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Marijuana




「…あれくらいだっけ」
 雨が屋根を叩く音が鮮明に聞こえるなか、扉が閉まった途端にトキがそう口を開いた。突然の言葉に、ゼンが眉を顰める。
「………なにがだ?」
「歳」
「は?」
「ゼンの妹だよ。生きてたら…」
「妹の話は止めてくれ」
「……、…悪かったよ」
 静かに言葉を遮られたトキは、無表情なゼンを見て、気まずそうに視線を床の木の目に向けた。
 パタパタと雨が跳ねる音だけが、二人の間を取り持つ糸の様に張り巡っている。
 背に感じていた、歳の割りには軽い少女の体重に、ゼンの思考はずっと昔を思い出していた。重さだけではない。彼女を見つけてからずっとだ。
(リリィ…)
 確かに、今はもう、あれくらいの歳になっていても不思議ではないだろう。だが、その姿すら、今ではもう見れないのだ。思い出したくない記憶のはずであるのに、ジリジリと焼け付く様な感覚が脳内にこびりついて取れない。ノイズのかかった数人の笑い声に、ふわふわと揺れる不明瞭な映像。どれだけ身体が成長しようとも、『あの頃』に取り残された心だけが、やはり子どもの様に残りだだを捏ねている。それはまるで傷の上に張り付いた、修復の意味を成さないかさぶたの様に感じた。
 フローリングの木の目を数える様に足元を見つめて堅く口を閉じる。
 風が唸り、雷が響く。
 それに交じり、中から呼ぶ声がした。
「入ってきて良いわよ」
 何処か、固い声だった。
 しかし、ゼンにはそんなことに気付く余裕すら無かった。無言のまま顔を見合わせて、トキから順に中へ入って行く。それほど時間はかからなかった筈だったが、ゼンにとっては息苦しい程に長く立っていた気がした。
 二人を再び部屋へと招き入れたナズナの表情は、深刻そのものだった。声を聞いて察することが出来なかったゼンも、何かあるのかと簡単に気付くほどだ。
 眉を寄せて、途端に険しい顔つきになった。
「どうした」
「……言いにくい、こと、なんだけど…」
 ポツリと零した声は、今にも雨音に消えてしまいそうな程小さい。しかし人一人分の体重を受けてキシキシと軋む床板の音だけは明瞭に聞こえ、何故か言い知れぬ不安感に襲われる。
「見間違いかも、知れないし…。私もはっきり見た事あるわけじゃ、ないし…」
 言い渋るナズナの視線が、ちらちらと何度もソファの上を移動していた。少女に何かあったのだと、瞬時に理解する。出所の分からない焦りに背を押され、ゼンはソファに近寄った。小さなテーブルの上には少女が着ていたであろう白い服が、フードに包まれて置かれている。変わりにソファで横になっている少女には、ラフなシャツが着せられていた。
 見た目からは、何があったかなど分からない。理解出来ないと言った風に無言でナズナへ視線を送ると、彼女は観念した犯罪者の様に、肩を竦めた。
「これよ…」
 ナズナの指が、シャツの襟から覗く細い首筋を通る緋の髪を梳いた。滑らかなその動きが、見ているだけで身体付きとは違い柔らかな印象を与えた。
 その瞬間、無駄な考えを一気に振り払い、部屋中の視線が一点に集中した。
「痣…?」
 首筋に浮き出た痛々しい程の真っ赤な痣。緋色の髪に紛れて見落としてしまっていたそれは、少女の身体に散らばる小さな傷とは比べようもない程に大きなものだった。
「包帯が巻かれてて…怪我してるのかなと思ったら、…違ったのよ…」
 そうだ。
 これは、傷ではない。
 ゼンが零した様な痣でもない。
 全員の考えが一致していた。
 その痣が形取るものは、まさに枯れた薔薇。
 知る人ぞ知る。
「死を呼ぶ、烙印…」
 トキの唇が象った言葉に、ゼンは息を飲んだ。
 死を呼ぶ烙印、呪われた印――呼び名は数えられない程ある。しかしそれに反比例して、実際にそれを身に付けて生まれてくる人間は、空想だけだと伝えられてきた。
 その痣を持つ人間の周りには、必ず不幸が起きる。事故、大きな怪我、疫病、死。それらの不幸が、際限なく巻き起こされると言うのだ。
 そう言った人間が過去に存在したらしいが、大昔のことだ。今では思い出した時に語り継がれる程度の事象が、目の前で起きている。
 にわかには信じがたい事柄であった。
「この、小さな子がか!?」
「小さい小さくないは問題じゃないよ」
「それなら、ゼンの上に突然レンガが落ちてきたのも解るわ…」
 少女に何かあったわけではない。
 少女自身が、問題だったのだ。
 ナズナとトキの、少女を見る目付きが怯えを含む。彼らの間の僅かな空間すら、大きな溝に見えてしまう程だった。
 このまま黙っていれば二人のどちらかが発するであろう言葉を予想して、無意識にゼンは少女を弁護する。
「でも、この子が俺を助けてくれたのは事実でっ…」
「こう言った特殊な痣を持つ人間は、高値で売り買いされてるんだ」
「トキ…?何言って、」
「何処からか逃げて来てるんだ。もしかしたら、ヤバい所からかも――」
「うっ…、ん…」
 不意に、小さく空気が振動した。
 まるで見つかってはいけない話をしていたかの様に、それが見つかってしまったかの様に。
 小さく聞こえた呻き声に、息を止めて三人はソファを振り返った。
 この空間で唯一音を発している小さな身体がゆっくりと動く。薄く開いた瞼からは、エメラルドグリーンの瞳が覗いた。
「こ、…此処、は…?」
「………」
 宙を彷徨った後にたどり着いた固体の三人を拘束する様に見つめる双眸。
 沈黙が耳を打った。
 困惑を伴いつつも警戒した表情の少女を見て、心の痛まない人間は数少ないだろう。絶え切れないその感覚に、ピリピリと痛む喉を無理矢理剥してゼンは口を開いた。
「此処は俺たちの家だ」
「貴方は、…」
 記憶の端に残っていた気絶する前の情景を思い出したのか、少女は警戒を更に強めた。ソファの上の小さな身体を更に縮めて身構えている。
「気絶していた貴女を此処まで連れて来たのよ。何も危害を加える気はないわ」
 険しくなった少女の瞳の色に、ナズナが一歩前に進み出た。その唇は、先程の雰囲気からは一転して、安心させる様な優しい笑みを浮かべている。ほんの少し残った戸惑いは、必要以上に喋らないことで隠している様だった。
 しかし、少女はそんなナズナの姿を、一度足りとも見ていなかった。自らを覆うローブが無いこと、そして衣服すら変わったことに気付く。慌てて首元に手を寄せ、途端に、掌に当たる生首の感触に顔を青くした。
「あっ……!」
 そして、ナズナが小さく声を零した瞬間には、ソファを下りて、部屋の角に向けて走って行った。それはおぼつかない足取りで、完全に角に行くまでに何度も物にぶつかている。その必死な様子に、残された三人は口も聞けずにいた。
「あ、貴方たちっ、私のっ…見たの?見たのよねっ…?」
「見たって、痣のこと?」
 ナズナが静かに問うと、少女は一瞬息を詰めた。隠していた所を見ると、少女自身、その痣が何の意味を持つのかには気付いているのだろう。
「それ、本物なのか?」
「止めて!近寄らないで!」
「っ…!」
 険しい顔つきで近付いたトキに、ヒステリックに叫ぶ少女が手近にあった硝子瓶を投げ付けた。それはトキの足元で割れ、彼女が拒む通りに進行の妨げになる。しかし、少女の方を見ればその顔は哀しみに溢れていた。
「あっ…、ご、ごめんなさい…」
 弱々しく謝る少女。
 ヒステリックになったり、かと思えばしおらしくなる少女に、ゼンは戸惑いを隠せなかった。何が彼女を不安定にさせているのか。
 意図せずして痣のせいで相手を傷付けてしまう体質のせいで、他人を傷付けることに異常に怯えている様にも見えた。
 そしてその予想が正しかったのか、今までは手負いの獣の様だった少女は震えて、角に固まってしまった。
「だ、大丈夫よ。貴女をどうしようなんて、考えてないから…」
 慌てて優しい声を出すナズナに、少女は顔を上げた。次に、無言で立ち尽くしているゼンを見る。最後に、トキを。元より、少しの畏怖はあるものの、敵意など見せてはいないし邪な感情すら抱いていない。
 しばらく沈黙が続いた後、恐る恐る警戒を解いた少女が尋ねた。
「貴方たち…、本当に、私を売ったりしないの…?」
「そんなっ、売るなんて…」
 幼い少女の口から出た聞き慣れない言葉にその先の言葉を失ってしまったナズナの後を次いで、ゼンがやっと言葉を発した。
「同じ人間だ。そんなことはしない」
「………………そう、ですか…」
 未だ警戒しつつも、少女はやっと肩の力を抜いた様だった。




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