Marijuana 3 そのまま余裕の顔が崩れて無様に硬直すれば良いとさえ思った。笑顔を浮かべ人を切り捨てる残虐者の出鼻を挫き、苛立ちを発生させる根源を狼狽させたかった。 しかしゼンの予想を裏切り、一瞬の緊迫の後には哄笑が路地裏に響いた。後ろにいるファナが、困惑するのが感じ取れる。 「ははっ、いきなりの直球か!…だけど嫌いじゃない」 カミユは未だ痙攣を繰り返す腹を折り曲げながら、涙まで浮かべた瞳を軽く擦る。 「俺が撃ったと考える根拠はあるのか?」 「聞いてるのは俺だ」 「だけど確信を持ってだろう?分かりきった答えにわざわざ答える必要もないじゃないか、なあ」 平然と答え、全く関係のないそっぽを向いて欠伸をする始末だった。 居直りと言うことか。否。彼に居直る必要は全くない。彼がゼンたちを狙っていたとバレても、何も困ることはないはずだからだ。 「お前の雇主はロゾネフか?」 苛立ちも隠さずに低く唸るゼンの言葉に、しかしカミユは首を傾げる。 「ロゾネフ?誰だ、それ」 「………」 「本当だって!知らないさ、そんな名前」 本当に分からない。 そう言った純粋な瞳――の奥に潜んだ、騙された人間を嘲笑うために準備された光を見つける。 ゼンは、憤慨した様に鼻を鳴らした。 「お前は賢くないみたいだな」 「…は?」 「情報屋も兼営しているなら、何故ロゾネフの名前を知らない。奴は、裏では有名なんだろう?」 「…………」 衝撃を受けた様な顔をして、カミユは黙り込んだ。口許に手を当てて視線を巡らせる彼に、ゼンは更に言葉を重ねる。 「屋台で出会った時、何かおかしいと思ったんだ。お前、一度俺たちに接触してるだろ」 「何処で?」 「店だ」 「ああ、屋台の――」 「お前がわざとぶつかってきた」 「………」 「その後、素知らぬ顔をして、俺に何処かで会ったことがないか聞いたんだ」 「……賢いだけじゃなくて記憶力も良いのか。いや、その逆だな……記憶力が良いから賢いんだ、やけに頭が回る」 カミユは茶色の短髪を軽くかきあげ、小さく息を吐いた。そしてまるでお手上げだとでも言うのか、両手を耳の横まで広げてみせる。眉は下がり、唇には皮肉げな笑みが浮かんでいた。 「ご名答。確かに俺は賢くないな…賢いあんたと話してると勉強になる。もっと賢くならなけりゃ」 気怠げな口調。 しかし身体全体からは、妙な威圧感が発せられている。知らない内に滲んでいた手の汗を、ゼンはゆっくりと服に擦り付けた。 「あんたたちを狙って撃ったのは事実だ。でも殺すつもりはなかった」 「知ってることを全部話せ…と言いたいが、お前は信用ならない」 「でも、嘘は吐かないさ。ロゾネフが俺の雇主じゃないのは真実だ」 「だったら、お前の雇主は誰だ」 「それは言えないな」 「嘘は吐かないと言った」 「嘘は吐かないさ。けれど、隠し事はする」 「……」 優勢に立てたと感じても、すぐに反転させられてしまう。くつくつと喉の奥で笑うカミユの表情は、明らかに追い詰められた人間のそれとは掛け離れていた。他人を弄ぶことを楽しむ、嗜虐心に満ちた表情。本来ならば隠すべき態度だ。隠し、手のひらで踊る人間を見て内心でほくそ笑む。しかしそれを敢えて見せているのだとしたら。それ以上に危険だと感じた。既に彼の言動に掴み所はなく、ゼンの不安を煽っている。 唇を強く引き結んだまま黙り込んだゼンに対して、カミユが一歩踏み出した。 「他には?質問、無いのか?頭を動かさなきゃ。回転させて謎を解きほぐせば、見付かるかも知れない」 ゼンの手がファナを背中に押しやる。しかし、カミユの瞳はまっすぐにゼンを見つめていた。赤みを孕んだ茶色の瞳が妖しく光る。その途端、蛇に睨まれた蛙と言う表現が正しいのかは分からないが、指先がぴくりとも動かなくなった。呼吸器が麻痺したのか妙に息苦しい。むしろ、息をしていると言う自覚をする脳が働いていないのかも知れない。短く浅い息を繰り返すゼンを見つめるカミユの唇がゆっくりと吊り上がって行く。 「……っ…!」 異様な空気を感じ、ファナが二人の間に割って入った。一瞬正気を取り戻したゼンの唇から声が漏れるが、気が付いた時には既に、茶色の瞳に睨み付けられていた。明らかに憎悪を孕んだ目だった。 「ぁ、…あぅっ…」 足が竦む。 音が遠くなる。 息が出来なくなる。 胃が締め付けられ吐き気がする。 視界までもが霞んでしまった。 揺れる視界でカミユから手が伸びる。このまま首を絞められるかも知れない。頭では恐怖を感じながらも、それに抗うための気力が生まれない。そして、左頬に衝撃が生まれた。遂に視界が真っ白に染まり、次には真っ黒になる。頬には刺す様な痛みと熱だけが残された。 「ファ―――うぁっ!」 ファナが状態を理解する前にゼンが駆け出そうとしたが、目を逸した隙にカミユの拳が下腹部を奇襲する。痛みに耐え兼ねて膝を付けば、背中に衝撃を受けて地面が近くなる。起き上がろうとした時には既にカミユに背後を取られ、頭には冷たい鉛の感触を感じていた。 「っ…」 右腕を後ろに締め上げられ、痛みに耐え兼ねてゼンの喉から低い呻き声があがる。 「ゼン…!」 ふらつきながらも立ち上がったファナが駆け寄ろうとしても、 「動くな!」 銃口を向けられ遮られてしまった。 「動くなよ…」 カミユが静かに繰り返す。荒々しい行いとは裏腹に、ゆっくりと諭す様な声音で彼は言葉を紡ぐ。 「あんたたちには一晩猶予をやるよ。その内に考えれば良い」 「っ…な、にを…」 「何を?聞かなきゃ分からないか、あんたは賢いくせに?」 「くっ…」 腕を絞める力がより一層強まる。しかしそれは肩が外れてしまう寸前の的確な力の込め具合だ。ゼンが暴れたり腕に力を入れるだけで駄目になる。それが分かっている以上、ゼンも逃れることが出来ずにただ痛みに耐えじっとしているしかなかった。 目の前のアスファルトに、ゆっくりと影が広がる。人の――カミユの気配が近くに迫ってくる。のしかかる体重も前方へ移動し、胃に圧迫感が押し寄せた。 カミユの顔がゼンの頭のすぐ斜め後ろで止まった。温かい空気を感じ、次には囁きが鼓膜を震わせる。 「俺はあんたたちを狙う。けれどこれは俺の意思じゃない。誰が狙っていると思う?賢い頭を働かせて、最善で明快な答えを導き出せるか?」 くつくつと喉の奥で笑う。 「ただ一つの真実は…、俺の心が硝煙の匂いと血肉の赤みを欲していることかなぁ。分かるか、その意味が」 「…お前が、頭のイカれた野郎だって…ことなら、十分分かったさ…っ」 「雰囲気に似合わず随分と噛み付いてくるんだな…。そんなに彼女が大事か?」 「………」 「だんまりか」 刹那、銃声が響いた。硝子が割れた時とは違い、音を立てて薬莢が破裂する。 「ファナっ!?」 慌てて視線を巡らせば、驚きと言うよりは状況の飲み込めていないファナが呆然と立ちすくんでいた。不安定な視界でくまなく見てみるが何処にも外傷はない。そしてカミユの差し出す銃口が別の方向を向いているのが見えた。カミユの唇から、「やっぱり」とからかう様な声が漏れる。ハメられたことに気付き、ゼンは短い舌打ちをした。 「俺にとっては別に、彼女がどうなっても良いんだ。依頼人の意思は尊重しようなんてポリシー持ってないからさ。俺が楽しければ良い。俺が詰まらなけりゃ、楽しめるように人だって殺すのさ。それで報酬がもらえなかったりしたこともあるんだけどさ…金じゃ興奮しないだろ?……ああ、言ってなかったな。俺、『アイ・エフ』の中でも裏担当ね。規則は破ってないよ。きちんと依頼だからね。私欲じゃない――いや、交ざってるか――どうでも良いけどさ」 「………い、…」 「ん?」 「う、るさい…」 「………」 「っ!!」 銃口が、後頭部にあてがわれる。それと同時に腕の拘束が解かれたことで、身体が少し自由になる。痛みの緩和に息を吐く暇もなく、今度は冷や汗が背中を流れ落ちて行く。刺激しない程度に小さく身を捻りカミユを見上げると、彼は鉛の様に冷たい瞳でこちらを見下ろし、唇を歪めて笑っていた。 「俺が本気を出したらあんたなんか、明日には生きてないんだって…分かってる?」 「……」 「一晩だ…、それ以下もそれ以上もない」 身体が軽くなった。影が遠のく。見上げると、銃口をこちらに向けたままのカミユが後退りをしている。やがて笑顔を浮かべたまま、角に消えて行った。 「……」 頬に付いた砂を払い落とす。 手に浮かんでいた汗が、頬を少しだけ濡らした。 [*前へ][次へ#] [戻る] |