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Marijuana




 ゼンが少女を背負い、ナズナは時たまずり落ちる少女の背中を抑えながら、二人は歩いた。夕方を過ぎると道には野良犬が増え、ドラッグに溺れた人間たちが屯する時間帯だ。それに対する緊張感からか、厄介事を抱え込んでしまった不安からか、二人は始終無言だった。それでも、辺りの不穏な空気に怯えた様に着いてくるナズナからあまり離れない様に、ゼンは歩調を合わせてやる。人一人背負っているとしても歩調が早いのは、幾分が背の高いゼンの方だったからだ。
 そうやって自分たちがいつも生活している寝床へと帰ってきたのは、空に細々とした星が瞬き始めた頃だった。
「あれ…?」
 荒んだ大通りから随分と外れた場所にあるその家は、お世辞にも綺麗とは言い難いが大きい。入り組んだ場所にあるせいか他人に見付かりにくいのも良い点だった。
 そんな我が家の玄関が見える位置まで来た時に、不意にナズナが小さく声を零した。ゼンの足も必然的に止まる。
 それは簡単な理由からで、誰もいないと思っていた家に電気が点いていたからだ。
「…トキが帰ってるのかしら?」
 ほんの少し緊張した声音で、ナズナがゼンに尋ねた。僅かながら、声の大きさも控えられている。荒れた場所では空き家に何者かが忍び込み盗みを働くなど日常茶飯事だからだ。そこへ、捕まえよう、追い出そう、などと入り込んでしまえば、会わなくて良い危険に遭遇してしまうかも知れない。長年此処に住み続けて、その危険を知っているからこそのナズナの行動だろう。
「だったら良いが…」
 ゼンも、そう短く答えるだけで、注意深く家の中へと視線を送っている。
 先程からナズナが口に出す『トキ』と言う人物は、長い間一緒に暮らしてきたもう一人の仲間だ。この家を始めに見つけて来たのが彼で、それからは何となく、家の主導権は彼が持っている様なものだった。
「入る?」
「……ああ」
 中で何かが動く様子がないために、不法侵入者が入っているのか分からない。それに、見つからないための好条件を満たしているこの家のことを考えれば、主人が帰っていると考える方が当たり前だろう。
 ナズナの言葉にそれでも緊張を崩さず頷いたゼンは、ナズナに玄関のドアノブを捻ってもらった。鍵のかけられていないそれは、軽い音を立ててゆっくりと開く。
 泥を落とすためのマットが目に入り、それからは各部屋へ伸びる、長くはない廊下が続いている。そして、奥から二番目に位置するダイニングから漏れた光が、暗い廊下を照らしていた。
「…」
 中から物音はしない。
 しかし、肌に張り詰めた緊張感が、容易に安堵することを拒む。目配せだけで先に行くことを告げたゼンが、少女をナズナに預けて一歩踏み出した。古い床が出来るだけ軋まない様に努力する。
 一歩、また一歩。
 そして、勢いを付けて開け放されたダイニングの扉をくぐった。
 目に入ったのは、テレビを背にこちらを向いている茶色の髪を持った男だった。ソファの背もたれに肘を置き、顎を掌で支える状態で満面の笑みを浮かべている。
 見慣れたその満面の笑顔に、ゼンは小さく笑みを浮かべて声をかけた。
「ただいま、トキ」
「おかえりー」
 へらっと緩んだ笑みを浮かべたトキが、手を揺らす。
「もーすっごい緊迫した空気だったよ。ゼン、鋭さ上がった?」
「お前が嫌に静かにしてるからだろ。もっと、いつもらしく賑やかにしてろよ」
「えー。こっちが素じゃん」
「良く言うよ」
 きっと、トキも侵入者に対して緊張していたのだろう。お互いに緊張を緩めるために、どうでも良い言葉を交わした。飄々とした態度だが、此処で生きている人間であるせいか、トキもかなりのやり手なのだ。本気までを見たことはないが、何度かそう言ったトキの素質に助けられたことがある。何より、トキとナズナは、ゼンよりも長くこの土地に住んでいる。
 笑みを見せるゼンは、しかし自分の掌に浮かぶ汗を感じていた。
「ちょっと、ゼン」
 その時、暗がりから呼ぶ声にあることを思い出した。
 ソファの上から、トキが身を乗り出す。
「なになに、何かでっかい拾い物でもしてきたの?」
「……」
 少なからず――むしろ大半当たっているトキの言葉に、ゼンは返す言葉が見付からなかった。片眉を上げて、変な顔を作ってしまう。それを見たトキが、拍子抜けした様な顔をした。勘の良いトキのことだ、それで全て悟ったかも知れない。
 気まずくて、ゼンは黙ったまま廊下を逆戻りする。後ろでトキが小さく声を上げたが、とにかく放置しておいた。
 玄関まで戻ると、ナズナが少女を抱えたまま座り込んでいた。自分より小さな身体とはいえ、女の細腕で長時間それなりに成長済みの相手を支えていることは無理だったのだろう。
「悪い」
 短くそう言ってナズナの腕から少女を受け取ったが、やはりまだ目を覚まさない。そのまま黙っていると、
「駄目、だった…?」
 そう、ナズナが聞いてきた。
 どうやら、彼女が心配する程に堅い顔をしていたらしい。また何とも言えずに眉をしかめると、ナズナは小さくため息を吐き、腹を括った様に「よし」と小さく呟いて、大股で廊下を歩き出した。説得するつもりなのだろうか。
 後に、無言のままゼンも続く。
 ほどなくして、向こうではナズナとトキが会話を始めた。
「あ、お帰り、ナズナ」
「ただいま、トキ」
「ゼンと一緒だったんだ?」
「…途中で、ばったり会ったのよ」
 腹を括った割りには、逃げ腰な言葉だと思った。
 連れて帰ると言い出したのは確かに自分だ。諦め半分でため息を吐いたゼンは、それでもトキを説得するために再びダイニングへと足を踏み入れた。
「オレなんて今日、すっごい仕事忙しくってさぁ〜」
 朗らかに笑うトキの声が、柱の向こうから現われたゼンが背負っているフードの少女を見て、一瞬で止んだ。
 数回瞬き、ゼンと目を合わせ、フードの少女を見つめて首を捻る。その際、ナズナの目線は何処か遠くを見つめていた。
「あれ、何その大荷物…」
 トキの質問に対して、ゼンも気まずそうに視線を逸らす。
 一瞬間の沈黙。
 トキが、笑った。
「まさか本当に拾ってきたなんて」
「……」
「ま、…まじで?」
「…ああ」
 頷く勢いで視線を外したゼンに、トキの笑みが消える。一気に真面目な表情になったトキが、ソファの上から身を乗り出した。
「いや、ああ…って。犬や猫じゃないんだぞ?」
「それは承知の上だ」
「じゃあなんで、…」
「………」
 咎める様にソファを下りて詰め寄って来たトキに、居心地が悪そうに口を噤んだゼンは、自分の薄汚れた靴に視線を落とした。
「俺にも、…解らない」
 うなだれるゼンに、トキも二の句が繋げられないのか数度口を開閉した後、大きく息を吐いて黙り込んでしまった。
 今にも切れそうな電球がチカチカと瞬きながら、沈黙の降り積もった暗い部屋を照らす。外では雨が降り始めたのか、雨粒が柔らかく窓を叩く音が聞こえた。
 誰も目を合わせない空間が、居心地が悪くて仕方ない。その空気を変えるために、今まで黙っていたナズナが手を叩いた。口元には僅かに引きつった笑みを浮かべている。
「と、とにかく、この子を寝かせてあげましょ?いつまでもゼンが抱いてちゃ、重たそうだし…」
 ナズナの言葉に、トキは渋々と言った表情で小さく頷いた。
「取り敢えず此処に寝かせなよ」
 部外者ではあるが、か弱い少女を放っておく事には気が引けるのか、協力的になったトキは自らが座っていた少し幅のあるソファを譲る。それを見届けた後、ナズナと軽く視線を合わせたゼンは頷き、少女を丁寧に寝かせた。そして未だ静かに眠るその姿を、ゼンはじっと見つめる。
 実年齢に釣り合わないやつれた顔は、少女がどんな生活を強いられてきたのか用意に想像出来た。細かく走った傷跡、目の下に浮いた濃いくま。手に触れてみれば、本来はふっくらしているはずのそこが、堅い骨に皮だけが張り付いている様に感じる。
「どんな子なのかは知ってるのか?」
 対面式のキッチンに立ったトキが洗面器に湯を注ぎながら、そう尋ねてきた。狭い視界からチラチラと何度も少女を眺める様子では、かなり警戒しているらしい。
 しかし、ゼンたちも事情を知らないために何も答える事が出来ずにただ首を振るしかない。
「じゃあ、知らないけど連れて来たって?」
 ナズナに洗面器が手渡された。
「起きてから事情を聞けば良いじゃない。帰る所があるならそれで良いし、今後の事はそれからで…、ね?」
「…オレとしては、面倒臭いことにならなきゃそれで良いけど…」
「ありがとう」
 ナズナが告げた言葉が望み薄なのは、誰にも見て取れた。まだ不満げな顔をしながらも、ナズナの感謝の言葉にトキはそれ以上話さなくなった。無言でナズナにタオルを渡し、廊下へと足を向ける。
「じゃあ、今から着替えをさせるから」
 そう言ってナズナにダイニングから追い出された時には、随分と雨はひどくなっていた。




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