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Marijuana




 路地裏を歩き回った後、やがて辿り着いた小高い丘の上にシートを広げた。空を、鳥が呑気な鳴き声をあげながら横切って行く。抜けて来た裏道は荒廃そのものだったが、此処は別世界の様にのどかな場所だった。
 日頃周囲の風景を見る余裕などなかったゼンは、ランチバックに入っていたサンドウィッチを頬張りながら、吹き付けた強風に目を閉じた。耳に伝わってくるのは風の音、それに促されて擦れ合う木々の音、自然に住む動物の声、そしてゼンたちの生活を変えた二人の会話だけだ。荒々しい足音もなければ、獣の唸り声さえ聞こえない。
 咀嚼も中途半端にぼんやりと空を仰ぐゼンを不思議に思い、ナズナが顔を覗いた。
「どうしたの、ゼン?」
 陽光に透けてきらきらと光る金色の髪を見てふっと柔らかく微笑んだゼンは、初めて見る彼の安らいだ笑顔にトキやナズナが驚いているのにも気付かず、その胸の内を晒した。
「ここなら、リリィも幸せに生きていけるかも知れないと思って…」
 本心からの呟きだった。
 しかしその言葉を聞いた途端に、目を丸くしていたトキが「あーあ」と投げやりに言ってシートの上に寝そべる。
「お前ってば、いつもリリィちゃんのことばっかりだな」
「…そうか?」
「そうだよ。口を開けばリリィ、リリィリリィリリィ」
「それは、………そうかも知れないな…」
「……」
 いつもと違って口論まで発展する様にも見えず、調子の狂ったトキは閉口した。普段は飄々としたトキは、こう言った真面目な空気が苦手らしい。楽しいことを一番とする彼は、落ち着かない様子でそっぽを向いた。
 端で拗ねるトキを見て苦笑を浮かべたナズナは、自らもサンドウィッチを頬張りながら言う。
「なら、今度はゼンの幸せを探さないとね」
「俺は、リリィが幸せならそれで良い」
 そうゼンが返せば、「シスコン」とトキが囁いた。
「なっ…!」
 流石にかっとなって息を飲んだゼンに、トキが顔にしてやったりと言った笑みを浮かべてシートに腹這いになる。
「リリィがお嫁に行ったら、お前、どうするんだよ?リリィの幸せ、リリィの幸せって言って、死ぬまで追いかけるつもりか?」
「そんなこと…!」
「オレだったら、結婚相手のお兄ちゃんがいつまでも見張ってるなんていやだな〜」
 言葉のわりにはくすくすと楽しそうに笑うトキに、ナズナが首を傾げた。そして言う。
「トキはリリィちゃんと結婚するの?」
「え!?」
「だって今、結婚相手って――」
「し、しないっての!オレはっ…」
「オレは?」
「オレの、す、好きな子はっ……………ま、…まだ、…いないし…」
「ふうん。トキってば淋しいね」
「っ、だったらナズナはどうなんだよ!」
「私?私は…………言わない!」
「何だよそれ!いるのか!?何処の誰だよ!?」
 必死な表情で詰め寄ったトキに、不意にナズナが苦笑を漏らした。始めは抑えていたが、やがては堪え切れずに大きなものになる。男たちは揃って唖然とした表情で目配せをし、ナズナを見た。
「どの道、トキもゼンと同じよね!」
 誰よりも表情を良く変える彼女が笑っていると、自然と男たちにも笑みが浮かんでくる。トキが頭に乗ったままの葉に気付かないのも、鳥が空で変な鳴き声を上げるのも、何もかもが面白かった。
 三人は、その時揃って大合唱の様に笑い合った。
「でも、そうね。トキの言う通りよ。ゼンはいい加減、自分本位のわがままを覚えた方が良いと思うわ」
 最後にナズナが苦笑紛れに言った言葉に難しい顔をして真面目に考え出したゼンに、また笑い声が漏れた。


 三人が帰宅したのは日が少し傾いてからだった。あれから周囲の探検をしたために、長い道のりを帰って来た頃には身体はくたくたになっていた。しかし気分はひたすらに高揚していて、精神的な疲労は全くない。帰ればリリィにアレを話そうコレを話そうと、話題はいくらでも沸いて出た。
 玄関に続く石畳の階段を上りながら、未だ笑みの漏れるナズナが可愛らしいキーホルダーの付いた鍵で家を開ける。
「ただいま」
 玄関を覗くと、向こうは薄暗い闇が広がっていた。
 異様な程に静かな空気に、寒気すら感じさせられる。今まで笑みを浮かべていた三人は、揃って息を顰めた。
「何の匂いだ、これ…?」
 そしてやけに鼻につく匂いに、トキが小さく言葉を発する。
「……あの人たちが、家を取り返しに来たのかしら…」
 そして恐る恐る囁かれたナズナの言葉に、ゼンが震えた。
「リリィが、家の中にっ…」
「!!」
 靴の泥も音さずに三人は中へ駆け込んだ。廊下に人の気配はない。待ち伏せされている危険性もあったが、ゼンの肌にはそれ以上の不安が押し寄せていた。嫌な感覚が背中を這いずり回って止まらない。
 風邪が辛くて眠っていれば良い。昼ご飯を作ろうとして鍋を焦がしたのであれば良い。それならば、後悔するのはその一瞬で済む。笑い飛ばせば全ては微笑ましい出来事で終わる。しかし、それが実際に起こるはずがないと、残酷な程冷静に確信していた。嫌な確信だった。
 目配せだけで意思疎通し、ナズナはダイニングへ、トキは風呂場へ、ゼンは二階へと駆け出す。訓練など受けた訳もないが、日頃の悪行から自然と身に着いた技術は、いくら焦ろうとも向かい来る襲撃に備えて足音が最小限になる様働いた。
 ゼンは二階の中でも一番始めに、リリィの部屋へ向かった。何より、彼女の安全を確認したかった。不吉な直感とは裏腹に、心ばかりが急いている。ドアノブを握ろうとした手が汗ばんでいて、久々の実戦に感じていた緊張を息と共に飲み込む。
 ドアを開けた向こうにあったのは―――待ち焦がれたリリィの姿ではなく、暗闇だった。分厚いカーテンが閉め切られているのか視界がはっきりしない。その代わりに敏感になった鼻が、此処が一番異臭の強い部屋だと伝えて来た。
「リリィ…?」
 返事はない。
 人の気配すらしない。
 早鐘の様に鳴る心臓を抑え、ゼンは暗幕を引く。
 目に入ったのは、焼け付く様な夕日に照らされた赤々とした液体が床一面に伸びている様だった。
「………」
 その途端、ゼンが足から頽れる。床に手を付けば、未だ乾かぬ液体が指先に触れた。肌を濡らすそれはまだ新しく、赤い。別の場所に手を付けば、ピチャリと音を立てて滴が跳ねた。
 やがて他の部屋を見回っていた二人が辿り着いた。何か言葉が聞こえたが、ゼンの意識は全て目の前に広がるものに向けられていて理解することはなかった。
「リリィ…、リリィ…?」
 呼べば彼女が返事をしそうで、何度も呼ぶ。
「リ、リィ…っ」
 それでも、再び彼女の声を聞くことはなかった。
「…………」
 ナズナの泣き声を聞いたのは、空が半分以上も藍色に浸食された時だった。トキに支えられながら、入り口で泣きじゃくっている。トキも、泣きまではしなかったがこの短時間で酷くやつれた顔をしていた。
 二人の様子と目の前の光景を見比べながら、理解する。
「あ、…あぁ…」
 いなくなってしまった。
「ああ、…ぁあ"ああぁ"あっ―――!!!」
 大切な人が、彼の目の前から消えてしまった。

   ***

「………っ」
 目を開くと、今朝とはまた違った見知らぬ天井の板の目が見えた。
 まだ少し熱の残る頭でぼんやりと考える。此処まで来た時の記憶がさっぱりない。しかしそれは、喉を塞ぐ違和感に気付くと共に蘇ってきた。
「私…」
 小さく呟いた声は、掠れている。
 公園でゼンを待っているうちに気分が悪くなり、最後には酷く頭が痛くなって気を失ったのだ。
 額に乗った、今は温くなってしまった水の袋を見つめ、ファナはそっと微笑んだ。きっとゼンがしてくれたに違いない。見掛けでは判断しにくい彼の不器用な優しさに、ファナはくすりと笑って寝返りを打った。
「!」
 途端に目に入ったゼンの寝顔に、ファナは上がりそうになった悲鳴を懸命に飲み込んだ。
 ギュッと眉を寄せて、ベッドの端で組んだ腕の中に顔を埋めている。ベッドと同じくらいの高さの椅子に腰掛けて、どうにもつらそうな体勢だった。よくもこれで眠れたものだと思ったが、身体を起こしたとたんずり落ちたジャケットや毛布が彼の看病の姿を思い起こさせる。
 一生懸命だったのだろう。
 そう思った途端、脈拍が早くなった。
 何処かで見たような黒髪に触れる。さらさらと、眉の上にかかっていた髪が移動する。
 不意にゼンの唇が開いた。
「…リリィ…」
 震える唇が微かに囁いた声に、ファナはその手を止めた。




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