な雨が空から幾重にも糸を垂らしていた。 冬も近い教室は肌寒く誰も窓を開けたがらない。 換気した方が衛生上好ましいとは分かっているものの、諭も含め皆が皆、誰かがやってくれるだろうと他力本願なのだ。 小さくなったi-diceを腰のホルダーに収めると席を立って教壇近くの真人の席へ向かった。 丁度真人の隣席の主が不在だったので、そこに腰をかける。 いつの間にか真人を挟んで要もいる。彼は何をするとでもなくただ立っていた。(珍しい。普段は用が無い限り寝てるか食べてるかしているのに) 席の主である真人はというと、こちらも珍しく覇気がなく、椅子の背凭れに寄りかかって首をぶら下げていた。 i-diceも閉じずに開きっぱなし。 真人もなんちゃって梅雨前線にやられたのだろうか。 「なーんで、俺はアメリカ人とのハーフじゃなかったんだろう」 鬱々とサイコロの画面を眺め、真人が言った。 画面は先の授業だった英語のテキストを映している。 突拍子も無い真人の発言に諭が首を傾げた。 「なんでまた急に?」 「だって親が片方アメリカ人だったらもう英語完璧じゃんか。英語の成績5だよ、5」 下唇を突き出して、真人は顎をぺたんと机に置いた。 どうやら前回の英語のテストで取った二十九点が少々堪えているらしい。(あと一点だったのに!) それでもすぐ、両手を顎の手前に持ってきて指をばたつかせ、タコ!とふざける姿は落ち込んでいるとはとても言えない。 阿呆な遊びを要に足が十本だからイカだろうと指摘され、すぐさま真人は指を折り曲げて八本にした。 要も満足したように(諭にはそう見える)頷く。 二人の暢気な空気を前に諭が溜め息を吐いた。 「ハーフになったってお前は満足しないだろ」 「なんでさー」 そう言う真人は不快な様子もなく、ただただ疑問だと言いたげに諭を見上げる。 首を上げずに顔だけ諭を向くのは息苦しかったらしく、両肘を付いて上体を上げた。 「お前が仮にハーフだったら絶対、なんで俺はこんなに中途半端なんだーって日本人かアメリカ人を羨ましく思うね」 「ねぇ、俺ハーフだったら武内マイケル?」 「話を聞け!」 眉間に皺を寄せた諭に怒鳴られた真人が諭の話がややこしいからだとごちる。 対する諭は苛々しげに膨らんだ自分の天然パーマを指で掻き回した。 「羨ましがってたら切りが無いだろ」 棒読みに近い抑揚でそう言うと自分の指を癖毛の森から引っこ抜く。 指に髪が絡まってないか確認する諭に真人が口をすぼめる。 「夢ぐらいみたって良いじゃんか」 「うん、夢を見るのは勝手だよ。ただ俺が湿気でイラついてるだけ」 「八つ当たりじゃね?それ」 「うん」 冷めた口調の諭。 何処か意地の悪い、人をからかう為のわざとらしい顔だ。 それを恨めしいと言いたげに真人が軽く睨んだ。 「じゃあお前は羨ましいもの無いのかよ」 そう問われた諭は間も置かずに「ある」と答えた。 真人は矛盾した解答に些か拍子抜けしたようだが、興味が出たのか先程のダラけ具合は何処へやら、目を輝かせてそれが何なのか尋ねる。 すると諭の真人を揶揄する為に作った冷めた表情も元に戻り、少し息を詰めてから小さな声をぼそりと出した。 それは人気のある硬派な二枚目俳優の名で、最近は彼が出演した男性用シャンプーのCMが印象的だ。 予想していなかった有名人が話に上がり、真人も要も首を傾げたが数秒経って二人同時に合点が行ったと頷いた。 とどのつまり、その俳優はストレートヘアなのだ。 諭の髪型を凝視してから仕返しだと言わんばかりに腹を抱えて真人が大笑いする。 要も要で顔を背けて肩を震わせている。(どうせ顔は仏頂面のままなのに!) 悔しそうに、決して天然パーマではない二人の髪と自分の髪を見比べながら、諭が呻いた。 背中が痒いのも、 笑われるのも、 苛つくのも、 髪が膨らむのも、 「全部雨のせいなんだ!」 *** 結局のところ、僕は君らが羨ましい。 2007.1115.谷崎 ←→ |