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Marijuana




「どうしてそこまでその子を庇う。特別な感情でも芽生えた?ならどうして特別な感情が芽生える。か弱いから?女好き?俺は考えたよ。馬鹿は馬鹿なりに。そしたらどうだ。良い考えが思い浮かんだんだ―――」
 カミユが言葉を区切る。
 息を吸う間も与えられずに続けられていた獰猛な叫び声からの静寂に、鼓膜が痛いほどに張り詰めた。
 猛禽類にも近しい瞳に、酷い嫌悪を覚える。薄く開いた唇からは真っ赤な舌と牙が見える。
「あまりにも悲惨なその子が、アンタは誰に見えてるんだ?」
「――!!」
 軌道を変えたカミユの攻撃に対応が遅れ、ナイフが弾かれた。
 弧を描いて後方に飛んだナイフは、アスファルトにぶつかり嫌な音を立てる。
 ゆっくりと体勢を立て直すカミユの顔には、勝ち誇った笑みが貼り付いていた。
 痺れを通り越して痛みすら感じる右手を抑え、ゼンはカミユを見据えた。視界の端には地面に転がったナイフをとらえておき、隙あらば飛びつけるようにと神経を使う。咄嗟ではあったものの、カミユの奇襲に反応出来たのならば、次もかわせると思った。どうせ避けられないだろうと、カミユの中に油断があったのだとしても、今度は本当に本気で来るのだとしても、どこかに傷を追う程度で済むかも知れない。完全勝利など初めから望んでいないのだ。肉を切らせたとしても、骨を断てればそれで良い。
 追い詰められたとしか言いようのない現状に対して冷静に対処法を導き出しながらも、ゼンは先ほどの言葉に動揺せずにはいられなかった。
 くつくつと喉を震わせるカミユに、怒りが増していく。
「黙れよ…」
 喉の奥から絞り出すようなゼンの声に、彼の心情が見て取れたのか、カミユは肩を竦める。それから、ナイフをゆっくりとした動きでベルトに戻した。事を荒立てたくないと言うサインなのかは知らないが、だからといってゼンに、転がった自らのナイフを諦める気はなかった。苛々とする脳が、早く掴めと信号を送る。
「可哀想になぁ…。自分の知らない誰かに重ねられて。守られてるのはキミじゃない。キミに似た彼の大切な人だ」
「黙れって言ってるだろう!」
「そうしてキミは、このひ弱な彼に守られきれずに――」
「お前に何が分かる!!」
「アンタの知らないことが、さ!」
 最後のカミユの言葉は、既に耳に届いてはいなかった。驚くべき早さで跳躍したゼンは、地面のナイフを拾い上げ、それに反応して飛びかかったカミユの一撃を弾き飛ばす。仕掛けた足払いを避けて飛び上がったカミユの隙を見逃さず、今度はこちらのナイフで斬りつける。手応えがあったと感じた次の瞬間には、腹部に重たい衝撃を受けて後方に飛ばされていた。
 咳き込むことすら忘れて叫べば、地鳴りのような声が頭に響く。
「誰から聞いた、俺の話を!」
「賢いお兄さんには考えてもらわなきゃ。俺は隠しごとが好きなんだ。そしてそれを暴ける人間はもっと好きだ」
 そして紡がれた醜悪な謎かけに、舌打ちをせずにはいられなかった。苛立ちを明らかにするゼンを、カミユは小さく嘲笑う。先程の手応えの正体か、彼の頬に一筋の赤が描かれていて、それを拭ったカミユはその手を服に擦り付けた。
 そんなカミユの姿を見据えて、ひたすらに思考を働かせる。しかしどれだけ分かれ道を増やそうとも、彼の苛立たしい問いの行き着く答えは二つしかない。
 リリィと逃げたあの暗闇の日々が脳裏を駆け巡る。闇を駆ける『彼ら』は、良く訓練されていた。それでもたかだか子ども二人を捕まえることが出来なかった理由とは何だったのか。まさか、逃げ惑う姿を嘲笑う趣味の持ち主だったのではないだろうか。カミユのような――いや、違う。ゼンはため息と共に首を振る。年齢が合わないのだ。どう見てもゼンと同じかそれより若いはずのカミユが、幼かった彼らを追う側にいたとは考えにくい。
 だったら、何故。
 彼らの一員ではなかったのならば。
 もし―――
 しかし、それはあってはならない衝撃の冗談だ。ぶるりと震えた身体を抑え、ゼンは必死にその考えを打ち消す。
 その時だった。
「ゼン!!」
 思考に没頭しすぎたゼンは、ファナの叫び声に我に帰った瞬間、頭部に重い衝撃を受けた。右から左への軸を無視した体重移動に、堪えきれなかった身体は強かに地面に打ち付けられる。
「!!」
 悲鳴を漏らす隙も余裕もなかった。何よりも頭への衝撃が酷い。地面に落ちていたはずの手提げが宙を舞う姿を、ぼんやりとした視界で見て取れただけだった。
 中に入っていたものがいくつか姿を見せたのを見た後で、視界は黒一色に変化した。
「素直過ぎるよ、アンタ」
 濁った笑い声が聞こえる。それから、肩に手があたる。身を硬くするが、手の小ささからそれがファナのものであると理解出来た。
 その瞬間、ゼンの意識は電源を落としたかのように、まるっきり消えてしまった。
「―――ゼン…?ゼン!!」
 ぐったりとしてしまったゼンを揺さぶるファナの手を、不意に大きな手が掴む。
「あっ…」
 それがカミユの手だと気付くには、あまりにも遅かった。怯え、気絶しているゼンの服を握るファナに、カミユは首を振る。
「本当に非力だ。女は弱いよ…。少し力を入れるだけですぐに壊れる。捕らわれても…抗う力がない」
 しかしその目に浮かんでいたのは、憐れみの色だった。放っておけば今にも泣いてしまうのではないかと危惧されるような、慈愛に満ちた柔らかい表情。
「死ぬほど強くは蹴ってない。この人が弱かったら別の話だけど…。揺らすのはやめた方が良い。暫く安静にしておいてあげなきゃ」
 それを確認出来たのは一瞬のことだったが、優しい響きの言葉に、ファナは素直に従う気になれた。この時ばかりは、彼も嘘を吐いていないと感じたのだ。近くに散らばっていた毛布をゼンの頭に敷き、背を向けるカミユへ声をかける。
「貴方…初めから、ゼンを殺す気なんて、なかったんじゃないの…?」
 その問いに、カミユが答えることはなかった。
 地面に散らばる荷物を丁寧な手つきで手提げに入れる背中を見つめ、ファナの胸には戸惑いばかりが大きくなっていく。誰かが何かを諦めた背中と良く似ていた。
「貴方は、本当は優しい人なのね…」
 不意に口をついて出た言葉だったが、嘘ではなかった。いくら蔑んだ瞳で見られようとも、直感を覆すわけにはいかない。
「優しい?鉄の塊が何より好きなこの俺が?」
「人の楽しみは、人それぞれだもの」
「満足に人として暮らしてなかった人間に言われたくないね」
「……」
「……、ほら」
 手提げを掴んだカミユの手が伸びてくる。受け取るとその手はすぐに引っ込んだ。
「このまま私を連れて行かないの?」
「それは俺の仕事じゃない」
「貴方の仕事は何?」
「俺の仕事はもう終わった」
 言葉数少なに返される応えは、もうこれ以上の会話を望んでいるようには聞こえなかった。しかしカミユはファナを見下ろしたまま、じっと佇んでいる。
 不思議と、それに恐怖を感じることはなかった。落ち着いた気持ちで、相手の目を見返すことが出来る。
 カミユの唇が動いた。
「可哀想な奴らだよ、アンタたち」
 慰めか、憐れみか、本気か、ただの気紛れか。
 呟かれた言葉に対して、ファナは自然に首を振っていた。
「それでも私は、この人と出会えて、『人間』になれたと思うわ」
「……そう」
 やはり短く応えるカミユの顔に、表情はなかった。
 背を向け歩き出す姿を、引き止めはしない。
 これ以上の接近はない。血を見たことを除いては、ただ擦れ違って言葉を交わしただけの他人と一緒なのだ。
「……」
 呻きもしない、微かに吐息を漏らすだけのゼンを見下ろして、ファナはじっとその足音に耳を傾けた。やがてそれは消える。同じように、違う誰かの足音も、いつしか消えるのだろう。
 風が吹いた。
 揺れたゼンの前髪をそっと払う。
 それから銃声が響いたのは、間もなくのことだった。


   ***


 地面を跳ねた空薬莢が宙を何度も舞う。
 代わりに、湿った呼気が荒く響いた。
 地面には赤が広がって行く。いつも遠くから眺めてばかりいた光景に、なんとなく感嘆しながらそれを見ていた。生きる人間の身体にはこれだけの激しい色が駆け巡っている。
 大嫌いな自分のものでも、それだけは、ひどく綺麗に見えた。
 地に垂れていた頭をもたげれば、薄霧のかかった視界の向こうで男が一人佇んでいた。静かにこちらを見下ろしている。
 その姿は、笑っても怒っても、泣いてもいなかった。




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