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Marijuana




 次の日、さっそく三人は街へ出掛けた。追われている身であるファナは人目につくことを渋ったが、ナズナが強引に引っ張り出したのだ。服や食料を買いに行くのだと言う。だが、トキの意見で万が一に供えて深々と帽子を被りゼンが幼い頃着ていた服を借りて、男装した。
 未だにぎこちなさは残るものの、全員が全員、それなりに気を遣って均衡が保たれている。ファナが彼らを不幸にするとは言ったものの、はっきりとした不祥事はまだ起きていない。それが幸いといった所だろうか。もしゼンとファナが初めて会った時の様なことが―――それ以上に危険なことが起これば、それすらも一瞬で崩れてしまうのだろうが。
 昨日の晩から既に、ファナの過去を探る様な話をしてはいけないと、誰も何も言わぬままに制約が出来ている様だった。それでは何も根本的に解決しないことを重々承知だ。しかし、臭いものには蓋の原理が働いたのか、誰も敢えて首を突っ込もうとはしなかった。何より、情のままに匿った彼女の後ろに何があるのかを直視することを恐れていたのかも知れない。
「わあ、…」
 すれ違う人間から顔を隠す様に俯きながら歩いていたゼンは、突然上がった感嘆の声に、意識を外界へと戻した。いつの間にか荒れた街道を抜け、大きな隣り街に出ていた。排気ガスを吐き出して走る車や様々な音楽で賑わう、スラム街とはかけ離れた通りをファナが輝くまなざしで見つめている。
「こう言ったものを見るのは初めて?」
 くすくすと笑いながら尋ねてきたナズナに、ファナは長い緋色の髪を揺らしながら大きな素振りで頷いた。いざ出掛けてみると、見方が変わったらしい。大分と興奮している。
「はい。ずっと廊下にいましたから。逃げている間も、下ばかり向いてて…」
 うっとりと町並みを見つめているファナは、自身がどれだけのことを言ったか分かっていないのだろう。悲しげな顔をしたナズナが口を噤んだのにも気付かず、小さく感嘆の声をあげている。
「こんなに、空は広かったんですね…」
 心の底から呟いたファナへ、黙り込んでしまったナズナの代わりにゼンが声をかけた。
「もう少し、天気が良ければ良かったんだけどな」
「そんなことないです。全然…とても、綺麗ですよ…」
 光輝くネオンの看板や、使い古された街頭に埋め尽くされた空を見て、ファナはもう一度「本当に、綺麗」と零した。
 ゼンにとってこのざわついた空気は場所は違えど故郷の筈だが、今となってはなかなか肌に慣れなくて居心地の悪い感じが残る。そして遠い記憶が蘇ってしまう。それは何よりゼンにとってはつらいことで、それでも、ファナが喜んでいるのだと思えば、それすらどうでも良い気がした。
「あ、ここだよ、ここ!ここで俺、働いてんの」
 その時、トキが駆け出してとある看板を指差した。全員の視線が集中するそこには、『アイ・エフ』と流れる様な字で店名が書かれている。下にはテラスがあり、数人の客が楽しそうに話していた。
 そう言えばトキから聞いたことがあるな、と、ゼンは遠い記憶を揺り起こした。
 そこは、外から見ればただのカフェだ。そして中に入ってみても、一般人にはカフェにしか見えない。ただ特別な会員証を見せれば、裏世界へと繋がる情報の機械へ辿り着くことが出来るのだ。『アイ・エフ』とは、『インフォメーション・フロント』の略称で、幾つかの街に店舗がありそれなりに活用されているらしい。そこでトキが働いているのだ。
「ここで何をしているんですか?」
 素直な感想を漏らしたファナに、ゼンも無言で同意した。店の説明を受けたことはあったものの、実際何をしているか見せてもらったことは無かったからだ。そのまま回答を待てば、トキは困った様に頭をかいて唸る。
「うーん…説明するのは難しいなぁ…細かいこと言ったら、上に怒られそうだし。取り敢えず、沢山の情報を扱って、それを利用して依頼主の要件を満たすんだ。それが満足いく結果なら、お金がもらえるって感じ?」
「私たち、生活の殆どはトキに助けてもらってるものね」
「そんなの任せろって!最近は大きな仕事も任せてもらえるようになってさ。自分一人養うのも三人養うのも一緒だよ」
「養う、なぁ」
「俺にもおっきい子どもが出来たもんだよ」
 ははは、と朗らかに笑うトキにつられて、ゼンやナズナも笑った。馬鹿なことを話して、馬鹿みたいにずっと笑っていれば良い。それが自分たちには似合うと、ゼンは思う。真面目な話をするのは、本当に危険になった時だけだ。だが、まだその時ではない。だからこそ、ゼンはナズナの手に引かれるままに近くの洋服店に入った。後ろをゆっくりと着いてくるトキとファナを確認して、更に奥へと入っていく。崩れてしまわないことを強く望みながら、崩れてしまう時のために今をより一層楽しんで生きる。それが、厳しい状況に身を置く人間たちの志だ。
「あの…」
 店の中に流れる優雅な音楽を聞きながら、ファナが口を開いた。それは隣りにいるトキだけに向けられたものだったが、瞳は厳しい色を孕んで服を眺めて回る二人を見つめている。
「トキさんは…、こう言った大きな街に住みたいとは、思わないんですか?」
「え?」
「わざわざ苦しい生活をしなくても、一人で生きていくには十分なはずでしょう?」
「…俺は、思わないよ」
 それはきっと、同じ様に厳しい生活を体験してきたファナだからこその問いだったのだろう。だが、トキはゆっくりと首を振った。そして同じ決意を再び口にする。
「この生活が苦しいとは、思わない」
「どうして…」
「俺はさ、こう言った賑やかな場所は苦手なんだ。…ゼンやナズナがいるあの家が、一番居心地が良い」
「……」
「俺はそこが大好きで、それをずっと守りたいって、思ってるから」
「…そう、ですか…」
「それに、俺はそう言った都会的な考え方、すごく苦手なんだ」
「っ…、すみません…」
「だから、俺たちと過ごして、少しでも変わると良いなと思うよ」
「…、はい…」
 そう静かに諭されて、浅はかな考えしか持てていなかったとファナは後悔した。栄えた街にありながら、むしろ寂れていたのはあの牢屋で、せして、自らの心だったのかも知れない。
「……」
 俯くファナの肩に、トキは続いて声をかけた。
「俺は、この仕事してて良かったって思ってるよ。ナズナや、ゼンのためになる。それに、キミのことも、何とかして助けられるかも知れないからね」
「…!」
 いくら貧しい生活であろうとも、心豊かな人間はいくらでもいると見せつけられた様だった。
「ありがとうございます…」
「いつか、キミの過去について聞く時が来る。嫌な記憶かも知れないけど、きちんと話してくれる?」
「……、はい」
「うん。良かった」
 トキが、柔らかく笑った。それは人を安心させるのに十分な笑みで、だからこそ彼らは何年もずっと暮らしてこれたのだ。
「………」
 そんな会話を不意に聞いてしまったゼンは、ぐっと唇を噛んだ。全てを聞いた訳ではないが、今までの安定していた均衡を崩してしまったのが自分だと再確認させられた気がした。ナズナがトキとファナの場所へと戻って行ったが、なかなか同じ様に帰れない。
 昔のことを思い出していた。大きな街を捨て、初めての荒れた土地に戸惑っていた頃。手厚く歓迎してくれたナズナに、初めは渋ったトキ。そしてやはり最後には、今になっても良くしてくれている。
 それなのに、自分は自分のエゴを通してしまった。恩を仇で返してしまったのだろうか。
 罪悪感に包まれたゼンが、深いため息を吐いた。しかしそこに届いたのは、いつも通りの明るい声だった。
「ゼンー!」
 トキが、笑顔でこちらに来ていた。そして、咄嗟に心配をかけまいと無表情になるゼンへと、ある物を差し出す。何かのカードだ。
「…、なんだ?」
「『アイ・エフ』の俺の会員証、渡しとくから」
「…?」
 眉を顰めて疑問を表したゼンに、トキは言う。一瞬、後ろのファナをちらと見てだ。
「色々、調べものに必要かなってさ」
「…有り難いが、そうしたらお前が…」
「大丈夫、大丈夫。俺はほら、もう顔パスで行けるくらいちょー有名人だから」
「だったら、バレるんじゃ…」
「それは受付を機械ですませれば良い話さ」
「あ、ああ」
 いかにもトキらしい話だと思い、無意識に笑みが漏れた。普段はちゃっかりしているが、いざとなれば誰よりも頭が切れて頼りになる。カードも幸いなことに身分がバレてはいけないと証明写真が無かったので、ゼンは安心してそれを胸ポケットにしまった。
 安心はそれだけでは無かったのだろうが。
「しばらく、ここに入り浸ることになりそうだしなー」
「大きな仕事が入ったのか?」
「………まあ、そんなとこ」
 困った様に笑うトキの背中に声がかかり、振り返ればそこには笑顔で佇む少女が二人、手を振っていた。




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